水中に半身が沈んだ瞬間、有頂天に飛び込んだ僕は「ハッ!」として目を見開く!
「ブゥオボボッ!?」
温泉の底が予測していたよりも浅かったため、僕は慌てて両の掌でタイル張りの底を叩き直撃を免れた。
「プゥハァッ!!」
水面に顔を出し、大きく息を吐いてすぐさま酸素を取り込む。
「ふぅ…危ない危ない、もう少しでこの綺麗な温泉水を赤い血で染めてしまうところだ…」
もしそんなことが起きてしまったら残りの旅行気分は粉々に崩壊してしまうだろう。
大人気なくはしゃいでしまったことを後悔した。
だがもちろん、後悔と反省たる思考は一瞬で捨て去り、僕は気持ちを切り替えて温泉に浸かりゆるりと浸った。
おっとそうだ、温泉と言えば身体への効能がどのようなものなのか気になるところである。
程良い温度の湯に肩すれすれまで浸かりつつ、首を動かすと木製の看板らしきものが直ぐに見つかった。
どれどれ。
「冷え性に自律神経、美容に健康…至って普通というか、こんな効能ってどこの温泉でも得られるんじゃないのか?…ん!?」
湯気で見えていなかった看板の文字を確認して僕はにわかに固まった。
箇条書きされた効能の最下段に書かれていたのが、「育毛改善」という温泉の効能としては初めてお目に掛かるものだったからである…
温泉の効能で「育毛改善」なんぞ本当にあり得るのだろうか?
薄毛で悩んでいる人からすれば、きっと試さずにはいられないであろうビックリな表情ではあるが…
冷静になり、近づいて何度か読み直したけれど、やはり「育毛改善」と書いてあることに間違いはない。
しかし、僕は自分の髪に対してこれといって悩みがある訳でもなく、むしろ普通の人よりも髪が多くて伸びも早いくらいである。
ん!?待てよ…謳われているのは「育毛改善」であって、狭義的に「頭髪の育毛改善」とはなっていない、つまり、体毛全般と考えた方がよいのでは?
己の体毛が「イエティ」のようにもっさりと生えた姿を想像したりもしたのだけれど、ハッキリ言ってかなりどうでも良いことに思考を回して若干の後悔がよぎる。
とまぁ普段なら考えない余計とも云えることをしてしまえるのは、一重に温泉にゆったりと浸かってリラックスできていられるからなのだろう。
「おっ!?これはこれは」
僕の心は再び踊り始めた。
目隠し用のスモークも何にも施されていない外へ通じるガラス戸へ目を向けると、外にはなんと空を見渡せる露天風呂が存在していたのである。
「千載一遇」とは意味が若干異なってしまうのかも知れないが、バイキングレストランなどに行った際には全品味見をしなければ気の済まない僕としては、目の前に敢然と存在する「露天風呂に入浴しない」という選択肢があろう筈もなかった。
何はともあれ良いと思うことは直ちに行うべし!とどのつまり善は急げである!
僕は残された時間を考慮し、迷うことなく「ザヴァッ」と音を立てて立ち上がり、軽く飛び上がるようにして外へと移動した。
「さぶっ!!??」
外へ素っ裸で飛び出した途端、まだまだ冷たい春の夜風が僕の身体を撫でるように吹き通り、ブルッと震えて思わず声を上げてしまった。
身体が若干冷えたのも相まって、僕は一瞬も躊躇せず露天風呂の中へ一気に全身を沈める。
「おっほ~…これがリアル天国ってやつだな。水温が熱過ぎず丁度いい…」
冷えた身体が天然の温泉によって癒されていくのが分かる。
僕は水中の出っ張った部分に腰掛け、温泉を囲む大きな岩に背中を預けて夜空を見上げた。
岩風呂たる露天風呂の上方には天井全くが無いため、目に映ったのは障害物が一切存在しない世にも美しい星空だった。
民宿の帰り道で見た時よりも夜空が暗くなっている所為か、星たちが輝きを増しているかのように観える。
僕は頭を空っぽにして一時のあいだ星空をただただ眺めた。
そんな僕の耳に聞き慣れた声が飛び込む。
「やっぱり一輪だったかぁ♪」
ハッとして声の根元の方へ首を動かすと、竹を積み重ねて作られた男湯と女湯を隔てる壁、いや間仕切りか?どちらでも良いし違っても良いのだが、上からひょっこりと顔を出した未桜の姿があった…
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