僅かな時間で橋の麓へ辿り着いた仙花が床板を颯爽と走り抜け、ひれ伏す女子の両親と立ちすくむ野盗らのあいだに躍り出た。
橋の床板に転ぶ射られて屍と化した男を指差し仙花が告げる。
「野党ども、此奴のようになりたくなければ後ろを向きこのまま立ち去るがいい。無駄な殺生は望むところではないからのう…」
あれだけの速さで走り続けたにも関わらず、既に彼女の呼吸は整いしっかりとした口調であった。
しかし、野盗の男どもは仙花の言葉に従うことなく武器を持った状態でその場に居残り武器を手に身構える。
それもそのはず、先ほどの神業のような弓捌きを見ていたのならまだしも、野盗の一同は目前の若い娘の仕業とはこれっぽっちも思っていなかったのだから…
上着ただ一枚を羽織り、半分以上は肌を露出している破廉恥ともとれる格好の娘に凄まれて、いったい何処の野盗が退くというのだろうか?
四人のうち一番前で刀を構える如何にも野盗ヅラの男が吠える。
「馬鹿を言え!たった一人の娘っ子相手に逃げる野盗などこの世にいるものか!」
ごもっとも。
暫くは両者の緊迫した膠着状態が続くのかと思いきや、事態は後から仙花を追いかけて来たお銀の手によって急転する。
「ドシュッ!!」
「ぐあっ!?」
仙花の横を一本のクナイがビュッと通りすぎ、もっともな意見を述べた男の喉を直撃した!
男はクナイの刺さった首を押さえもんどりうつ。
続いて仙花の横をお銀が風のように走り抜け、その男の心臓に短刀を突き刺さした!
無論くノ一のお銀に他ならなかったのだが、そこで彼女は留まらなかった。
男の心臓に突き刺した短刀を素早く抜き、流れるような素早い動きで残りの三人に斬りつけていく。
「ザシュッ!!」
「ぬぐっ!!??」
一人目は、お銀のあまりにも早く無駄のない所作により、接近されて反応し動こうとした頃には首をパックリと斬られ血飛沫があがる。
そこから脇目も降らず二人目に接近するお銀。
二人目の男は必死になって応戦しようと無我夢中で薙刀を横にはらう!
「んなろーっ!!」
「ブン!!」
「ズシャァァーーッ!!」
お銀は大振りなその一閃を身を屈めてかわし相手の懐へ飛び込むと、男の股下から顔面へ到達するまで短刀の刃を滑らせた!
「ぎゃあっ!!??」
断末魔の叫びをあげる男を尻目に、最後の一人となった男を目視したお銀がすかさずクナイを放つ!
「ビュッ!」
「ぐあっ!!?」
クナイは男の眼球に突き刺さり、短刀が届くほどに間合いを詰めたお銀は心臓をグサリと一突きにしたのだった。
「ふぅぅぅ….」
ほんの僅かな時間の中にて、夜叉の如く野盗の四人を全滅せしめたお銀が息を整える。
鍛え抜かれた忍びの殺人術たるやげに恐ろしいものであろうか。
無論、忍者であれば誰でも出来ると言った芸当ではなく、忍者界隈の中でも特殊上忍であるお銀だからこそなし得た所業だったであろう。
兎も角、彼女の凄まじい働きによって野盗の面々は一掃された。
あたり一面の床板に赤い血が飛び散っているのを眺め、意図せぬ結果に憤りを覚え顰めっ面の仙花が怒鳴る!
「お銀!なぜ野党どもを全員斬ったのだ!?儂は此奴らに正しい道を選ぶ機会を与えようとしておったのだぞ!それを無惨に殺すとは……今すぐ理由を説明せい!」
怒りの圧を肌で感じ取ったお銀が仙花の目の前まで近寄り、神妙な面持ちをもって片膝をつき恭しくも弁解を始める。
「僭越ながら申します。仙花様の人の命を尊ぶお気持ちは極めて貴重であり、手前も痛く感心する所存。されど、斬り捨てたこの野盗どもは、此処らの地で幾たびも人の命と財貨を奪い奴隷として連れ去る「芥藻屑(あくたもくず)」なる集団の片鱗にございます。首に巻く黒い下地に白文字で『下衆』とあるのが何よりの証拠。例え天下の将軍による言葉とて、此奴らを改心させるはまず間違いなく不可能かと…」
お銀の弁解を聞くうち、怒りで上がっていた息が平穏を取り戻しつつある仙花。
「う~む。そのようなこととは知らなんだ。だがのう…」
捨てきれぬ想いを伝えようとした仙花だったが言葉を飲み込み、お銀の言った悪党集団「芥藻屑」のことが気に掛かり意識を切り換える。
「まぁよい。して、その『芥藻屑』の溜まり場に心当たりはあるのか?」
「…..まさかとは存じますが。『芥藻屑』の一団を成敗しようなどとお考えでしょうか?」
質問の内容と口調から察し、質問には答えず聞き返す。
「無論だ。其方の話しからすればその『芥藻屑』とやらを世のため人のためにも懲らしめてやる必要があろうからな。して、知っておるのか?」
お銀は余りにも心変わりの激しい仙花の言葉に少なからず動揺していた。
此処で真実を話してしまえば一行を巻き込んでの大事となることは確定的であろう。
「お銀、少しばかり待っておれ」
なんと答えるべきか思案するお銀に仙花がそう言い、平伏したまま怯えている女子の父母に近づく。
「お主のらの大事な子どもは彼方で保護しておる。行って安心させてやるがいい」
「子ども」に反応した父母が同時に顔を上げ父親が訊く。
「まっ、誠にございますか!?あ、ありがたや、ありがとうございます。差し支えなければ命の恩人である貴方様のお名前を頂戴したいのですが」
「儂か?儂は徳川光圀の娘にして徳川仙花と申す者ぞ」
仙花の言葉を聞き、半ば信じ難しといった表情をした夫婦は互いの顔を向け合い。
「あ、あんた!?」
「おっ、おおう!?」
「ははぁぁ。御無礼を致しましたこと、こ、この通りお詫び申し上げますぅ」
夫婦は違う意味で再び土下座して許しを乞うた。
仙花がキョトンとした顔で言う。
「これこれ、いったい何に許しを乞うておるのだ。そんな無駄なことをする暇があったら早よう娘のところに行ってやるがよい」
夫婦がまたもや揃って顔を上げ、互いに目を合わせ意思疎通を図って立ち上がり、何度も何度もお礼を言い、ようやくその場を離れて娘のもとへと向かったのだった。
喜び勇んで走る夫婦を並んで眺める仙花とお銀。
「一応にして人助けにはなったようだな」
「左様にございますねぇ。仙花様、ここらで一つご忠告させていただいても?」
「なんだなんだ。余り耳の痛くなる話はするでないぞ」
「それは約束出来かねますし続けたく存じます。これから行く先々では名を訊かれる機会も多くあることでしょう。その折は『徳川』の性を出すのは極力お控え下さいまし」
「んん?なぜだ?」
「『徳川』は現将軍様の高貴な性にございます。場合によっては将軍様の名を汚すことにもなりかねますゆえ、恐悦至極に存じますが名乗る場合は慎重にされた方がよろしいかと…」
「…うむ、承知した。それより先ほどの質問の答えを聞きたいのう」
お銀は観念したような表情をして静かに語る。
「…芥藻屑の巣窟は存じております。もちろん手前が答えずとも下総に入れば芥藻屑の悪名は嫌でも耳に及ぶのですが」
「ほほう、そんなに悪名高い奴らなのか?」
「左様にございます。芥藻屑は五年程前より勢力を伸ばし、今や一つの集落を構えるほどに大きな組織となっていると聞いております。仙花様、念のために言っておきますけれど、奴らには手出ししない方が御身の為かと…」
旅は未だ初日で始まったばかり。芥藻屑のことを多少なりとも知るお銀は出鼻から面倒事は極力避けたく、仙花の考えることはとっくに予想できていたが、ダメ元で言ったみたのだ。
「否、手出し無用とは儂の選択肢に在らず」
ダメ元はやはりダメだった。
「真面目に働き平穏に暮らす民を襲う悪党どもなど滅ぼした方が正義に決まっておる。芥藻屑を儂らの手で滅ぼすぞ!良いなお銀!」
「…正義、ですか…仕方、ありますまいねぇ。その意向、確かに承知致しました」
お銀の頭の中でまとまっていなかったのか、首を横に振りながら応じた。
「お主。口にする言葉と動きがあっておらぬぞ」
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