一輪の廃墟好き 第72話~第74話「真鯛」「超大物」「大漁」

一輪の廃墟好き

「底についたら糸を少し巻かんといかんぞ」と、祖父が歳の所為で細くなった目を僕に向けアドバイスしてくれる。

 それを僕は素直に受け入れ釣り糸を軽く巻き、続けて垂らした釣り糸をクイクイッとするように言われ、「手釣り」と呼ばれる手法の釣りが始まった。

 流石に「入れ食い」で釣果がるわけもなく、最初は糸の様子に集中していた僕だったが、少しばかり心に余裕が出来て辺りを見回し大きな呼吸を一つする。

 小舟は細波の影響で小刻みに揺れていたけれど、幸にして乗り物酔いに縁遠っかった僕は船酔いすることは無かった。

 乗り物と云えば、今朝乗った飛行機は僕の人生において初体験であり、離陸した瞬間から暫くのあいだは恐怖心からくる緊張で身体が強張ったものだった。

 飛行機に比べ海に浮かぶ船には余り恐怖心が芽生えることもなく、どちらかと云えば安心して釣りをしていられた。

 僕がそんなことを考えていると、祖父の釣り針に早くも魚が喰いついたようで、老齢を感じさせない素早さで糸を巻き手繰り寄せる。

 祖父が「一!見らんか!でっかか魚が釣れたぞ!」と、一部始終を眺めていた僕に対して喜びの表情をして言う。

 釣れたのは天然の綺麗な真鯛であり、船の床の上で勢いよくピチピチと跳ね回っていた。

 水の中を泳ぐ魚は水族館などで多少は見慣れていたが、地上というか陸地というか、ともかく船上で跳ね回る魚の生命力に少しばかり興奮したものだった。

 祖父は真鯛を左手で押さえつけ手際よく口に突き刺さった釣り針を抜き、船にロープで括り付け海に入れてある籠に投げ入れた。

 そんな様を見て、僕も早く魚を釣り上げたいと思っていたところ、手にしていた釣り糸が突然「ピン!」と張り、海に引き寄せられる予想以上に強烈な力が手に伝わった!

 小学3年生になり平均的体重だった僕の身体が一気に持っていかれそなほど引きが強い!

 「ピン!」と張った釣り糸が握る手の指に喰い込む。

 もし軍手を装着していなければ恐らく指の肉は切れていたかも知れない。

 「爺ちゃん!やばいっ!!」、僕は突如として我が身に降りかかった緊急事態に耐えきれず、咄嗟に叫び、僕に背を向けて釣りをする祖父に助けを求めた。

 即座に気付いた祖父が僕の元へ駆けつけ、躊躇せず釣り糸に素早く手を伸ばして握った。

 お陰で僕の手に掛かっていた負荷はゼロに等しくなり、「もう離して良かぞ」と言われ「パッ」と手を離し選手交代。

 今でも決してお大袈裟ではないと言い切れるのだけれど、この命を救われた出来事以降、僕は祖父に感謝し尊敬の念を抱くことになる。現在でいうところのリスペクトといった感じだ。

 敢えて「たられば」の話しをするなら、祖父が少しでも反応が遅れ行動の判断を躊躇していれば、僕は掛かった魚の力と勢いに負け、海に引きずり込まれていたかもしれなかった。

 完全に釣りの主導権を譲り渡し、僕は呆然としながらも「勇者様」の頼もしい後ろ姿を眺め続ける。

 釣り歴60年を超える達人が10分以上も格闘して釣りあげた魚は、出世魚として有名な鰤(ブリ)であった。

 成長と共に呼び名が変わる出世魚。
呼び方は地方によって異なり、関東では「ワカシ・ワカナゴ→イナダ→ワラサ→ブリ」、関西では「ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ」(もしくは「モジャコ→ワカナ→ツバス→ハマチ→メジロ→ブリ」)となるようである。

 ともあれ船上に引っ張りあげられた鰤は、かつて僕が目にしたことのないほど巨大な鰤で、漁業を営む祖父の見立てによれば、三年以上生き、重さ10kg以上は確実の超大物とのことだった。

 ピチピチの小学三年生にとっては荷が重すぎる相手だったわけである。

 祖父は年齢的に考え僕にはまだ早すぎると踏んだのか、鰤や鯛といった大物ではなく、小学三年生でも楽しんで釣りのできる小ぶりで手頃な獲物の泳ぐポイントへ船を動かしてくれた。

 祖父にとって赤ん坊の頃から生活している離島周囲の海は、隅々まで知り尽くした家の庭のようなものらしく、どのポイントでどんな魚が釣れるのか把握しているようで、移動した先では、この地域で「クサビ」や「アラカブ」と呼ばれる小ぶりな魚を十匹以上釣ることが出来た。

 潮風漂う気持ちの良い環境の中たっぷりと釣りを楽しみ、八割がたは祖父の釣った獲物ではあったけれど、十二分に大漁と云えるほどの釣果があがったものである。

 夢中になって続けた釣りが充実感で満たされた頃、何気なく太陽のある方向に目を向けると、黄色だった太陽がいつの間にか真っ赤に染まり、あともう少しで水平線に触れようかという風景となっていた。

 「一、暗くなっでもう家に帰らんといかんが」と祖父が言い、僕が「そうだね」と相槌を打つと、祖父は運転席に回り込みキーを回してエンジンをかけようとする。

 だが今まで何事もなくスムーズにかかっていたエンジンが、ここに来て急に「うん」とも「すん」とも言わない。

 祖父が何度も試してみたものの、船のエンジンがかかる兆しは残念なことに感じられなかった…

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