一輪の廃墟好き 第61話~第63話「例の方」

一輪の廃墟好き

「未桜、とても細やかな頼み事があるのだけれど、僕には視えない何かを、僕が視たくない何かを君が見かけたとしてもそこは黙し、よしんば現場検証が済んだあとで伝えてくれないだろうか?」

 例えば、霊感の強い未桜がこの不気味な雰囲気の裏庭で何か視たことを知ったとして、僕はとてもじゃないが焼死体のあった現場を冷静に集中して観察する自信が無かった。

「ハハ…ったくぅ、いいよぉ。たださぁ、さっきあっちで視えた人がこっちを凝視しているんだけどねぇ…まぁあとで詳しく話してあげる」

「っ!?だ、だからそういう情報は後にしてくれと言っているんだ。しっかり人の話しは聞いてくれ。特に雇用主である僕の言葉は聞き漏らさず理解するんだ。あと、そのお方が何処に立っているかは絶対に云うんじゃないぞ」

「ふぁ~い、了解っす」
 
 適当に返事をした彼女の口角が、微妙に上がったのを僕は見逃さない。
 こいつ、此処ぞとばかりに楽しんでやがる…
 
 というか、敢えて口にしなかっただけで何処となく感じてはいたけれど、やっぱり「例の方」がいらっしゃるようで…

 何度も繰り返し云っているが僕はこれっぽちも臆病な人間では断じて無い。しかし、頭脳は人より飛び抜けて良いとしても中身は至って普通の僕である。人の霊や怪異といった非科学的な類のものにはできれば遭遇したくないし、視たくもないのが本心であった。
 
 とりあえず事が済むまでは彼女の目を見るのは避けよう…

 僕は心の片隅でそう決め込み、もはや彼女には目もくれず現場へと足を運んだ。

「ちょっ!?ちょっと待ってよぉ」

「うるさい。さっさと現場を観に行くぞ」

 足早に歩き出した僕に気付いた背後の未桜が慌てふためきついて来る。

 歩いて十歩もあるかないかといった距離の場所に、30年前まで五右衛門風呂の湯沸かしのために使われていた釜戸の姿があった。

 経年劣化は当然している風ではあったけれど、相当頑丈に造られているのだろう、ところどころに表面の欠けた部分が垣間見えるものの、まだ薪を焚べれば普通に現役で使えそうな状態に見える。

 当時5歳の幼児だった淀鴛龍樹は、この場所で釜戸に頭を突っ込まれ燃え上がっていた両親の焼死体を目撃したわけだ…

 その時の彼の精神状態を想像するに、否、大人となった僕が想像するのと、幼児の思考や精神レベルで体験した恐るべき惨状とは果てしないほどの隔たりがあり、比較のしようも無いのだけれども、幼かった頃の彼にとって「トラウマ」となる確率の極めて高い事件だったであろう…

 因みに「トラウマ」とは、個人が持っている対処法では、対処することのできない圧倒的な体験をすることにより、被る著しい心理的ストレス(心的外傷) のことである。
 元々はギリシャ語で「単なる傷」という意味の言葉だったらしいが、オーストリアの精神科医が「精神的な傷」という意味で使い始めたのをきっかけに、ドイツ語圏で広がりそのまま英語となったらしい。

 いずれにしても精神の発達が未熟過ぎる幼児にとって、現実に起きた出来事とは到底思えなかったに違いなかった。

 大人も大人の35歳となった現在では、刑事という特殊な職に就きベテランの粋に達しているであろう淀鴛さん。

 さっき初めて会ったばかりなのだから当たり前なのだが、彼がここまでの30年間をどのように過ごしてきたかのかを僕は知らない。

 だが僅かな時間彼と接した感じからして、容易でない、困難な人生を歩んで来たのだろうと、洗練された顔付きや仕草が物語っていたような気がする。

 きっと淀鴛さんに面と向かって、「大変な人生だったことを察します」などという言葉を投げかけても、「な〜に、俺の人生なんて平凡なもんさ」なんて返ってきそうだけれど…

 僕は極々稀に考えるのだけれど、たまに聞く「平凡な人生」という言葉の中には、「平凡」という平凡な言葉とは裏腹に、想像以上の苦労が秘められていると思えて仕方がない。

 だってそうだろう。

 人がこの世に生を受け、一瞬で消えて無くなるならまだしも、何十年という月日を厳しいこの世界で過ごすわけだから、少なからず個人差はあれど、一人一人に必ずや過酷な時は存在するわけで、誰一人として平坦で平凡な人生を歩んでいるはずもないと思うのである。

 だから「人生なんて平凡だった」などと言えるのは、そんな苦境を乗り切った人だか言えるのであって、もの凄く強い人なのだなと思ってしまう訳で…

 なんてことをコロコロと思考の変わる頭で考えながら、焼死体のあった現場に事件のヒントになり得る物は無いものかと、釜戸の周囲を隈なく探索したのだった…

コメント

タイトルとURLをコピーしました