[元気づける]
外のベンチにアズキさんがちょこんと座り、約束通り待っていてくれた。
「お待たせしました。アズキさん」
「ううん、全然大丈夫」
わたしはアズキさんの横に座ったけれど、黙っているので暫く沈黙に付き合う。
事務所のある場所は小高い丘の上で、やしあか動物園をパノラマみたいに見渡せる。閉園された動物園は夕暮れ時と相まって、どこか異世界的な雰囲気を醸し出していた。
沈黙していていたアズキさんが話し出す。
「さっきは急に泣き出してごめんね。でも、本当に紗理っちの言葉が嬉しかったんだぁ」
「いえいえ、大した事は言ってません。本当に感謝してるから言ったまでです」
「でもね。初めてだったんだ。あんな風に言われたのは…ほら、わたしの仕事って裏方で地味でしょ。しかもずっと一人で黙々とやってるから他の人との会話も無くてすご~く孤独感があるの」
「えっ!?作業服って毎日たくさんの量があると思うんですけど、それを一人で洗濯してるんですか?」
「フフフ、洗濯は得意だからそれは問題無いよ。と言うか大きな全自動洗濯機を使ってるかね」
小豆洗いだけに川で手洗いする姿をちょっとだけ想像してたけれど、やっぱりそんな非現実的なことは無かった。
「でも一人だと休みが取れなくて大変ですね」
さっきまでの表情とは打って変わって元気になったアズキさんが答える。
「わたしの場合、休みがあっても特にやる事ないからそれはそれで良いのよ。ま、まぁ友達や彼氏~的な人が居れば別だけどね」
もしかしてアズキさんは友達や彼氏が欲しいのでは?
「あの、わたし昨日の歓迎会のあと、リンさんとコウさんの三人で女子会的な呑み会やったんですけど、もし機会があればその時にアズキさんを誘っても良いですか?」
そう提言するとアズキさんの目が輝き出した。
「本当に良いの!?嬉しい!実はわたし昨日の歓迎会でも一人だけ浮いてて、ずっと一人で呑んでたの」
そう言えばカクテルバーでシラユキさんも一人で呑んでたなぁ…まぁその時はわたしも一人だったけれど。
他にも孤独な女性は居るかも知れない。
こんなわたしでも元気付けることが出来たようで、お別れの挨拶をしたあとアズキさんはスキップしながらやしあか寮の方へ向かって行った。
気付けば辺りは真っ暗に成りつつあり、事務所に戻っても誰も居なかった。
そのまま事務所を出て駅に走って行こうとすると。車のクラクションが鳴った。
久慈さんは待っていてくれたみたい。
わたしを車に乗せて駅まで送ってくれた。
[黒川家の一家団欒]
「はぁ、今日も色々あったなぁ」
帰りの電車に乗って椅子に腰掛けると自然にため息が出た。
おっと、この電車に乗っている間に動物の勉強をしないと!リュックから動物図鑑を取り出し集中して読み込む。
担当していない動物のことも学ばなければ!なになに、フラミンゴが赤いのは餌が原因ですと!?赤ちゃんは産まれた時は白い!?なぜ片足で立つのか!?
頭の中はこんな感じで勉強していると、あっという間に駅に着いた。
駅からは駐輪場に止めている自転車で自宅まで帰る。
自宅に明かりが灯っているのが見え、たった一日しか空けてないのに何だか懐かしく感じた。
家の前まで着くとカレーの食欲を唆る香りが漂って来る。お腹減った~。
玄関のドアを開けて自転車を中に置く。
「ただいま~!」
「「「お帰り~」」」
父と母と弟の三人は揃ってダイニングキッチンに居るようだ。
「お母さんお腹減った~!今日はカレーでしょ。早く食べたい」
家に帰るとホッコリとして、ついつい子供のように振る舞ってしまう。
「ちょっと待ってて~、今準備するから」
母はキッチンに立ち、父はお茶を飲みながらテレビを観ている。
ついでに弟はテレビを観ながらゆっくりとカレーを食べていた。
「はい、召し上がれ。久々に母自慢の特製カレーよ」
母の言う「自慢の特製カレー」は、スパイスの調合から研究を重ねて作り上げているもので、時間と労力を掛けただけあって本当にスペシャルな美味しさ。
因みに一切魔法は使われておりません。
「いっただきま~す!」
んふ~!相変わらずの美味さ!流石は母上!恐らく今のわたしの顔はだらしなく緩んでいることだろう。だけどここは我が家だ!何の問題も無い!
「サリはいつも美味しそうにして食べてくれるから嬉しいわぁ♪」
母が椅子に座りテーブルに肘を着けニッコリとしてそう言った。
「だって、モグモグ、本当に、モグ、美味しいんだもん」
「…飲み込んでから話しなさい。でもありがとう。それに比べて真は顔色一つ変えずに黙々と食べるからねぇ」
母がそう言って弟の真に視線を送る。
「何言ってんだいお母さん。僕だってちゃんと美味しいと思って食べてるよ」
弟は不本意だと言わんばかりの表情でそう返した。
「やっぱりサリが居るとうちの中が明るくなるなあ」
テレビを観ていた父が会話に参加する。
「あっ!そうだ!いつかやしあか動物園の中にある食堂に家族で行こうよ。めちゃくちゃ腕の良い料理長がいるんだよねぇ」
「ほう、サリがそんなに言うならよっぽど美味しいんだな?」
「もちろん!わたしが保証してあげる」
こんな感じでわたしは一家団欒を楽しんだのだった。
[魔女秘伝の入浴剤]
お風呂を沸かしていたらしく、湯加減を見に行っていた母がバスルームから戻って来る。
「サリ、お風呂が沸いたから先に入っちゃって」
「は~い」
我が家ではお風呂に入る大まかな順番が決まっていて、いつも一番風呂にはわたしが入っていた。
「ご馳走様~。じゃあ、お風呂に入って来るね」
特製カレーで満腹になり少しゆっくりしたいところだけど、あとが詰まっているのですぐさまバスルームに向かった。
服をサッと脱ぎ捨てシャワーで身体を洗い流し湯船に浸かる。
「たはぁ~、熱々で気持ち良い~♪…あっ!入浴剤を入れなきゃ」
我が家のバスタブは普通なのだけれど入浴剤は特別な物を使用していた。
祖母から魔女の血を受け継ぐ母が、その祖母以前の代から受け継がれている魔女秘伝の入浴剤。
バスタブの端に置いてある入浴剤の入ったガラスの小瓶を手に取り、粉末なので上からパラパラとお湯に振りかけると、透明だったお湯がみるみるうちに薄い紫色に変わって行った。
魔女秘伝の入浴剤には「秘伝」というだけあって素晴らしい効果がある。
ハーブを何種か上手い具合に混ぜてあるのでもちろん香りは良い。
身体的疲労は和らげるだけでなく、実際に疲れで重くなった身体が軽くなって行く。
さらに、母とわたしにしか意味はないけれど魔力の回復までしてくれるのだ。
わたしの代で入浴剤の伝承を終わらす訳にはいかないので、いつか母から受け継がなければならないだろう。
ゆったりと湯船に浸かりながら、やしあか温泉ではしゃいで泳ぐ自分の姿を想いだし、客観的に考えると恥ずかしい気持ちが湧いて来た。
うんうん、温泉で泳ぐのはアレで最後にしておこう…
家族の順番もあるのでそう長くは湯船に浸かっていられない。
風呂から上がり身体を拭いて準備していたパジャマに着替え弟に呼びかける。
「しーん!上がったわよ~」
「わかった~!」
弟はしっかり者だけれどお風呂だけはなかなか入ろうとせず、時折父に急かされることがあった。次の人のことを考えて早く入れば良いのにといつも思う。
ダイニングキッチンに戻ると母がいつものように皿洗いをしていた。
アズキさんと話したことを思い出し、母の横に移動してスポンジで擦ったあとの食器を水道水で洗い流し黙って手伝う。
「サリ!?どうしたの?」
普段はしなかった皿洗いの手伝いをしたので母は驚いたのだろう。
「お母さん、いつも家事してくれてありがとう。これからはわたしも出来る限り家事を手伝うよ」
「熱でもあるのかしらねぇこの子は…でもありがと」
母は静かに喜びの表情を浮かべていた。
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