漢字で「豆苗」ではなく「燈明」。
音で聴くなら全く同じ名称として捉えることも出来るのだが、神額に彫られた「燈明神社」の四文字を目の当たりにすると、不思議というか当たり前というかイメージかなり異なってしまう。
これは自慢ではく、否、結局はどうしようもない事実なのだから自慢になってしまうけれど、僕は自己の頭脳には相当な自信を持っているし、東京大学教授の方々からも天才と評された人材である。
よって天才的な頭脳を持つこの僕が、ネット上に掲載されたブログを何度も読み直して確認したのだから、絶対に「豆苗神社」と記載されていたことは気記憶違いではないと云い切れてしまうのだ。
だが神額に彫られた「燈明神社」こそが真実たる名称であることは疑いようのない事実である。
「豆苗神社」として掲載したブログ主は意図的にそうしたのか、それとも単なるミスだったのかは気になるところではあるけれど、少なくとも僕の信用を失ったことは間違いない。
まぁ今回の探索する廃墟選びの中で、「豆苗神社」という珍しい名称に惹かれたという部分もあるにはあったが、正しい名称を知れたことは探索で得た価値ある情報だったとでもしておこう…
豆苗神社改め燈明神社の本殿は、「鎮守の森」に囲まれる場所に位置し、半壊した鳥居の先にある参道の先にある筈だ。
神社の入り口で余り時間を割いては本殿の探索に支障が出てしまう。
ゆえに僕と未桜は半壊した鳥居の前に並んで立って同時に一礼し、本来なら鳥居の下を潜るべきところ、敢えて鳥居の側面に回り込んで鎮守の森の参道を歩き始めた。
因みに鎮守の森(ちんじゅのもり)とは、神社(鎮守神)に付随した境内やその周辺に神殿や参道、拝所を囲むが如く設定・維持されている森林である。
鎮守の杜(もり)とも書き、古神道における神奈備(かむなび・かんなび)という神が鎮座する森のことで、神代・上代(かみしろ)ともいうらしい。
上空を見上げれば相変わらず灰色の雲が太陽の光を妨げており、もともと薄暗いであろう鎮守の森は、より一層の薄暗さと静けさを僕達に提供してくれていた。
平坦で石が雑に並べ埋め込まれた参道を十数歩歩いた地点で、歩調を合わせ僕の横を歩いていた未桜の足が突然止まる。
未桜の無表情に近い表情が気になり僕も立ち止まった。
「どうした未桜、何か変なものでも見えるなり感じるなりでもしたのか?」
此処で初めて語らせてもらうけれど、彼女にはなかなかに強い「霊感」が備わっていて、普通の人では見たり感じるすることができないことを体感できるのだ。
つまり「霊」を見たり感じたりすることのできる未桜がこんな顔をする時は、決まってそのどちらかだったりするわけだが…
「どっちもだよ、一輪。何が原因かはまだ分からないけれど、この鎮守の森にはいや~な気が流れてる……それと、本殿の前に先客が居るみたい…」
先客!?
こんな辺鄙な場所にか!?
しかし僕も目は悪くはないが本殿はまだ豆粒ほどの大きさでしか目には映らず、人の姿形は到底把握できない距離である。
霊感もさることながら彼女は視力もすこぶる良い。
といっても何処かの部族民のように裸眼で10.0などと桁外れな視力ではなく、2.0という一般的最高値なのだが全国平均の裸眼でおよそ0.5、20代でも1.5以上はおよそ5.7%といったデータからしても、彼女の視力はすこぶる良いと言わざるを得ないだろう。
「そうか僕もなんとなくだが空気の淀みは感じていたよ。それより先客が居るとは予想外だな…」
此処までの道の荒れ具合と半壊した鳥居を修復していないことから、村人の中に燈明神社へ参拝に来る者が居るとは考え辛い、こんな場所に来るなんて一体どんな変わり者なのだろうか?
もちろん僕も「変わり者」の一人であることは自信を持って否定しない。
僕達は速度こそ緩めなかったものの、互いに口を閉ざしたまま前方に細心の注意を払って参道を歩いた。
神社本殿に近づくに連れ、本殿の荒れ果て具合が徐々に分かり、その手前に立つ人物の姿もハッキリと目に映り出す。
僕の服装に近い服を着用しているその人物の後ろ姿からして成人男性であることが予想でき、僕の記憶の中で当てはまる人物像が薄らと浮かび上がった。
彼との距離が十メートルほどを切ったところで僕はもう確信してしまった。
僕達が昼食を摂るために訪れたラーメン屋で、先に払いを済ませ店を出たあの男性に違いない。
廃墟たる燈明神社本殿を直立して眺めていた黒い短髪の彼が、僕達の気配を感じ取ったか足音に気付いたのか分からないけれど、俊敏な動きでこちらに振り向いた。
「……こんにちは…」
「こんにちは…」
「こんにちはぁ」
彼の声は顔相応に渋かった。
そして緊張で張り裂けんばかりだった僕の心が不思議なことに多少なりとも落ち着いた。
いや、「不思議」という言葉を使ったが些か不適切だったかも知れない。
わざわざ訂正した理由は二つある。
一つ目は、たった一度とはいえラーメン屋でたまたま彼を見かけ、ハッキリと顔を覚えていたこと。
二つと云ったので最後となる二つ目は、彼のそのキビキビとした所作から、大人というか、洗練された人間力を感じ取ったからに他ならなかった。
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