ぐったりした僕たちを見かねたのか、淀鴛さんは車を車道の端に寄せて停車してくれた。
と言うか途中で気付いてくれたら尚よかったのだが…
「いやぁ、二人とも車に弱いんだな。意外だったよ。俺が一服するあいだに外へ出て新鮮な空気でも吸うといい」
淀鴛さんはそう言って自ら車外へ出ると、すぐさまタバコに火を付けた。
車に弱い云々以前の問題なのだけれど、反論する元気が残っておらず、隣で横になっている未桜を揺する。
「み、お。外へ出て、気分を入れ替えるぞ…」
「う、うぃぃ…」
彼女は苦しそうに呻き声をあげながらも、なんとかドアを開けて車外へ這い出ることができた。
辺りにはまだ民家が一軒も見当たらず、田んぼと森の豊かな自然の風景が広がっており、幅が3mにも及ばない小川がチョロチョロと音を立てて流れている。
空気は美味いし静かで落ち着く場所だ…
僕はラジ体操終焉さながらに思いっきり新鮮な空気を肺に取り込み、それを口を窄めたままゆっくりと吐き出した。
するとさっきまでの酷い気分がスッカリとはいかないまでも、少なくとも半分以上は気力を取り戻すまでに至る。
僕の隣では未桜が深呼吸を何度も何度も繰り返していた。
「おいおい、そんなに早く深呼吸したんじゃ逆効果になるかも知れないぞ」
一応気遣って言葉をかけたのだが…
「うっし!元気全開~!♪」
マジか!?
清々しくもあっけらかんとした彼女の新陳代謝はどうやら尋常では無いらしい…
彼女が人並み外れているところがあるのは特段驚くべきではないのかも知れないが、たまに鈴村未桜に現れる事象には驚いてしまうのが心情と言うべきであろう…
そんなことより。
「淀鴛さん、病院まではあとどれくらいで着きそうですか?」
井伊影村の中心から病院へ車を走らせ、彼の豪快な運転で山道を抜けるのに20分足らずだった。
「…あぁ、そうだなぁ…恐らくあと20分も車を走らせれば着く筈だ」
「は、早いですね」
あれだけ飛ばせば、ね…
確か出発前に「最低1時間はかかる」と言っていた彼の予測には、全くもってご自分の運転速度は加味されていなかったらしい…
淀鴛さんがタバコを一本根っこまで吸い終わると、「よし、そろそろ行くとしますか」と声をかけられ、僕達はほぼ同時に車へ乗り込んだ。
完全ではないけれど折角気分が良くなったのだから、もう同じような気持ち悪さを味わうのは絶対に遠慮したい。
ここは言うだけ言ってみるのも悪くないだろう。
「淀鴛さん、できることなら運転はお手柔らかにお願いします」
「ハハハ、運転のことは心配しなくて良いよ。町も近くなったことだし、流石にここから先はスピードは出さない。法律をもって取り締まる職業につく俺が違反なんかしたら洒落にならないからね」
なるほど、さっき通った山では治外法権の効果が働いていたようである…
車が再発進して5分と経たないうちに国道へ入ると、車道を走る車の数が一気に倍増、否、比較にならないほど増加した。
淀鴛さんも「有言不実行」なことにはならず、山道での荒々しくアグレッシブな運転が嘘だったかのような安全運転を継続してくれた。
かくして、僕たち三人は目的地である市立病院へ無事かつ時短で到着することができたのである。
自動ドアを通って病院の中へ入ると、淀鴛さんが僕と未桜にロビーで待っているよう促し、単独で窓口へ赴いた。
暫くして真剣な表情をした淀鴛が僕たちのところへ戻るなり言う。
「二人の遺体は安置室に移されているらしい…あわよくばどちらか一方でも助かってくれていれば良かったんだけどな…」
事件現場で聞いた話では、被害者夫婦は現場から心肺停止の状態で救急車によって運ばれたらしい。心肺停止の人が病院で息を吹き返すようなことは稀だけれど、可能性としては当然ゼロではないから少しは期待していたのかも知れない。
もし仮に、二人のうちどちらか一方でも蘇生していれば、事件解決への糸口は一気に広がっていたことだろう。
だが世の中はそんなに都合良く回らないし甘くもない。
僕たち三人は遺体安置所へと続く長い廊下を、ずっと無言のまま歩いて進んだのだった…
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