「たっ、度重なるご厚意、感謝してもしきれませぬ。山窮水尽の村にとってはこの上なく有り難き幸せにございまする」
郷六が感謝の意を表して頭を下げると、後ろに居る村人達もこぞって頭を下げ感謝した。
「うむ、大いに有効活用してくれ。おっとそうそう、その巾着袋は儂らが発ち、姿が見えなくなってから開るのだぞ。面倒なことにならぬようにな」
「?…………承知しました…」
仙花の念押しに合点がいかない様子の郷六だったけれど、己がまた余計なことを言ってしまわぬかと危惧しこの場は黙って頷くことにした。
実際のところ仙花の一行が村を発ったのち、巾着袋を開けて中身を見た郷六は卒倒することになる。巾着袋の中には未だかつて目にしたことのない小判が何十枚も入っていたのだから….
それをある程度予測して忠告した仙花が、出発前にずっと注目している村人達へ向かって話す。
「皆の者!よく聴いてくれ!儂らはこれより芥藻屑の巣窟へと進む!百五十人に及ぶであろう敵をたったの五人で相手取れるかとの不安もあるかも知れない。だが、我が父である水戸光圀の名にかけて必ずや賊を一掃し、其方らの大事な者達が村へ帰って来ることを此処に約束しよう!…儂らは賊を倒し、捕虜となった者達を救ったあとはそのまま旅を続け、この村へ帰って来ることはない。これで皆とはお別れだ」
そこまで言い終えると郷六を始めとする村人達は深々と頭を垂れ、中にはその場に座り込み目を瞑り手を合わせて拝む者もいた。
「頑張って生きるのだぞ!さらばだっ!」
別れの言葉を力強く述べた仙花は村人達にサッと背を向ける。合わせて一行の全員も無言で背を向けた。
そして闇夜の中に眼光をするどくさせた仙花が低くうねるように一行の面々に言う。
「芥藻屑の外道共を根絶やしにするぞ」
「畏まりました」
「おう!でござる!」
「は、はいぃ」
「すぴぃ~、すぴぃ~、すぴぃ~」
呑気な居眠り侍の寝息を除き、一行の面々は引き締まった表情をして主人に応え、芥藻屑の巣窟へ向かい足早に歩き出したのだった。
月の照らす夜道を一刻で三里ほど歩いた一行。
ここまでかなりの速さにて順調に進んでいたが、超人的体力を持つ四人とは違い、並々の並体力しか持たない九兵衛に疲労困憊の色が見え始め、堪らず前を歩く仙花に申し出る。
「ゼェゼェ、せ、仙花様…ゼェゼェ、あっしの身体がさっきから休みたい休みたいと、ゼェゼェ、悲鳴を上げているでやんす…ゼェゼェ」
「なにっ!?やはり其方は脆弱だのう…仕方がない、少し休憩を入れるか?」
九兵衛と仙花のやり取りに何か言いたそうな顔のお銀が我慢せずにやはり物申す。
「お言葉ですが仙花様、今は僅かな時間でも惜しい事態にございます。休憩をするのであればあと三里は歩いた時点で一回とるのが妥当ではないかと…」
「…う~む、しかしのう。九兵衛の様子からしてもはや力尽き倒れるは火を見るより明らか。何とかならぬものかお銀?」
「そうですねぇ….」
速さは緩めたものの歩きを止めずないお銀は一考したのち、何かを思い付いたのか悪戯好きの小悪魔のような笑みを浮かべる。
「フフフ…手前味噌ながら我が極上の頭の冴えに惚れ惚れとしてしまいます。仙花様、しばしお待ちを♪」
「おっ!?もう策を追いついたか、流石は『妖の銀狐』だけあるのう」
すると、お銀が何処からともなく、否、どんな仕掛けかは分からないが、袖から何重にも巻かれた縄の束を取り出した。
そしてすぐさま縄の束を解くと、何故だか雪舟丸の背後に回り込み、縄を幾度も彼の上半身に巻きつけ一本の長い縄を引っ張って手放す。
さらには蓮左衞門の背負う荷物の中から藁製の広いゴザを取り出し、雪舟丸から伸びる一本の縄にギュッと結びつけた。
準備が整いドヤ顔で九兵衛に言い放つ。
「さぁさぁ、九兵衛!ひ弱なあんたのためにあたしがわざわざ作ってあげたわよ。あの『居眠り侍引き御座布団』の上で心ゆくまで寝るがいいさねぇ」
お銀がビシッと指差した御座布団は、眠りながら歩く雪舟丸にズルズルと引き摺られ、確かにその上寝れてしまいそうな様相を呈していた。
本当にあの上で寝て大丈夫なのか?と一瞬躊躇った久兵衛ではあったが、己の疲労困憊具合を鑑みて御座布団の上に飛び込む。
「あっ、ありがとうごぜぇやす〜!」
御座布団の上に着地した九兵衛は間髪入れずに寝転んだ。
突如として人一人の荷重が加わり、歩く力量の負担が増えた筈の居眠り侍だったけれど、一度微かに眉間に皺を寄せただけで歩く速さは衰えない。
「おおっ!?凄いではないか!やったなお銀!」
「これにて万事解決といったところでござるな!よかったなぁ九兵衛!」
しかし、仙花と蓮左衞門の喜びの声に反して九兵衛の表情はやや不満げである。
「どうしたというのだ九兵衛。その御座布団に不服でもあるのかえ?」
ややドスを効かせた声色で問うお銀に九兵衛が恐る恐る答える。
「す、すいやせん。ほんのちょっと何でやんすが、こう、道がゴツゴツしていて寝づらいといいやすかぁ…」
「ガガン!!」
「げふっ!!??」
と、道に埋まる岩にしこたま頭をぶつけた九兵衛が泡を吹いて気絶した。
「…フフフ、これで、完璧だねぇ…」
非情な顔で薄笑いをするお銀であった。
気絶したまま雪舟丸に引き摺られる九兵衛を他所に、仙花の一行は早歩きというかほぼ駆けると言っても良いくらいの速さで夜道を進み続け、遂に芥藻屑の拠点があるであろう小さな山の麓に辿り着いた。
黙々と歩き続けていた一行の中でも超人的体力を誇る蓮左衞門が立ち止まろうともせずに声を発す。
「郷六の話しが正しければ、芥藻屑の拠点はもう直ぐでござるなぁ」
一行は此処までの道のりでたった一度だけ休憩を挟み、その際に焼いた馬肉を食して仮眠を少しだけ取っている。
とは云え、夜通し歩き続けたというのに九兵衛を除いた四人は意気揚々としていた。
それは下総の地の大悪党集団芥藻屑との戦(いくさ)を間近に控え気が張っていたこともあろうが、やはりは体力や戦闘力において常任の遥か上を行く四人だからこそである。
不名誉な意味でその四人と一線を画す平民体力しか持ち合わせぬ九兵衛は、藁の御座布団で完全に覆われ、まるで巨大な藁納豆のような姿になり引き摺られていた。
「よし、此処らで九兵衛を起こすぞ。皆の者、歩く脚を止めよ」
仙花の指示でお銀と蓮左衞門が歩みを止めると、最後尾の雪舟丸も自然に脚を止める。
蓮左衞門がゴミのようにボロボロとなった九兵衛の入った御座布団へと近づき、雑に力強く御座布団を引き裂いた。
「おわっ!?」
中の九兵衛の姿を見た蓮左衞門が珍しく驚き後ろへ退けぞった。
何故なら気絶したままの九兵衛の頭には大きなタンコブがいくつもでき、顔面は腫れあがってしまい血だらけとなっていたからなのだが….
化け物でも見たかのように驚いた蓮左衞門が気を取り直し九兵衛の頬をペシペシと叩く。
「九兵衛起きろっ!このままだと出血多量で本当に逝ってしまうでござるよぉ!」
実際のところそこまでの流血量ではなかったけれど、蓮左衞門はあまりの無残な姿を見て動転していたのであろう。
頬を何度も叩かれた九兵衛が腫れた顔を益々腫れ上がらせ、急に意識が戻ったのか上半身をむくりと起こし欠伸する。
「ふぅぁぁぁぁ、よく寝たあぁ…ん!?皆様方、揃い踏みでこっちを見ているようですがぁ、あっしの顔に虫でも止まっているでやんすか?」
「あらあら、なんとも無様ねぇ…」
「…其方、身体はどうもないのか?」
お銀は予想通りの冷めた言葉を贈り、仙花は目を丸くして彼の身体を気遣った。
仙花に訊かれた九兵衛は、座ったまま己の頭と顔に触れて状態を確かめる。頬に触れた際にヌルッとした嫌な感触を手に感じ、恐る恐る視界に掌を入れる。
「なっ!?なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁ!!??」
遥か遠い未来の伝説的な死に際決まり文句を絶叫したのだった。
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