[歓迎会のあとで]
このまま呑み続けたら潰れてしまうかも知れない。そろそろ帰った方が良いかも。
「久慈さん、わたしは酔い潰れる前に帰りますね」
「わかっ…」
「ダメよっ!今夜はあたしに付き合ってもらうわ。紗理っち」
泥酔状態とまではいかないけれど、それに近い状態のコウさんがわたしを引き留めた。
コウさんの横に居たはずのジンさんの姿は消えている。
「え、でも、このまま呑んだら酔い潰れそうですし、帰りの電車もありますから…」
「そんなの…あたしの部屋に泊まれば良いじゃない。そうだ!リンを呼んであたしの部屋で呑み直しましょうよ!」
コウさんの部屋って、あの普通のマンションっぽいやしあか寮だよなぁ…親交を深める良い機会ではあるか。
「じゃあ、お言葉に甘えて今夜はお付き合いさせていただきます!」
「そう来なきゃねぇ。リンはどこに居るかな~。あっ!居た居た。お~いリ~ン!」
行動早っ!呼び掛けられたリンさんは壇上の近に居て、歓迎会の司会をしていた副園長のテグンさんと話している最中だった。コウさんの呼び掛けに気付き、副園長にお辞儀してこちらに走ってやって来た。
「なになに何か用だった?
「紗理っちとあたしの部屋で呑み直そうって話をしていたのよ。リンもどうかしら?」
「おっ、良いわねぇ。わたしはもう少しここでやらなきゃならない事があるから、二人で先に行って呑んでてくれる?」
「飼育員のリーダーも大変ねぇ。先に行って待っているわ。紗理っち、ここのワインを何本か持っていくわよ」
「あ、はい!でもその前に一本電話を入れさせてください」
「良いわよぉ。早く済ませてね~」
両親に歓迎会のことは伝えていたけれど、泊まって来るとまでは言っていない。心配を掛けるといけないから電話だけはしておこう。
テーブルから離れて母の携帯にかける。3回目の呼び出し音が終わる前に母は電話に出た。
「もしもし、サリ?」
「あ、お母さん。いま大丈夫?」
「いいけど、歓迎会はもう終わったの?」
「うん、歓迎会は終わったんだけど会社の先輩に誘われて、その先輩の住んでる寮で呑むことになったんだけど良いかな?」
「…その先輩はもちろん女性よね?」
「もちろんよ!男性だったら断ってる」
「そう、なら良いわ。でも時間が時間よね。今夜はその寮に泊めてもらえるの?」
「うん、先輩の部屋に泊めてくれるって」
「…分かったわ。くれぐれも呑みすぎないようにしなさいね。じゃあ切るわよ」
「うん、ありがとうお母さん」
ふぅ、一人暮らしをしていれば親への連絡も不要になるだろう…いつかは一人暮らしもしてみたいなぁ…
[やしあか寮]
コウさんの待つテーブルに戻ると、赤ワインのボトルを5本も抱きかかえて座っていた。
「お、来た来た来たぁ。紗理っちぃ、あたしの部屋に移動するわよ~」
かなり陽気でご機嫌な感じのコウさん。
移動する前に久慈さんに挨拶だけはしておこう。
「久慈さん、お疲れ様でした。今日はこれで失礼しますね」
「うん、お疲れ様。じゃあまた明日」
そう返した久慈さんは、モン爺さんとトメさんの三人で会話が盛り上がっていた。
わたしはコウさんの持つワインボトルを2本預かり、一緒に賑やかなやしあか食堂を出る。
外にはまだ動物系の妖怪達が半数以上残ってお酒を呑んでおり、その中にはサトリさんの姿もあった。魔法の効果切れが少し心配だけれど…一応話してあるし、まあ大丈夫でしょ。
月明かりでなんとか見える暗い林の中を抜けて、普通にマンションの様相を呈すやしあか寮に着いた。
園内の敷地に在るためかオートロックにはなっていない。性別による境界線的な概念はやしあか寮にはなさそう。
ここに来るまで鼻歌を歌い続けていたコウさんが話す。
「あたしの部屋は401号室、角部屋よ~フフ~ん良いでしょ~」
「は、はい。やっぱり部屋を選ぶなら角部屋ですよね。窓の数は多いし、お隣さんとのリスクも半減しますから」
「わかっているじゃない紗理っち~、そこのエレベーターに乗って行くわよ」
やしあか寮はオートロックさえ備えていないものの、一般的なマンションと比べても綺麗で設備も整っているようだ。
エレベーターを降りて廊下を真っ直ぐ突き当りまで歩くと401号室に着き、コウさんがバッグからカギを取り出しドアを開ける。
「さ、入ってぇ、ここがあたしの棲家だよ」
部屋の中に入った瞬間、さわやかな良い香りが漂って来る。
「おじゃましま~す。うわぁ、凄く良い香りがしますね」
「あ、わかる?あたし最近アロマテラピーにハマっていて、アロマディフューザーをずっとつけているの。これは[ゼラニウム]っていうアロマオイルを使っているのよ」
「ふ、ふ~ん、そうなんですねぇ」
コウさんが嬉しそうな顔をして丁寧に説明してくれたけれど、立て続けに横文字を使って話されるとなぜか脳が拒否反応を起こす。わたしの曾祖母は外人だというのに…
玄関から靴を脱いで廊下に上がり、正面の木製のドアを抜けると、思いの外広いダイニングキッチンになっていた。
ダイニングキッチンの中央には白い長方形のテーブルと4人分の椅子が置かれ、入って左側に冷蔵庫とキッチンが並んでいる。
キッチンにガスコンロが無いのに気付いて訊いてみた。
「この寮って、もしかしてオール電化になってます?」
「そうよ~。しかも寮の屋上にはソーラーパネルがビッシリ設置してあって、停電があっても暫くは大丈夫なように大きな蓄電池まであるらしいわ」
最先端のマンション並みじゃないか…やしあか寮恐るべし。
[ワインのおつまみ]
「そこの引戸を開ければ、あたしの個室兼寝室があるけれど、呑むのはここで良いわよね?」
「も、もちろんです。わたしはどこでも構いません」
寝室で誤ってワインを溢ぼしでもしたら、きっと恐ろしいことになるだろう。
まだダイニングキッチンの方が対処し易いし呑み易い。
5本のワインボトルをテーブルに置き椅子に腰掛ける。
コウさんが素手でワインボトルの栓をスポンスポンと立て続けに2本開けた。
「はい、紗理っち。お酌はセルフで呑みましょ」
「すみません、ありがとうございます」
「あら、あたしとした事がおつまみ持って来るのを忘れちゃったわねぇ。冷蔵庫に何かあったかしら」
冷蔵庫を漁り出したので、その間にコウさんと自分のワインをグラスに注ぐ。
「あったあったプロセスチーズとスライスチーズ!でもこれだけじゃ全然足りないわね」
コウさんはそう言うと、バッグからスマホを取り出し誰かに電話をかけた。
「あ、リン?ごめん!あたしおつまみを持って来るのを忘れちゃって…うん…そう…悪いわね…じゃあ待ってるわ」
電話の終わったコウさんがニッコリと笑顔になり、冷蔵庫から取り出したチーズをテーブルに置きながら言う。
「今からリンが料理の残り物か何かを集めて持って来てくれるそうよ」
「さすがリンさん!それは助かりますね」
お腹は結構膨れているけれど、やしあか食堂の料理ならまだまだいけちゃいそう。
「さて、リンが来る前に話しでもしながら呑むわよ~。紗理っちの方からあたしに質問したい事とかないかしら?」
おっと、いきなり質問コーナーですか…たくさんあり過ぎて困ってしまう。でもやっぱりアレしか無いでしょ!アレを訊かずして何を訊くと言うのか!
「あの、ジンさんとの関係性とか訊いても良いですか?」
しかし、これが大きな間違いだった。
薄らと微笑を浮かべたコウさんは、ジンさんとの最初の出会いから話し始め、わたしが口を挟む隙が無いほど延々と話し続けた。
話を聞いているとその重い話のオンパレードにわたしの心が疲弊してして行く…
30分後くらいにリンさんがダンボール箱を持って部屋に入って来た。
「今晩は~!お待たせ~!カギが開いてたわよ。無用心ね~!」
「なっ!?タイミング悪いわね!リン!いま話がノリに乗っていたところだったのよ!」
話を中断されたコウさんは不機嫌な顔になったけれど、わたしには天界から舞い降りた救いの女神にしか見えなかった。
「それはさておき、おつまみになりそうなモノを持って来たわよ」
リンさんはダンボールに入っている料理やおつまみを取り出し、テーブルに次々と並べて行った。
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