探偵事務所としての予算の関係上、民宿「むらやど」で予約したのは一部屋だ。
僕の信用性や沽券に関わることなので断っておくが、未桜への下心があって一部屋しかとらなかったわけでは断じてない。
折角の機会なので付け加えておくと、未桜を異性として意識したことはかつてただの一度も無かったし、この先も意識することは無いだろう。
仮に意識するような前兆があれば、すぐに掻き消せる手段を取る心の準備はしてあるし自信もある!
と、強めに、そして紳士的に豪語してしまったけれど、「男女間に真の友情存在せず」説の肯定者側である僕が豪語しても、差し当たっての信憑性はゼロに等しいと思っていただいても結構だ。
しかしながら、そもそも今回の廃墟探索の目的である豆苗神社へは単独で行くつもりだったのだ。
民宿むらやどに宿泊一名で予約を入れた次の日、未桜に何気なく豆苗神社の話しをすると思いの外興味を示しめしてしまい、「絶対私もついていくからね!」と眉間に皺を寄せて半ば喧嘩腰に駄々を捏ねられたのである。
民宿むらやどに再び電話をしたのだけれど、「もう空き部屋はございません」との返答で仕方なく相部屋となった次第である…
「おっ、やっと井伊影村に入ったな」
僕は道端の左手に立っていた「井伊影村へようこそ」という看板の文字に気づき呟いた。
気持ち良さげに眠っている未桜の肩を左手で揺すり、約束通り起こそうと試みる。
「未桜起きろ。民宿にもうすぐ着くぞ」
「…ん、んん~」
未桜が起こされたことに気づきパッと目を覚ます。
そして助手席のシートをすぐさま元の角度に戻し、窓の外をキョロキョロと眺め出した。
「ぉうわぁ~!感動しちゃうなぁ~。私こんな長閑な田舎に来るのって初めてなのよねぇ」
寝起きとはとても思えぬテンションで未桜は感想を述べた。
確かに未桜の述べた感想の通り、見える景色は多くの田畑や森林ばかりで、民家はポツリポツリと数えられるくらいしか見えない。
「そうだ!ここってスマホの電波って大丈夫なのかな?」
「大丈夫だとは思うが念のため確認してくれ」
未桜が僕の指示を聞き入れ、車内のダッシュボードに放り込んでいたスマホを取り出し確認する。
「オッケー!大丈夫みたいだよ。しっかり棒ちゃん全開で立ってまっせ~」
「そうか良かった。実は少しばかり心配していたんだ」
因みに電波の状況が一目で分かるお馴染みの棒は、正式名称が「アンテナピクト」というらしい。
「やっぱりスマホが繋がってないと心配だもんね」
「ああ、スマホに依存しすぎるのは良くないけれど、利便性がな…」
今では国民のほとんどが当たり前に所持しているスマホも、昭和の時代には存在しなかった代物である。
僕は時折考える。果たして通信手段の著しい進歩は人類にとって幸せに繋がることだったのか?と…
「ふぅ、三時間ぶっ通しの運転は流石に堪えるな」
程なくして村の中心部の片隅に在る民宿むらやどの駐車場に辿り着き、僕はホッとした気持ちでシートベルトを外し一息ついた。
「すっごーーーい!ほぼ完全木造の古民家!歴史を感じちゃうなぁ…」
車の窓を閉めて置いて良かった。
と、思うほどの大きな声を張り上げ感動を表現する未桜。
「未桜、感動するのは構わないがさっさと後ろの荷物を持って外へ出てくれないか?」
「あっごめんごめん、分かった!それと長時間の運転お疲れ様でした~♪」
心が救われた。
僕の助手には、長時間運転して来た者に対して感謝の念は無いのかと心配しそうになったところだ。
僕と未桜は車から降り、改めて民宿むらやどを眺めると、昭和どころか明治時代に建てられたような歴史の趣を感じる。ノスタルジックな気分や感覚と云ったところだな…
未桜が先行して玄関入り口の戸に手をかけ開けると、古びた戸のレールから「ガラガラ」と音が上がった。
「民宿」というのは普通の民家にちょっと手を加えただけのものも多く、普通の民家と同様にホテルや旅館と比べると玄関は殊の外狭い。
僕達が訪れ泊まる予定のこの民宿の玄関も普通の民家の玄関とさほど大差なかった。
玄関に立ち数秒経っても誰かが来る気配もなく、日頃から積極的な未桜がよく通る元気な声で呼びかける。
「すっみませ~ん!本日予約した荒木咲ともうしま~す!どなたかいらっしゃいませんか~!」
「……………….」
呼びかけたあとも数秒の時間が流れたが。
「ふぁ~い…ただいまぁ…」
奥からかなりの老齢を感じさせる女性のしゃがれ声が耳に届いく。
暫く待つと、右側の奥へと伸びる木製の板張りの廊下を、恐ろしくゆっくな速度で近づく背丈の低い老婆の姿が視界に入った。
長いあいだ着込んでいるせいか、その老婆の着用する着物は酷く色褪せて見える。
「ありゃぁ…こんな村に若いカップルさんかえぇ、さぞやお疲れでしょうに、いま部屋まで案内しますけぇ…」
頭が隈なく白髪で皺くちゃな顔をした老婆は開口一番そう言った。
僕は若いカップルという言葉に少々引っかかったものの、運転の疲れから「いえ違います」と返すのも面倒だったので適当な挨拶で済ませた。
そろりと踵を返した老婆が僕達を部屋へ案内しようと先導してくれたのだが…
遅い…遅すぎる。
老婆の歩く速度は想像を超えて遅く、倫理的に口に出すことはなかったけれど、歩幅も極端に短く、まるで平常時の亀の歩行を彷彿させた。
僕と未桜は忍耐をもってグッと我慢しつつ、急勾配の階段を上って二階の部屋へと案内されたものである。
歳よりが上るには明らかにきついであろう急勾配な階段を、老婆はなぜか壁に設置された手摺を使うことなく上っていく。
若い僕達ですら手摺に掴まらなければきついというのに。
足腰にガタがきている年齢だと思うのだが…やはり遅い…
気の遠くなるほどの不毛な時間が過ぎ、ようやくにして案内する老婆の足が止まった。
玄関で部屋の場所を教えてもらった方が遥かに良かった気がすが、どう考えても後の祭りである。
「こちらがお二人の部屋でございます。お茶が置いてありますけぇ、ご自由にお飲みくださいぃ。では、ごゆっくりぃ」
「ありがとうございます」
僕が軽く会釈して礼を言うと、玄関で見た時より白い顔をした老婆は薄らと笑みを浮かべ、上った時よりさらにゆっくりとした速度で階段を降りていった…
僕達の案内された部屋は階段を上って左へ折れ、短い廊下を数歩進んだ突き当たりに位置し、他には通った廊下の右手と、僕達の部屋とは真逆の方向に客室の入り口らしき襖がある。
「三部屋か…まぁ民宿だから部屋の数はこんなものだろうな」
「一輪、取り敢えず中に入ろうよ」
「あっ、ああ、入ろうか」
なかなか部屋へ入ろうとしない僕に未桜が声をかけ、目の前にある意外にも子綺麗な襖を開ける。
開けた襖には「参ノ間」と書かれたカード貼られており、他に「壱ノ間」と「弍ノ間」が存在することを裏付けた。
部屋へ入った未桜の第一声。
「一輪!畳だよ畳!…うん!この感触好きなんだよね~、久しぶりに踏んだなぁ♪それにこの『い草』の香りがたまんない♪」
「あぁ『い草』の香りは僕も好きだよ。なんか落ち着くんだよな」
畳一つでここまで喜ぶとは…未桜が最近の女子とは一味違う一面をまた見せた。
ところで「畳」といえば、時代の流れからその需要は残念なことに年々減少しているらしく、その影響から今や「畳屋」なる専門店は絶滅危惧種と云っても過言ではない。
僕は年齢こそ若いが、日本の古くから伝わる風習や伝説、日本独自の技術で生み出された生産物などを好む傾向にある。
出来ることなら、そういった日本固有の文化はいつまでも残って欲しいものだ。
「空気うんま~!古い建物も結構残ってるみたいだよ一輪♪」
畳で機嫌を良くした未桜が、外へ繋がる部屋の引戸を開け僕に伝えた。
「そっかそっか。未桜、お茶を一杯飲んだら外で腹ごしらえして豆苗神社へ向かうぞ」
「はーい!今お茶をいれるね~」
僕達は未桜のいれた美味しいお茶を飲み終えると、それぞれが豆苗神社へ向かう準備を整えた。
部屋を出ようとしたのだけれど、未桜の服装がワンピースのままだったのが気に掛かり彼女に訊く。
コメント