男の視線が僕と未桜の顔を瞬時に流れる。
「ああ…そうだ。さっき村のラーメン屋に入って来た人達だね?」
「えっ!?」
僕は男の言葉に合点がいかなかったので思わず声に出してしまった。
昼食を摂ろうとラーメン屋の戸を僕が開け、ガラガラと大きな音が鳴ったことで男性が新たな来客に気付いたのは理解できる。
だがこの男が僕達と同じ空間に居たのはほんの僅かな時間であり、その僅かなあいだ、入店した直後から彼のことが何故か気になっていた僕は注視こそしなかったものの、視界から外れぬようそれとなく拝観していたのだけれど、店内で彼の視線は一度もこちらには向かなかったのだ。
だから彼が僕達の顔を見て思い出すようなことは無い筈なのだが……あっ!?
「そう、声だ」
僕が答えに辿り着いた直後に男が自ら答えを口にした。
確かに声で人を識別することは可能だが…
男が僕の思考を妨げるように続ける。
「申し訳ない、いや、勝手に君達の会話が聴こえて来たのだから申し訳なくもないか。飲食店での他人の会話はラジオのようなものだからなぁ。そんなことはさて置き、俺はこういう者なんだが君達は何者なんだい?」
渋めの顔の割によく喋るやつだ。
初めに受けた彼のイメージが否応無くボロボロと音を立てて崩れ出す…
彼が僕達に突きつけたのはスマホに映し出された画像であったけれど、僕の予想を超えて来なかったのでノーリアクションで対応させてもらった。
「……あの、スマホに映った警察手帳の画像を急に見せられた僕はどうリアクションするのが正解でしょうか?」
ドラマや映画などではよく目にする警察手帳ではあるけれど、現実では平穏に暮らす一般人が警察手帳を目にすることなど極々稀なことであろう。
実際のところ、僕も特殊職である探偵稼業でもやっていなければ、この歳で警察手帳を目にする経験などしていたかどうか…
この人には申し訳ないが、否、この人に申し訳なくも無いが、僕は幸というか不幸というか仕事上で警察の方と接することも多く、警察手帳はなかなかの頻度で見せられていたのですっかり慣れっこなのである。
ゆえに本物の警察手帳だったならまだしも、いくらでも加工が可能な画像を突きつけられも本当にリアクションに困るのだ…
「なるほど、やはり俺の見立て通りだったったようだな」
あんたは僕の見立てと違ったけどな。
それにこれだけのやり取りで僕の人間性を悟ったような口振りはやめてくれ。
僕はこの人物の一方的な喋り方に少なからず苛立ちを覚えた…
「刑事さん、見立て通りってなんですか?」
湧き上がる苛立ちを一呼吸入れて抑えた僕は、彼のことを敢えて「刑事」と呼び、なんの罠も仕掛けずストレートに訊いた。
変化球ではなくどストレートで質問した理由、それは男がスマホ画像の警察手帳を見せた真意を確認するという意味合いと、僅かな時間で相手がどの程度僕のことを把握したのかを知りたいという欲求があったためである。
質問を受けた男がニヒルな薄笑いを浮かべたあとに喋り出す。
「あまり気を悪くして欲しくは無いんだが…と言っても時既に遅しってところだろうな。君ね、刑事の私に近しい匂いがプンプンするんだよ。だが同業者ではないなぁ…君の話し方と歳の割に薄いリアクションからして恐らくは探偵。と、その若くて可愛い助手といったところかな」
「やだっ♪可愛いだなんて♪」
「可愛い助手」と言われて全然嫌がっていない未桜は捨て置いて、こいつ、怖いくらいにあっさりと当てやがった。
人格は別として只者ではないという僕の見立てはどうやら間違っていなかったらしい。
僕達の短い会話を聴いただけなのに声を照合させた優れた記憶力、また、僕の表情や反応から僕が何者かを言い当てた鋭い洞察力。
もはやこの男はただの「ニヒルで嫌なやつ」ではない。「手強くてニヒルで嫌なやつ」だと明言しよう。
「凄いですねぇ刑事さん、手放しでお見事としか言いようがありません。んじゃぁ、初対面の僕達に何でそこまで食いついて来るのか教えてもらえないでしょうか?」
多くのごく普通の旅行者なら、旅先で他の旅行者とすれ違い様に目が合った場合、大抵は何もせずに通り過ぎてしまうか、やってもせいぜい軽く頭を下げる会釈くらいのものであろう。
だがこの男の取った行動はどうだ。
歳上だということはその風貌からして明白であるけれど、初対面だというのにタメ口で不愉快なことをズケズケと言ってくるからには相応の理由があることを裏付ける。
「ククク…流石だねぇ探偵君。良いだろう、だが教えてやる前に互いの名を名乗ろうじゃないか。君も俺のことを『この男』だとか『こいつ』だとか頭の中で考えるのもまどろっこしいってもんだろう?」
「ちっ!」、僕は心の中で大きく舌打ちした。顔に出せば男がつけあがるだけだと思い、もちろんポーカーフェイスを貫いている。
それにあんたの名前はさっきの画像で既知だ。
自分で云うのも何だが僕は元来より人に苛立ったりせず落ち着きを保っていられる性分だ。
その僕を持ってしても苛立たざるを得ないこの男…
まぁようやく辿り着いた廃墟探索の物件を前にして、余りこいつに時間を食われるのも得策どころか愚策としか云いようがないだろう。
僕は素直に、そして正直に名を名乗ることにした…
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