一輪の廃墟好き 番外編 その1~その4

一輪の廃墟好き

 もはや時間が無い…
 
 限られた時間の中で精一杯やって来たが今日はこれが限界だ。

 だが僕は声を大にして言いたい!

「明日は良いことしかありませんように!!!!」

人生は決して平等なものではない。

 だが地球上の生物としてこの世に誕生した者達全員に、一切の漏れなく、絶対的に平等で確実なものがある。

 それは全ての人間にとって最も重要なことであり、ある程度の年齢に達すれば誰もが知ることとなるのだが、日常生活を送る上で考えることはほとんど無いと云っていいだろう。

 もちろん、僕がここまで述べているのは、生物がこの世から消えて無くなってしまう「死」についてであるのだけれど…

              
 いつの日かの番外編その3に続く…

「死」。

 それは意識しようがしまいが、抵抗しようとしまいと、残念なことにいつかは誰もが必ず到達してしまう事象である。

 もちろん地位や名誉、所得の多さに影響されることなく平等に…

 人に「死」が訪れた時、果たして人はどのようになってしまうのか?

 死後の世界というものが存在し、輪廻転生を繰り返すといった考え方。

 片や人は「死」をもって完全に思考が停止し、地球上の塵となり土と化すといった考え方。

 人の物語は永遠に続のか、それとも完結して「はい、さよなら」なのか?

 ここから述べるのは僕個人の現時点での考えなのだけれど…

 いつの日かの番外編その4へと続く。

友人などに「いつの日かまた会おう」と挨拶して別れ、次の日に予期せぬ場所でバッタリと会ってしまった経験は無いだろうか?

 こういったケースに出会した場合、お互いに「あれっ!?」などと言って一瞬気まずい空気が流れることが多い気がする。

 今まさに僕が気まずいと思っているのだけれど、そのなんともバカバカしい理由は、先日「いつの日か」と云っておきながら、昨日の今日でまたしても番外編を語ることになってしまったことに他ならない。

 もちろんこれは100%作者の自己都合により起こった結果であるけれど、とてもでは無いが今日は「死」について語る雰囲気というか、重い話しをする気分になろうはずもなく、一言だけ残して取り敢えずここら辺で失礼させて頂こう。

「自己の成長のためにやろうとしていることを、明日へ引き伸ばすぐうたら行為は、自己成長の後退を意味する!」

 と思う…

 そういうわけで番外編その5へ続く。

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