一輪の廃墟好き 第58話~第60話「宇宙規模」「小雨」「悪天候」

一輪の廃墟好き

 丁度良い機会だから云っておこう。

 廃墟探索を趣味というか好んで行う者の奇特な心理についてであるが、単なる好奇心、怖いもの見たさ、果てはお宝発掘的な希望などなど正に十人十色である。

 因みに僕の場合は廃墟探索の現場で不思議と感じてしまう、「哀愁」や「虚無感」といったなんとも云えない切なさに酔いしれてしまうのだ。

 分かり易く云言うなら、否、にわかには分かり難いかも知れないけれど、普段の生活の場である喧騒な世界から改まって神社や寺へ参拝や祈願をするために赴いた際、その静けさと荘厳な状況から受け取れる心の平穏に似ているのである。

 もちろん、心の落ち着いた平穏な心境を得られるのは人が少ない場合に限れるのだが…

 パワースポットという言葉が一世を風靡したこともあったけれど、或いはそのような摩訶不思議な力が作用しているのかも知れない。

 廃墟探索を好む心理についてもっと突き詰めて考えれば、平和でその場に居合わせることの出来た優越感も少なからず存在してる可能性もある。

 廃墟探索をする上での「優越感」という言葉は、ある意味においては「不埒」だとも云えるが、いくら天才的頭脳の持ち主で美形な僕でも、宇宙規模で考えれば所詮はちっぽけな一人の人間ということで見離さず、広い心ででもって見逃して欲しいものだ…

 話は変わってしまうが「宇宙規模で考える思考」というものは、万能かつ超が付くほど便利なものではないだろうか?

 というか、この考えを持ち出して語るなどという暴挙ともいえる行為は、余りにも時間がかかり過ぎることが分かりきっているので今回はやめておくことにしよう…

 台所の流し台とくれば普通は蛇口が付いているのが当たり前だが、この廃墟にはそのあって当たり前の蛇口が無い。

 淀鴛さんの話しを聞いていなければ、僕は大いに違和感と疑問を抱いたことであろう。

 廃墟に蛇口が無いのは水道が通っていないのが理由であり、普段の生活水は古くから存在する外の井戸から汲み取って使用していたのである。

 確か淀鴛さんのお母さんは都会から嫁いで来た人物で、慣れない田舎暮らしの中、肝心のライフラインである生活水が井戸水ということでさぞや苦労していたことだろう…

 流し台の左横にふと視線を移すと、そこには背の高い木製の食器棚が置かれていた。

 食器棚の扉のガラスは恐らく外からの風の所為で割れていて、残っている食器はこれでもかというくらいに埃まみれとなり汚れている。

 幾つかの食器は倒れて割れたりヒビが入っていたが、30年前まではきちんと整理されていた形跡が見て取れた。

「ねぇねぇ一輪」

「ぬぅっ!?なんだ未桜?…っと、その前に言っておかなければならないことがある。廃墟探索中は不意打ちで声をかけるのはやめてくれ。僕は断じてビビリでは無いが心臓に悪すぎる」

 僕が食器棚を集中して眺めていたところへ未桜は足音を殺して近づき、背後から、しかも僕の耳に息が届くほどの至近距離で呼びかけたのである。

 彼女の可笑しそうな表情からして悪意があったとしか思えない。

「了解了解。でもそろそろ裏庭に出たほうが良いかもだよ。もう雨がポツポツと降り出してるし」

 そう言われて割れた窓ガラスから外へ目をやると、まだパラパラとではあったけれど確かに小雨が降り始めていた…

 年間に数回しか降らないような国は別として、「雨」なるものは人が日常生活を送る上であって当たり前の天候の一つである。

 敢えて説明する必要は無いのかも知れないけれど、晴れの日、雨の日、雪の日、台風の日などなど、自然の気まぐれに起こす天候によって世界の風景はガラリと豹変してしまう。

 無論、家の中で雑誌でも読みながら一日中ゴロゴロしていれば、外の天候がどうなっていようがさして気になるものでは無い。

 だが僕達は今、部屋の中でゴロゴロとも、ジッとしているわけでも無く、この廃墟の所有者にして刑事の淀鴛さんの話しを鵜呑みにするならば、30ほど年前、彼の両親が焼死体で発見された現場を訪れようとしているのである。

 現場は廃墟たる淀鴛家の裏の一角にある湯沸かし用の釜戸。

 台所の勝手口から裏庭に出た僕達は、ポツポツと降り始めた雨と夕方という刻が相まって、季節は春だというのに冷んやりとした寒気を肌で感じた。

 加えて目の前に広がる森の木々が、少し強めの風にサワサワと音を立てて揺られ、より一層の不気味さを醸し出す…

「あれだな、話しにあった例の井戸は」

「だねぇ…得体のしれない奴がひょっこり出てきそうな雰囲気がなんとも…」

 僕達が口にしたその井戸には、如何にもホラー映画に登場する風化した古臭さをこれでもかと顕示しているかのようだった…

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