一輪の廃墟好き 第51話~第54話「ルール」「生活臭」「襖の隙間に」「鳴き声」

一輪の廃墟好き

 僕は事件のあった早く現場へ行きたいという気持ちを抑え、一旦、目の前の半壊した家の入り口から中へ入った。

 埃被った見窄らしい玄関を、申し訳ないと思いながらも土足で上がらせてもらう。

「ぬぬぬ、なんだ、この戸は?全然開かない…」

 障子紙がほとんど残っていない戸を力一杯開けようとしたけれど、建て付けが経年劣化で悪くなっているのかビクともしない。

「ハッハッハッ〜♪こりゃ〜わたしの出番ってやつですな!せ〜のっ!!」

「馬鹿っ!?やめっ!」

「バキッ!!!」

 場の雰囲気に相応しくないテンションの未桜が、僕が制止を振り切り障子戸の硬い部分である竪桟(たてざん)を狙って蹴りをぶちかますと、堅桟は凄い音を立てて見事に折れたものの、障子戸は勢い良く開いたものだった。

「おっほ〜♪何だか今日初めて一輪の役に立った気がする〜♪」

 それは紛れも無い事実だが…

「確かに戸を開けたことだけは褒めてやろう。だが、廃墟を破壊する行為は許し難いぞ!今度廃墟の物を壊したら減給だからな!」

「げっ!?減給!?分かりました!以後、廃墟にある物を壊すような行為は一切致しません!」

「分かればよろしい、本当に頼んだぞ」

 建物を誰も使用していないからといって、廃墟の物を破壊しても良いなんてルールなどこの世には存在しないのである。

 何はともあれ、彼女の突飛な奇行が曲がりなりにも功を奏し、僕達は淀鴛家の居間へ入ることが出来た。

 雨風などの様々な要因によって汚れに汚れまくった畳張りの居間は、30年という長い年月と風が通り抜けていた所為か、人が住んでいた頃の生活臭は完全に消えていた。

 生活臭で思い出したのだが、僕が大学生の頃、とある事情があって賃貸の転居先を探す際、不動産業者の方が同行し案内する幾つかの物件の中には何故かクリーニングが済んでいない、前住人の生活臭がこれでもかと漂う部屋があった。

 どちらかと言えば清潔好きな僕からしてみれば、案内される物件でクリーニングがされていないのは完全にアウトである。

 よほどの好条件であれば考える余地もあろうけれど、清掃業者などによるクリーニングがされておらず、前住人の垢や抜け毛の塊などが残った風呂場を見せられた日には、その物件で決めることはまず持ってあり得ないし考えられない。

 どんな理由があるにせよ、出来れば物件のクリーニングは優先的に済ませていただきところである。

 こと廃墟に関しては、ほとんどの場合クリーニングされるようなことは無いのだが、人が利用しなくなって数年しか経過していないものは別として、大抵はこの家のように生活臭は無くなっているのが普通であった。

 廃墟となる以前の用途などによって異なるのだが、僕がこれまで約30以上の廃墟探索を行った経験上、廃墟というものには共通した独特の匂いというものがある。

 上手く言葉で表現できないのだけれど、大まかに言ってしまえば謎めいた「異空間」の匂いであり、通常生活を送っているだけでは嗅ぐことの出来ない特殊な匂いなのかも知れなかった。

 ところで、気が付いてみれば僕の助手である鈴村未桜が、ある一点だけをジッと見つめて人形のように動いていない。

 さっきまで威勢の良かった彼女の視線の先には、淀鴛さんの話しにも出てきた親子三人で寝ていたという寝室があった。
 居間と寝室との間を隔てていた障子戸が壊れているために丸見えの状態であり、彼女の視線をさらに追ってみると、寝室にある物置の襖の隙間であることが分かった。

 僕がその隙間を見た感じでは、ただ暗くて何も無いように見えるのだが…

「どうした未桜。君にはあの隙間に何かが見えているのか?」

「…うん。あの隙間に何か居たような気がするんだよねぇ…でも幽霊とかではないみたいだから安心していいと思う…」

 安心出来るわけがない。

 だってそうだろ。
 例え彼女が見たものが「幽霊」でなかったとしても、何者も居ないはずのこの空間に、何者かがい居るようなことを聞いてしまったわけだから、僕の感情が安心と程遠い位置にあったとしてもなんら不思議なことではあるまい…

 物置の襖は風化して所々が破けており、出来た穴から物置の不気味な暗闇が目に映る。

 雨雲が太陽の光をほぼほぼ遮断し薄暗くなった外よりも、家の中は当然の如くさらに暗くなっていた。

 真剣な表情をした未桜が、にわかに目撃したと思われる何かの正体を見極めようと足を一歩踏み込む。

 僕はその動きに併せて踏み込むような真似はしなかったけれど、同じく破れた押入れの襖を凝視した。

「ん!?」

 数秒と経っただろうか。

 僕は僅かに開いた襖の隙間ではなく破けて貫通している穴の奥の暗闇に、一瞬だけ小さな光のようなものが横切るのを見逃さなかった。

 未桜が僕の声に反応してこちらに視線を移す。

「一輪、何か見えたの?」

「…あぁ、一瞬だが右下の穴を小さな光が横切った」

「やっぱり押入れに何か居るみたいだねぇ…」

「そのようだな…」

 僕と未桜に緊張が走り、固唾を呑んで再び襖の暗闇を凝視する。

 しかし今度は1分以上経過しても暗闇になんら変化が見られない。

 こんな場所で時間を浪費してしまうことは、どう考えても後の探索に支障をきたすだろうと考えた僕は、腰のホルダーに下げていた懐中電灯をそっと外す。

「未桜、このままじゃ拉致があかん。暗闇の部分に懐中電灯の灯りを照らすから少し下がってくれ」

「…了解」

 
 未桜は僕の言葉の意味を直ぐに察し微かに頷くと、慎重にゆっくりと後方へ後退りした。

「やるぞ」

「…うん」

 僕が懐中電灯のスイッチをONにして先ほど光の横切った穴の暗闇に灯りを当てると。

「ガサササササッ!…」

 押入れの中で何かが素早く移動するような音が聴こえた。

 僕達は声を出さずに驚きはしたものの、押し入れに潜む何者かが人間ではないという確信を得て安堵する。

 否、安堵したのは僕だけだったかも知れない。想像力豊かな僕の頭が想像していた最悪のシナリオは、押し入れに潜む者が刃物を持った人間であり、突如として襖を突き破り襲いかかって来るというものだったのだから。

 こんな突飛なことを彼女が想像する可能性はゼロに等しいと云えた。

「多分、あの足音からして衝動だね」

「恐らくは、な…」

 彼女の言葉に同調した瞬間。

「シャァァァッ!!」

 そいつは突如、何処かで聞いたことのある威嚇の鳴き声を上げ、襖の真ん中の穴から凄まじい速さで飛び出して来た。

「なっ!?」

「きゃっ!?」

 十分な注意を払い身構えていた僕達は、なんとかそいつを避けて横に飛び退いた。

 二人の間を跳んで通り抜けたそいつは居間から玄関を抜け、あっと言う間に視界から消え去ってしまった…

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