[宝城薫(ほうじょうかおる)]
翌日の朝、いつものように真琴さんに起こしてもらい朝食を摂って人力車の方へ向かう途中、汗を掻きながら木刀で素振りをする師匠を見かける。
あんなに強いのに日々の鍛錬を怠らないものだな…
「おはようございます師匠!朝食抜きで鍛錬ですか!?ご精が出ますね!」
「おはっ!?なにっ!?…しまった。長旅の所為で朝食があるのを忘れていた…さらばだ司!」
師匠は素振りを即座に止めて朝食を目掛けてすっ飛んで行った。
なんだ、朝食は忘れていただけか…
「お嬢様~!お早くお願いします~!」
俥夫の伊達さんが門の近くから呼んでいる。急がねばまた昨日のような想いをさせられてしまう!
「伊達さん、今朝は時間に余裕もあるので普通の速度でお願いしますね」
「分かってますよぉ、お嬢様」
伊達さんはたまに鬼のような速さで人力車をひくのが減点対象だけど、それ以外は石に突っかかったりすることもなく、人柄も良くていい腕をした俥夫だと思う。
朝から騒がしい教室に到着し、隣の席に座る親友の千歳と挨拶を交わしたあと、昨夜から話そうと決めていたお見合いの件を話す。
「千歳~、昨日のことなんだけどね。わたしにも遂にお見合いの話しが浮上したわ」
「へ~、良いじゃない良いじゃない!で、どんな人なの?」
千歳はニッコリと微笑み、我が事のように喜んでくれているように見える。
「医者で二枚目の上、剣道にも通じているらしいわ。あっ!そう言えば名前とかまだ訊いてなかった」
「オホホホ、初めてのお見合い相手が医者で二枚目ですって!?男勝りな加賀美さんが気に入っていただけると良いですわね~」
高笑いをしてそう言ったのは千歳ではなく、後ろで密かに聴いていたらしい高飛車な女を地で行く宝城薫!
しかし、よりに寄ってこの学級で一番知られたくない人に聴かれてしまうとは…ここは一つ!
「宝城さん!盗み聴きをした上にそんな酷いことを軽々しく口に出せるその図太い神経は流石ですね!」
わたしが皮肉を込めてそう言い放つと、宝城さんの表情が一瞬だけ固まったあと、目を細めてこちらを睨みながら口を開く。
「オ!?オホホホ、そんなに褒めてくださらなくても結構よ~加賀美さん。それよりも、お見合いに関しては経験豊富なこのわたくしが、あなたに助言をして差し上げても良いですわよ~」
褒めてはないですけど…
確かに家柄からして宝城さんならお見合い経験が豊富なはず。しかし、この高飛車女から助言を受けたとなると後々面倒になりそうな気もするし…
[狼狽する]
「あらぁ、朝から何をそんなに楽しそうな雰囲気で話してらっしゃるのかしらぁ?」
げっ!?花山玲子!
もう一人の厄介者が現れてしまった。
彼女は宝城さんほど高飛車女で口は悪くはないけど、属性は彼女とそんなに変わらないとわたしは踏んでいる。
「聞いて驚きなさいな。この加賀美さんが遂にお見合いをなさるそうよぉ!」
なっ!?宝城さん!?わざと教室中に聞こえるような大きな声で!?
わたしが狼狽え周りを見渡すと、教室内の全女学生がこちらに注目していた。
「ほ、宝城さん。なぜそのようなことを?わたしに何か恨みでも?」
だ、だめだ。このままだと怒りに任せて宝城さんに手刀をお見舞いしてしまいそう…
「ガラガラガラ!」
「はい!皆さん席に着いて~!点呼を取るわよ」
神楽坂先生が教室に現れて、宝城さんを始め全女学生がバタバタと席に着く。
先生、今だけはあなたが天使に見えます。
危なかったぁ。
もしあのままだったら、宝城さんに手刀を入れて気絶させしまうところだった。そんなことを学校内でしてしまえば事件になっていただろう…
しかし、やってくれたなぁ。宝城さんめ~。
この学校の授業に剣道があれば公然と打ちのめしてやれたのに!
事件になるのを避けることはできたけれど、わたしの怒りはなかなか収まらない。
感情が顔に出ていたのだろう。神楽坂先生がわたしを見て話しかける。
「加賀美さん、そんな怒った顔をしてどうしたの?」
まさか真実をそのまま言うわけにもいかない。
「いえ、何でもありません。先生、わたしのことはお気になさらず点呼を続けてください」
「大丈夫なのね?…分かったわ。はい!じゃあ続けるわよ」
午前中の授業が終わり、昼食時には宝城さんへの怒りはとっくに収まっていた。
この立ち直りの早さがわたしの長所でもあるのだけれど…
教室の中心を見るといつものように宝城さんと花山さんの周りに人が集まり、会話をして騒がしくお弁当を食べている。
「司、あの宝城さんにも困ったものね。今朝のあれは酷かったわ。さっきは結構怒ってたみたいだけど今は大丈夫?」
顔を突き合わせてお弁当を一緒に食べている千歳が気遣ってくれた。
「ええ、もう大丈夫よ。心配してくれてありがとう。でも宝城さんには一言釘を刺しておくわ」
今朝は不安に思うお見合いのことで動揺してしまったけれど、剣士たるものいつ如何なる時や場所でも冷静でなければならない。
怒りが表に出るのはまだ未熟な証拠。
しっかりするのよ!加賀美司!
わたしは自分自身に喝を入れ、宝城さんと花山さんのいる集団の中に歩いて行った。
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