一輪の廃墟好き 第141話~第143話「黙祷」「被害者」「弾力」

一輪の廃墟好き

 ほどなく遺体安置室へ赴きすぐさま僕たちの視界に入ってきたのは、パイプベッドに横たわり白い布をを顔面に覆い被された被害者夫婦の二体の遺体であった。

 普通に考えて当たり前だけれど、室内は静かなもので音楽など流れておらず、シーンと静まり返る室内には「ジジジ」という電気音が微かに聴こえるくらいである。

 横たわる遺体の頭部側に置かれた僅かな煙と共に独特な香りを放出する線香。そのお陰か室内にはこれといって嫌な匂いは漂っていなかった。

 僕たちは遺体の横に三人並んで、しめ合わせたかのように手を合わせ黙祷す…
 
 目を開いた僕は、遺体を前にして若干は気が引けたのだが、時間的余裕が無いため早速遺体を調べさせてもらうことにした。

「淀鴛さん、遺体を覆っている白い布をめくっても構いませんか?」

「そのためにここまで来たんだ。もちろん構わないさ…ただ、丁寧に頼むよ…」

 言われなくてもそんなことは百も承知なのだけれど、職業柄、彼も念のために言っただけのことだろうから、気にせず始めよう。

 僕は壁の横にポツンと置いてある移動式の棚の天板から、ゴム製の手袋を一組掴み取り両手に装着した。

 と、ここでふと思い立って助手の未桜に声をかける。

「未桜、外傷の深い遺体を見ることになるが大丈夫か?」

「二日酔い」というお粗末な結果ではあったけれど、井伊影村の悲惨な事件現場にて、彼女は見るからに体調を悪くし現場を離れてしまった。
 結果はどうあれ、僕はこの時に気配りが足りていなかったことを反省していたからこそ訊いてみたのだが…

「ご心配ありがとう♪でもわたしは全然平気だよぉ。こう見えて人がグチャグチャになっちゃうグロい映画とか大好きなんだよねぇ、というわけで遠慮は要らないから調査を進めよ~」

 グロい映画と現実に殺害された遺体を比べるのは不謹慎極まりないのでは?とも思ったのだが、僕は言葉に出さずスルーし、遺体の頭部に覆いかぶさる白い布をさり気なくめくった。

 血の気のない真っ青なお爺さんの顔が視界に入る。
 微かだったが僕の心は動揺した。
 歳をとっているといえ、昨日の日中道端で話した時には、健康的で朗らかな笑みを浮かべていたお爺さんの顔が脳裏から離れない。

 人生はある意味残酷だな…

 当たり前だが生気を感じないお爺さんの顔には切り傷ひとつついておらず、殺害された遺体としては綺麗なものだった。

 淀鴛さんから訊いた情報によれば今回の被害者は、夫である新川武治(しんかわたけはる)、67歳と、その妻である新川頼子(しんかわよりこ)65歳ということであった。

 被害者夫婦の二人がどんな人生を送って来たのかなんてこれっぽっちも知らないし、加えてどんな人間性だったのかすら知らない。

 しかし、不本意ながら正に一期一会となってしまったこの夫婦に、僕は情の湧くような感覚を自然に覚えていた。

 それはきっと、僕たちの窮地に奇特にも手を差し伸べてくれたからなのだろうけれど..

 そっと手を伸ばして新川爺さんの触れると、当然だが生きている人間から伝わる体温は感じられず、既に死後硬直が始まっているのか弾力性も皆無であった。

 死後硬直とは、人が亡くなってから数時間で始まり、徐々に筋肉が固まっていく現象のことである。
 死体の保管場所や気候条件にもよるが、約20時間~30時間ほどで最も筋肉が固まり、その後は徐々に緩んでいくらしい。

 続けて胴体を覆う白い布の半分ほどをゆっくり剥がすと、血の気を失った裸体には、刃物での切り傷や刺し傷を仮縫いした痕が数箇所確認できた。

 人体を一度ならず複数回刺して殺すという犯人の心理としては、被害者に対して怨恨の感情を持っている可能性が高い。
 単受に犯行動機が当人同士の何かしらのやり取りから発生した「怨恨」なのであれば、犯人が井伊影村の村民である可能性が極めて高いだろう。

 僕は試してみたいことを思いつき、背後で様子を眺めている淀鴛さんの方を振り返って訊く。

「淀鴛さん、被害者の脱がされた衣服は此処に残ってますか?」

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