「梅小路様の件は本当に申し訳ありませんでした。司様」
使用人の真琴さんは20歳。清楚でなかなかの美人さん。どちらかと言うとわたしと正反対のタイプかな…
歳下のわたしに立場上敬語を使ってくれている。
「良いですよ真琴さん。もうあの方に関しては半ば諦めてますから」
だってあの方にはわたしがいくらが言っても効かないし、根性だけは男前で正直お手上げ状態です!
「真琴さん、わたしは部屋に戻って汗を拭いてから食事しますね」
「畏まりました」
わたしの家は、と言うかお祖父様の建てたお屋敷は、この時代には滅多にお目にかかれない西洋風のお屋敷になっていて、しかも複数の部屋があり、それぞれの個室まで造られていた。
加賀美家はお祖父様の意向で、日本全体の中でも西洋文化をより早く取り入れるお家柄なのである。
部屋に着くと道着と袴を脱ぎ捨て、身体のべったりとした汗をタオルで拭き取った。
「ああ、お風呂が沸いていればゆっくり入りたかったのに…」
加賀美家のお風呂は、銭湯の改良風呂と同じ技術で造られており、浴槽に浸かることができる。
一般階級の人達は皆、お風呂と言えば銭湯に通っていたのだ。
部屋の箪笥の着物はよそ行きの物しか無く、普段着は全て洋装しか無かった。因みに学校へ行く時は、統一された着物に袴姿になっている。
なので、洋装に着替えて加賀美家の食卓へ向かった。
洋間には、白いテーブルクロスの掛けられた長方形の大きな木製テーブルに、10人が座る椅子が置かれている。これが加賀美家の食卓。
そこには既に家族全員が揃っていた。
高明な医者で権威のあるお祖父様の
加賀美智三郎(かがみちさぶろう)。
その妻でお祖母様の加賀美キエ。
婿養子で医者であるお父様の加賀美健史(かがみたけし)。
その妻でお母様の加賀美京子。
わたしを含めたこの5人でいつも夕食を摂る。
料理は全て使用人が作って運び、家族の誰かが動くことは全く無い。
本当に上流階級で優雅な暮らしだったけれど、わたしはこの暮らしが少し苦手だった。ついでに言ってしまうと女性らしい振る舞いや言葉遣いも苦手。
実の父である沖田総司の人柄は、無邪気で陽気だったと母から教えられていたので、父の血がそういったところに出ているのだろう。
この時代は料理の内容もにも変化が見られる。
一般家庭ではまだ和食だったけれど、上流階級の家庭では西洋料理が食卓に並ぶようになり、加賀美家でも半分くらは西洋料理を食していた。
文明開化という言葉が生まれるだけあって、日本の文化が著しく変化した時代にわたしは生きている。
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