一輪の廃墟好き 第35話~第36話「八百万神」「思想の自由」

一輪の廃墟好き

 俺、淀鴛龍樹(よどおしたつき)が5歳になったとある寒い冬の日、その壮絶さゆえに一生忘れられないであろう事件が起こる…

 過去の壮絶な事件を語る前に、ワンクッションというか一つだけ言い訳でに近い断りを入れておく。

 人の記憶の発達というものには当然ながら個人差があるが、大体3歳から4歳くらいで急激に発達していくそうだ。

 だからといって5歳時の俺が当日の事を鮮明に覚えているか?と訊かれれば、「そんなもの断片的に決まっているだろう」と答えるに違いないし、今から語る話しはそれを踏まえて聞いて欲しいと願うばかりである。

 では、いい加減話しを進めよう。

 俺の実家である燈明神社は、知っての通り井伊影村の中央から歩いて一時間以上もかかる場所に所在している。

 何故こんな人気(ひとけ)のない森の奥に先人は神社を建てたのか?という疑問が浮かぶところではあるけれど、その疑問は俺が大人になり、たまたま見かけた文献を読み機会があって知ることとなった。

 ある意味かなり希少なその文献によれば、先に建てられたのは燈明神社の方ではなく、俺のご先祖さまが家を建て住み出したのが始まりらしい。

 その後、家を建てたご先祖さまは諸事情によって神道にのめり込み、世の流れや村人の勧めもあって神職を自己の天職とし、家の前の広い庭に燈明神社を建立したのである。

 当時の幼い俺は、家の目前に神社という特殊な建物があることに違和感を覚えることは無かった。
 住んでいる場所的にも年齢的にも世間に無知であったからかも知れないが…

 森の奥地で暮らしていても寂しい想いをすることは少なかった。

 母は家事や仕事の合間をみては俺と良く遊んでくれていたし、先祖から代々受け継がれ若くして宮司(ぐうじ)となっていた父も、躾に厳しい一面はあったけれどそれ以外は優しく接してくれていたからであろう。

 大人になった今となっては流石に公然と言えないが、二人からの愛情は幼い俺に十分伝わっていた。

 父が神主を勤め、母が専ら巫女を勤めていた燈明神社は、「子授け神社」や「子宝神社」などとも呼ばれていて、祈願成就に恵まれた人伝いの口コミが広がり、地元である井伊影の人々はもちろんのこと、子を授かりたいがために全国各地から足を運ぶ人々が絶えなかったという。

 八百万神(やおよろずのかみ)の中でも、子宝の神としては大国主命(おおくにぬしのみこと)が一番有名らしいが、この燈明神社では伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が祀られていた…

 久々に子宝神社を訪れたのだから、折角とだ、日本における出生率(しゅっしょうりつ)について俺なりの考えを言わせてもらおう。

 丙午(ひのえうま)の年に生まれた女は夫を喰らうだの、殺すだのという古い迷信から、1.58という極端に低い出生率だったのが昭和41年。

 平成元年に起きた1.57ショックとは、丙午によって低かった出生率をさらに下回ったために付けられた呼称である。

 そして令和元年においては1.57ショックを遥かに下回る1.36だ。

 国の発表によれば、人口増加に必要な出生率が2.07というのだから、その乖離具合は正直深刻過ぎる問題であるとしか言いようがない。

 出生率の低下に反し、医療の進歩や治安の良さなどから日本人の平均寿命が年々伸びている。

 長生きしたいと願う人々にとってこれは朗報かつ喜ばしいことでもあるのだが、このため日本は10年以上前に迎え「超高齢社会」となり、令和4年の現在に至るまで何の改善も得られないまま継続中なのだ。

 この現象は日本社会の様々な仕組みに影響を大いに及ぼしている。

 特に顕著なのが破綻寸前が何年も前から囁かれる社会保険制度ではなかろうか…

 …おっと、いかんいかん。
 今は社会風刺のことなぞ語っている場合ではなかったな…

 とどのつまり簡単に纏めてしまうと、若者への負担が年々増加する今のままの社会では、そう遠くもないであろう近い将来、一気に破綻してしまうのではないかという懸念を持っているのである。

 自己中心的人格の俺が、日本人の将来を憂い、こんな事を考えていようとは周りの誰もが思ってもいないだろうし、俺に興味すら無いのであろうが、幸いにして我が国の最高法規である日本国憲法は、国民の「思想」と「良心」の自由を保障してくれている。

 物語の進行具合としては大きな問題かも知れないが、俺が権利を発動し、思想を展開して主張することはある程度許されるのだ。

 だがやはり物語の進行を妨げてまで主張することは、語り手シップに反し、俺は「許されざる者」と確定することだろう。

 つまり俺は何が言いたかったのかというと、ここまで長々と話し腐って何だけれど、散々語った出生率の問題云々はさておき、子宝に恵まれない夫婦などは今も昔も家庭を守るために一生懸命なのだということである。

 医学の進歩した昨今では、高額な「不妊治療」や「体外受精」といったことで解決する方法もあるにはあるが、よほどのことがない限り、子を授かる奇跡は自然な形を望むのが人というものでは無いだろうか。

 ゆえに神頼みのため、遥々とこんな辺境の神社を訪れて祈願する者が絶えなかったのだろう…

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