とまぁこんな阿呆な一幕もあり、やや緊張感に欠けるとも云えたけれど、道中気がピンと張り詰めっ放しだった一行の面々からすれば、命懸けの戦前に気の抜ける一幕でもあった方が丁度良かったのかも知れない。
一行は、九兵衛が自身の治療を終わらせたあと、道らしき道もあったが敢えて通らず、夜明けが近いとはいえまだ薄く暗い森を無言で駆け抜けた。
半刻も走らぬうちに先頭を駆ける仙花の目に火の光が映る。
「どうやら着いたようだぞ。芥藻屑の巣窟に…」
後ろを振り返り一行の面々に仙花がそう声をかけると、それぞれの表情が引き締まり黙って頷いた。
芥藻屑の巣窟「蛇腹(じゃばら)」は、山の斜面を削って開拓し、先の尖った太い丸太を何本も埋めた塀によって囲まれており、規格の統一されていない社が何軒も建てられいて、もはや一つの村集落と云っても差し支えのない規模であった。
仙花一行は蛇腹を一望できる丘の巨大な岩から眺めている。
蛇腹の四方の端にある高台の炎や社全てに視線を流したお銀が口を開く。
「四方の高台に見張りが一人ずつ、それに三方の門には二人ずつ…右手の縦長の社三件にも見張りがおよそ十人ほどおりますゆえ、囚われた人々はかの社に集められているものかと…」
「…うむ、儂も同意だ。それと、あの中央上段に建立された微妙に豪華な社に韋駄地源蔵がおるやも知れんのう…お銀よ、此処は儂に作戦を立てさてはくれぬか?」
無論、齢十六の仙花に戦の経験は無い。しかし、光圀が呑むと時より戰の話を聴かされ、西山御殿の蔵にある兵法書を読み漁っていた彼女である。
それを知ってか知らずか、甲賀の里ではくノ一頭領を務める経験豊富なお銀であったが素直に従う。
「御意のままに…」
仙花は「よし」と頷くと眺めていた蛇腹から視線を外し、後方に控える一行の面々の方へ身体を向けた。
「まずは….起きろ、雪舟丸」
緊張感漂う場面にも関わらず延々と眠る居眠り侍に声をかけると、寝起きの合図となりつつある「鼻提灯破裂」を成した雪舟丸が目を覚ます。
「….いよいよ戦の始まりですな…」
「そうだ。これより戦が終わるまでの間は其方の居眠りを禁ずるぞ」
「…極めて委細承知にございます」
「うむ、作戦はこうだ。話し終えたのち、先じて儂が四方の見張り台に立つ者と三方の門番を射る。したらば儂は正面、蓮左衞門は東、雪舟丸は西の門から蛇腹へ侵入し中央にある社へ向かうのだ。お銀と九兵衛はその間に彼処の崖を降り囚われている者共の解放へ向かえ。社の見張りは気付かれぬよう暗殺するのだ。此処までは良いな?」
四人は仙花の策に同調し各々が了承の意思を示す。が、護るべき仙花の単独行動となるこの策に、お銀や蓮左衞門の心中は正直なところ穏やかではなかった。
仙花の考えた策は、各個人の圧倒的戦力と不確かな敵情報を踏まえての確率論からのものであろう。
同じ想いであると推測したお銀と蓮左衞門の二人は目を合わせ、「此処は致し方なし」と意思疎通を図る。
「お銀と九兵衛は囚われの者共と蛇腹より離れた場所で待機せよ。戦が終わるまではそこで民を護れ。ことが上手く運んだ暁には蛇腹に残る物資を民に配布するつもりだからのう…つまり、敵の主戦力には儂と蓮左衞門、それに雪舟丸の三人だけで当たることになというわけだ。作戦は以上だが異論のある者はおるか?」
「ございませぬ」
「無いでござる」
お銀と蓮左衞門は口に出して応じ九兵衛は無言で頷いた。
ただ一人何も反応を示さなかった雪舟丸が申し出る。
「その作戦では仙花様の負担が余りにも大きいかと存じます。西の門番は拙者にお任せ頂き、仙花様は蓮左衞門と共に東へ向かい、そこから単独で正面の門へお周りください」
「……よかろう。西の門は其方に任せたぞ」
雪舟丸の実力を十分に心得ている仙花は申し出をあっさりと受け入れた。
道中気絶していた九兵衛と眠りながら移動していた雪舟丸を除き、仙花、お銀、蓮左衞門の三人は夜通し歩き駆け続け、確実に睡眠不足であり体力も削られている。
だが、少数で圧倒的多数の敵を相手にするならば、奇襲するのが定石というものであろう。
よって、大多数の芥藻屑の賊共がまだ起きぬ、朝陽が昇る前の今をもって攻撃を仕掛けなければならないことを察する仙花が動く。
「時間的猶予は無い。早速やるぞ」
そう言って素早く弓を構え、遠距離な中でも一番近い西の見張り台に立つ者に狙いを定める。
「バシュッ!」
放たれた矢は凄まじい速さで真っ直ぐに飛び、威力も弱まることなく見張りの者の頭を貫き、声を上げることなくその場に倒れた。
「お見事にございます」
と、お銀が称賛する間に仙花は東の見張りを狙い矢を放つ。
「バシュッ!」
西の見張りと同じように東の見張りも倒れた。
続けて南の見張りも撃破したかと思うと手を休めず、最後に最も遠い北の見張りに狙いを定め矢を放つ。
「バシュッ!」
最後の見張り台の者も一発で射抜いてしまった。
仙花がいとも簡単にやってのけた神業は、達人の粋に達した弓引きでも百発百中で完遂するのは不可能であろう。
背後で眺めていた一行の方を振り返った仙花が告げる。
「いよいよ戦の幕開けだ。さっさと片付けてゆっくり寝ようぞ!其方らの武運を心より祈る!」
「仙花様にもご武運があらんことを」
と仙花に返した雪舟丸が、普段とは別人のような顔つきをして誰よりも早く目的の西門へと走った。
「あたしらも行くよ!」
「へ、へい!」
気合いの入ったお銀の声に若干気圧された九兵衛焦って応じると、二人は仙花に指定された崖へと向かう。
「蓮左衞門、皆に遅れをとってはならぬ。儂らも行くぞ!」
「承知にござる!」
仙花と蓮左衞門の二人も東の門へと駆け出し、一行は三方へ別れそれぞれが行動に移したのだった。
早々と目的の地点まで到達したお銀が崖を降るために縄を準備し、ドタドタと遅れてやって来る九兵衛を待つ。
「ちっ、やはり遅い」
くノ一であるお銀の脚の速さと常人の九兵衛を比べるのは可哀想だったが、時間との戦いでもある現状がお銀の九兵衛に対する苛立ちを掻き立てた。
そこへ九兵衛が息を切らせて辿り着く。
「ハァハァ、すいやせんお銀さん…」
「…ねぇ九兵衛、気を悪くしないで聞いて欲しいのだけれど、此処から先はあたし一人で行かせてもらうよ。あんたは正面の門で待ってるんだ。あたしが正門へ囚われた民衆を誘導する。あんたは来た民衆を纏めて安全な場所まで連れて行っておくれ」
「……..へっ、へい!お銀さんの言う通りに致しやす」
急なお銀の指示に一瞬戸惑った九兵衛ではあったが、どう考えても己は彼女の足手纏いになると踏んだ九兵衛は正門へ向かうことに決めた。
「よし、後でまた会おう」
お銀はそう言い残し素早く縄使い颯爽とほぼ垂直な崖を降る。
常人ならば脚がすくみ震え上がるような崖も、彼女からしてみればそこらの木の上から降りる感覚と差して違いはない。
あっという間に崖下に降り立つと、目の前にある家屋の屋根上に飛び乗り、囚われた民衆が囲われているであろう社を目指し、家屋の屋根から屋根をまるでムササビのように飛び移って行く。
一方その頃、意外にも脚の速かった雪舟丸は西門付近の岩陰に隠れ、門前に立つ男二人の様子を探っていた。
「…奴らに気付かれ声を出させるわけにもいくまい…ちと子供騙しかも知れないがやってみるか…」
と、雪舟丸は足元にあった大きめの石を掴み、左に見える男のさらに左の壁を狙って投げつけた。
木製の壁に「ゴン!」と大きな音を立てて石がぶつかる。
「ん!?なんだ?」
気づいた男が音のした方へ歩き出すと、それを見ていた右の男も釣られるようにして向かう。
思惑通りにいった雪舟丸は機を逃さず右の男の背後へ素早く近づき。
「ヒュン!」
自ら発する常軌を逸した目視できぬ剣線によって男の首を刎ねた!
コメント