[猫の名は]
「お母さん!子猫!子猫がどこに居るか知らない!?」
ダイニングキッチンに駆け込み直ぐに訊いた。
「何をそんなに慌てているのよ。ほら、お父さんを見てみなさい」
「ん!?」
父を見ると、子猫を腕に包み込むように抱き哺乳瓶でミルクを与えていた。
子猫は美味そうにグイグイとミルクを飲んでいる。
「良かった~、でもどうしてここに子猫が居るの?」
子猫が自分で部屋のドアを開けてここまで来たとは到底思えない。
「あなたがベッドで熟睡しているあいだにドアの近くでこの子が鳴いているのが聴こえたから、お母さんがドアを開けてここに連れて来たのよ。お腹が減ってたみたいよこの子」
「そうだったんだ…全然気づかなかった。ありがとう」
「見てみろ、この子は飲み方も可愛なぁ」
父は可愛くて仕方が無いのか、まるで我が子を見るような目をしてご満悦のよう。
「あのさ、猫を飼うのっていつ決まったんだよ。家族で知らなかったの僕だけでしょ」
「フフフ、真は元々猫好きだから驚かそうと思っていたのよ」
少し不貞腐れていた弟は母に言われて今度は照れだした。
「そりゃそうだけどさ~…お父さん、それ僕にもやらせてよ」
「お、いいぞ。じゃあ子猫ちゃん、お兄ちゃんのところに行っておいで」
父が弟に子猫と哺乳瓶を渡し、弟が嬉しそうにミルクを飲ませる。
「子猫ちゃんは大人気ね~。でもみんな、夕飯が冷める前に食べてね」
テーブルに料理を並べ終わった母がそう言って、わたしと父は「いただきます」して料理を食べ始めた。弟も子猫がミルクを飲み終わり、子猫を床に降ろして食べ始める。
「サリ、この子の名前は決めてあるのかい?」
わたしが口いっぱい肉じゃがを詰め込んでいる時に父が訊いてきた。
「んぅ、むぅだきめぃてぇぬい」
「そうか。まだ決まってないんだな」
…良く分かったわね。お父さん。
「サリ、あなたのパートナーになるのだから、あなたが決めた方が良いわよ」
母にそう言われて頭に浮かんだ名前があるけれど、安易に決めると後々後悔しちゃうかな…でも言うだけ言ってみるか。
「キイチゴのラズベリーから取って、『ラズ』って名前はどうかな?」
「あ、僕それ賛成。可愛いのと格好いいのが混ざった感じだし、二文字は呼びやすいしね」
意外にも弟がいの一番に肯定してくれた。
「うん、良いんじゃないか」
「そうね、『ラズ』で良いんじゃない?」
おお!一分と掛からず子猫の名前が決まってしまった。
「じゃあラズで決まりね!おいで~ラズ」
わたしは箸を置いて、足に擦り寄って来ていた子猫を抱きあげて顔を覗く。
「今日から君の名はラズよ。では改めまして、ようこそ黒川家へラズ君♪」
[緊急家族会議]
その夜のうちに緊急の家族会議が開かれ、今後のラズの世話をどうやって行くかを話し合った。
黒川家の家族会議は父では無く、なぜかいつも母が仕切る。性格上、母の方が適役であるのは父を含めた全員の総意。
「じゃあ始めるわよ。まずは…」
「あっ!ちょっと待ってお母さん。これ、今朝預かったお金。封筒の中は全額入ってますのでお返ししておきます」
ペットショップで猫を買って使うはずだったお金は、ラズが現れてくれたお陰で結局一円も使わなかった。だから返しておかなきゃね。
「まあ、これからラズのために色々必要になるからね。このお金は備品や餌代に使いましょう。お父さんとお母さんの稼ぎから出してあげる」
おお!太っ腹!だけど社会人となった今、親の厚意をそのまま受けてしまっても良いのだろうか?
「ん~それは余りにも甘え過ぎだと思うから餌代は給料からわたしが出すよ」
子供の頃には言ったことの無い言葉。わたしも成長したじゃないか!偉い偉い!自分で自分を褒めていた。
「ふ~ん。後悔しても知らないわよ」
母が微笑を浮かべて嫌なことを言う。
「失敬な!後悔なんてしないわよ。ラズのためなら全然問題無い」
犬と比べると猫の餌代は比較的安いということは調べてある。わたしの給料でも払って行けるはずだ。
「じゃあ、サリは明日からまた仕事だろうから、必要な備品やミルクはわたしが買って来るわね」
「何だかお母さんに任せっきりで悪い気がするな。僕にできることは無いかい?」
黙っていた父が率先して負担を請け負う役割を求める。
「あなたは仕事で忙しいだろうから、時間のある時にミルクを飲ませてくれればそれで良いわ」
「分かった。そうさせて貰うよ」
「あっ!それならラズの糞やおしっこは僕が片付けるよ」
弟も負けじと?名乗りを上げる。
こんな感じで話合いは進んで行き、それぞれの役割も分担も決まり、1時間ほどで家族会議は終了した。
うちの家族って意外に協力的なところもあるんだなぁ…
母がわたしと弟が赤ん坊の頃に使っていたクーファンを物置から引っ張り出し、中にマフラーを入れてラズの簡易な寝床を作ってくれた。
家族全員に就寝の挨拶を済ませ、そのクーファンを手に取って自分の部屋に入る。
ベッドの横にクーファンを置き、暫くラズと一緒にベッドの上で過ごした。
「ラズ~、君は何て可愛いのぉ」
YouTubeで観ていた子猫達よりも、やっぱり実物の方が断然可愛く、食べてしまいたほど愛おしく想える。
でも今日のラズとの出逢いって、よくよく考えてみれば凄い奇跡なのよねぇ。何もかもがタイミング良くいかなければラズとの出逢いは無かった訳だし…
わたしは気持ち良さそうに眠るラズをクーファンに入れ、今日一日の出来事を頭の中でリプレイしながら眠りについたのだった。
[休み明けの出勤]
今朝もいつものように目覚まし時計の音で目を覚ます。
すぐさまベッド横のクーファンに目を向けると案の定ラズの姿が無い。
昨日の件もあったので慌てずにベッドから起きてダイニングキッチンへ向かった。
「おはよう」
「「おはよう」」
両親と挨拶を交わす。弟はまだ寝ているようだ。
わたしの思っていた通り、父が新聞を読みながらラズを抱いてミルクを飲ませてくれている。
「お母さん、やっぱりラズはわたしの部屋で鳴いてたの?」
「そうよう。わたしが起きて部屋を出たら、ラズの小さな鳴き声が聴こえたから連れて来たの」
小さな鳴き声とはいえ、それに気付かないわたしの睡眠の深さって…
「なんだか申し訳ないなぁ」
「ラズに手が掛かるのは暫くのあいだだけよ。猫の成長は早いから直ぐに手も掛からなくなるわ。それより早く食べて出ないと遅刻するわよ」
おっと、そうだ早く食べないと!
ミルクを飲む可愛いラズの姿を見ながら朝食を口に掻き込んだ。
朝食を食べ終わりバタバタと支度を済ませ玄関で靴を履く。
すると母がラズを抱いて玄関まで見送りに来てくれた。
「ラズ~、また夜に会いましょうね。じゃあお母さん、申し訳無いけどお願いします」
ラズがもう少し成長するまでは、誰も居ない家に放置しておく訳にも行かない。だからそういう場合は動物病院で預かってもらうことになっていた。
昨晩の家族会議で母から聞いて知ったのだけれど、わたしが昨日行った[田中動物病院]の経営者は母の昔からの友人で融通が効くらしい。
「オッケー、あとはわたしに任せて。行ってらっしゃい」
「うん、ありがとうお母さん!じゃあ行ってきま~す!」
休日明けのブルーマンデー的な憂鬱さは全く無い。わたしは元気よく家を出発して、職場のやしあか動物園へと向かう。
駅から動物園に続く坂道を歩いていると、担当を任されている動物達のことが頭に浮かび、「早く会いたいなぁ」という気持ちが湧き上がって来た。
もしかすると、担当を任されている動物達にも愛着を持てるようになったかも知れない。
会えない時間が愛を育てるように…なんつって~。
などと考えているあいだに事務所に着いた。何故だろう、たった一日空いただけなのに久しぶりに来た感覚がする。
ドアを開けると相変わらず飼育員の人達が早々と仕事を始めていた。
妖怪って元々は自由奔放に過ごして来たはずなのに、ルールや労働という縛りのある世界に自ら飛び込んで来ている。
しかも結構まじめに働いているから驚かされるのだ。
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