夢中の少女 6~7話

夢中の少女

[許さない…]

 コイツは車に乗り込み幽体の僕も後部座席に移動する。
 すぐに発車するのかと思いきや、コイツは車のガラス窓を開けて幼い僕を見送っていた。

 どんな表情をして見送っているのかが気になり、一旦車のドアをすり抜け外に出て確かめると…まさかの出来事に僕は愕然とすることになる。

 あり得ない…
 コイツが…あの人でなしで非道だったコイツが涙を流すなんて…
 
 僕の中に複雑な想いが、そして感情がとめどなく湧き出て来る。

 考えたくもないが、もしかしたら、コイツは僅かでも、微かにでも、幼い僕に対する愛情というものが残っているのかも知れない…

 だけど、そんな状況を知らない幼い僕は、一度も振り返ることなくゆっくりと歩き続けている。
 仮に振り向いたとしても、この距離と暗さでは表情など見えるはずも無かったのだが…

 幼い僕の点けている懐中電灯の灯りが、家までの道のりの中間地点くらいに差し掛かったところで、コイツは車のガラス窓を閉めてキーを回しエンジンをかけた。

 幽体の僕は慌てて後部座席に移動する。

 車はなぜかUターンせずに道を先に進んだ。
 おいおいアパートには帰らないのか?
 コイツはさっき「一人でアパートに帰る」と言ったはずだ…

 そん事を考えていると…

「えっぐっ、えっぐっ…」

 コイツは大人泣きをしだした。

 ここでまた幽体の僕は信じられない言葉を聞くことになる…

「ずまない凪…ぼんどうにバガなぢちおやでずまながっだ…」

 …絶句した。
 幽体の僕の言葉がコイツに届くわけもないのだが絶句した。

 大の大人が大泣きしながら鼻水まで出し、良く聞き取れない震えた声で…なにを言っているんだコイツは…

 泣いても僕の心の傷は消えない!消えるわけがない!
 お前はそれだけのことをして来た人間じゃないかっ!
 どんなに惨めな姿で懺悔しても絶対に許さない!
 
 僅かでも、コイツを許してしまいそうな自分に言い聞かせるかの如く心の中そうで叫んだのだった。

 そこから車が山道を20分ほど進むと、一本の外灯だけで照らされている鉄の橋が姿を現す。

 橋の中央に佇むその外灯の下に、泣くをやめて少し落ち着いたコイツが車を止めた。

 車のエンジンを止めると、静かな自然の中で微かに川の流れる音が聴こえる。

 橋の下には川が流れているのか…渓谷に架かかっている橋なのかも知れない…

 コイツが車のハンドルに腕を乗せて突っ伏して呟く。

「お前の元に行くことを許してくれ。香織…」

 …「香織」は、もうこの世には存在しない母の名だった…

[叫ぶ!]

 死ぬ気だ…

 僕はコイツとあの小屋で別れてから、ー週間後に再開することになる…動かなくなったコイツと…
 幼い頃に今の父から聞かされた死因は心臓麻痺ということだった。

 ただ、葬儀の際に死顔を見た記憶が全く無い…ひょっとしたら幼い僕へ大人達が配慮してくれていたのかも知れない…
 もしかして本当の死因は飛び降り自殺だったのだろうか?

 僕は車のドアをすり抜け外に出てて辺りを見渡す。
 鉄の橋はさほど長くは無かったのだが、下を覗くと川が流れており、人が飛び降りればまず助からないと確信を持てる高さがあった。

「ガチャ」

 車の運転席側のドアが開き、コイツが青ざめた顔をして僕のいる方へフラフラと歩いて来る。

 コイツは黙ったまま橋の手摺りに手をかけ下を覗き込む。

「…やっぱりここなら死ねそうだな」

 ここへ下見に来たことがあるのか…

 ダメだ。
 頭が混乱して来る…
 
 あんなに、心底嫌っていたはずなのに、今はここで死んで欲しくないと思い始めている。

 単に人が死のうしているのを目の目の当たりにしたくないのか、それとも、コイツを見る目が変わったのかは判断がつかない。
 でも、幽体の僕に自殺を止める手立てがあるのだろうか?

 コイツが橋の手摺りに片足をかけた。

 もう考えている時間はない!

「こんなとこで死ぬなーーーっ!!!」

 僕は思いついた言葉をありったけの声を出して叫んだ!

 しかし、コイツは2mほどの至近距離から叫んだのにも関わらず全く気付かない様子で動きを止めない。

 遂に両足を手摺りの上に乗せ真っ直ぐ立ってしまった。

 必死で何度もその両足を掴もうとするが、僕の手は両足を掴むどころかすり抜けるだけで触れることすらできない。
 
 何か止める方法はないのかよ!

 僕は橋の外側に出て足場の無い宙に浮き、現状でやれそうなことを考えようとするが何も思いつかない…
 
「途中までは良い人生だったんだがな…」

 コイツはそう呟くと観念したかのように瞼を閉じる。
 そして橋の外側に首をたれて真っ直ぐに倒れて行き、両足が手摺りから完全に離れてしまった!
 
 ここで僕は無意識にあり得ない言葉を口に出す!

「お父さんっ!!!」

 叫んだ瞬間!
 コイツが僕の方に顔を向け瞼を開けて目が合った!?
 だがその目は直ぐにまた閉じられ、コイツの身体はそのまま落下して行った…

「ゴギャン!」

 川はそれほど深さが無かったのだろう。
 落下した身体が大地に叩きつけられる嫌な音が…静か過ぎる暗い渓谷に鳴り響いたのだった…

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