一輪の廃墟好き 第129話~第131話「心のケア」「違い」「死」

一輪の廃墟好き

 彼女には気の毒なことをしてしまった…

 「気配り」などと軽く云ってしまったけれど、いくら成人に達しているとはいえ彼女はまだ23歳。長寿国の日本において彼女の年齢はどう見積もっても若い部類にあたる。

 根拠不明な胸騒ぎに気を取られていたことは言い訳にもならないし、僕の配慮不足という落ち度以外の何者でもなく残念極まりないのだけれど、現在の状況を鑑みれば悔やんでいる場合ではないことも確かだった。

 だからと云ってはアレなのだが、負の衝撃を受けてしまった未桜の心のケアに関しては、のちほど丁寧に施すとして、僕は傍目にも殺人事件であることに違いないであろう現場の検証に集中するよう努めた。

 今回は別段、誰からも調査の依頼は受けていないけれど、妙な胸騒ぎが探偵としてというか僕自身の好奇心を突き動かし、淀鴛さんのお陰で現場の調査をすることとなったわけである。

 僕は早々と寝室を一通り見渡し、箪笥の天板に置かれた写真立てに目が止まり、近づいて手に取って眺めたところで息を呑む。

 念のため確認しなければ…

「淀鴛さん、今回の事件は他殺と思って差し支えないでしょうか?」

 周囲の警察関係者には聞こえないように小声で尋ねた。

「十中八九、いや違うな、99%他殺の線で間違いないだろう」

 そこから淀鴛さんは呟くようにひっそりと、現段階で知り得た事件の様相を教えてくれた。

 被害者はこの家屋に30年以上もの長いあいだ住んでいた老夫婦の二人。夫も妻も共に60代で、農家を営んでいたとのことである。どうやら井伊影村に親族は居ないらしく、二人に子供が存在するのかどうかは調査中らしい。

 死因はどちらも刃物による致命傷での出血多量。事件が発覚したのは本日早朝の6時半頃、第一発見者は近所で養鶏場を営んでいる仲の良い女性の友人で、生まれたての卵をお裾分けしに訪れたところ、開けっぴろげの玄関から被害者である夫の呻き声が聞こえて来たのだという。

 友人が慌てて家の中に上がり込み、呻き声のする寝室へ向かうと、血だらけになった夫が腹ばいになって倒れており、妻の方は既に絶命していたのか、同じく血だらけになりながらピクリとも動かなかったらしく、夫の方に何度も声を掛けたが喋ることもままならない状態で、呻き声が止まって直ぐに息を引きとったそうだ。

 僕が写真立てに入った老夫婦の写真を見て息を呑んだ理由。それは殺された老夫婦が、昨日の日中、風車を壊して困っていた僕達に手を差し伸べてくれた二人だったからに他ならない。

 会話した時間が僅かだったとはいえ、全く顔も知らないような人物が殺されるのとはわけが違った…

「儚い」という言葉にはは、頼みにできる確かなところがない。淡くて消えやすい。などという意味がある。

 それを踏まえて「人の人生は儚い」とはよく言ったものだとしみじみ想う。

 この言葉は人間のみに限らず、一生命体としての極小なミジンコから果ては地球上で最大のシロナガスクジラまで、身体の大きさや能力に大きな差異はあれど、公平というか平等というかどちらでも良いのだけれど、今現在において生命のある物体には例外なく「死」が訪れる。

 誰にでも必ず訪れる「死」というものは、厄介にして幸いなことにいつ何時訪れるかは定かではない。度重なる不幸から、この世で生きる希望を失い自ら命を絶つ者や、日本の法律上において死刑宣告を受けた死刑囚は別として…

 昨日、偶然にも僕達が会話を交わした被害者である老夫婦も、きっと自分達の死期が今朝方になろうとは天地がひっくり返ろうとも予測していなかったであろう。

 だが、気の良さそうだった老夫婦の命は、何処かの誰かの手によって呆気なくも奪われてしまった。

 これが僕達の何気なく生きる現世の理であり、途方もなく繰り返されてきた現実である。

 さて、生命ある者の永遠の課題である「死」についてはこれくらいにしておき、風車を治すと言ってくれたお爺さんと、その妻であるお婆さんを殺害した犯人の手がかりを探さねばなるまい…

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