あわよくばそのまま過ぎ去って欲しかったのだけれど、大方の予想通りお爺さんの運転する耕運機は僕達の目の前で狙い澄ましたかのようにピタリと止まった。
ハンドルを握り耕運機に跨ったまま、麦わら帽子を被った皺くちゃ顔のお爺さんが訝しげに目を細める。
「あんたらぁ、他所者じゃろ。風車を壊したとこはぁ、しっかりこの目で見させてもらったぞ」
ドキっとした。…どころではない。
ひょっとしたら事の一部始終を見られていたかも知れない。
と云うかお爺さんはそう言っているではないか…
「この村の空気が余りにも美味しいものではしゃぎ過ぎたようでして!申し訳ありませんでしたっ!」
「はしゃぎ過ぎて申し訳ありません!」
僕が子供言い訳のような理由を述べ即座に頭を下げると、未桜も間髪入れずに追随した。
下げた頭をサッと上げて事の解決を図る。
「もちろん弁償か修復をさせて頂きます!あのぉ、良ければこの風車の所有者の方を教えて頂けないでしょうか?」
風車の所有者はこのお爺さんとお婆さんかも知れないけれど、念のため確認しておかなければならない。
すると細めた目を更に細めて、ニンマリと笑みを浮かべた耕運機のお爺さんが言う。
「ふぁっふぁっふぁっ。残念なことにこの風車の持ち主はもう生きておらんよ」
えっ!?まじか!?でも、それって笑って言うことか!?
僕が更に突っ込んで持ち主のことを尋ねようとしたが、それよりも早くお爺さんが続けて話す。
「今はこの風車の管理は儂が管理しているようなもんじゃ。そうじゃなぁ…あんたらの正直さに免じて今回は許してやろう。ほれ、儂が家でなおして戻しておくから後ろの婆さんに渡してくれ」
なんと!?てっきり怒られると覚悟していたのに意外にも真逆の展開ではないか!
しかし、お爺さんの寛大さに甘え、何もせずに無罪放免というのもなんだか悪い気がする…
「あのう、僕達今夜は井伊影村で一泊するんです。もし風車が明日までになおるのであれば手伝わせていただきたいのですが…どうでしょう?」
と細やかながら提案すると今度はお爺さんではなく、荷台でニッコリしながら話を聞いていたお婆さんが口を開く。
「あんたら若いにのに偉いねぇ。そんな大したことじゃないし気ぃ使わんでええよぉ」
なんだか耕運機の老夫婦が神様に見えてきた…
風車をお婆さんに渡そうとしていた未桜が言う。
「いえいえ、是非手伝わせてください。じゃないと私達の気が晴れませんから…」
「気が晴れない」は自己都合とも取られかねないけれど…
「分かった分かった。明日の同じ時間にここに来れば良い。風車を直して持って来るけぇ」
「ありがとうございます!」
僕は神対応の老夫婦に「感謝」の二文字しか頭に浮かばなかった…
気の良い老夫婦が乗る耕運機を、僕達は視界から消えるまで見送った。
耕運機のけたたましいエンジン音が無くなり、静けさを取り戻した僕達の周囲に、森の奥から「ホー、ホケキョ♪」と鶯(うぐいす)の美しい鳴き声が響き渡る…
「鶯の鳴き声って綺麗だねぇ…春だなぁ…」
「…悦に浸って心地良さげにするのは一向に構わないし吝かでもない。だが未桜よ。それ以前に僕に対して何かやらなければならないことがあるんじゃないか?」
「えっ!?なになに!?風車の件なら確か謝ったよねぇ?他に何かやることあったかなぁ?…」
「なるほど…君はあれっぽっちで僕への謝罪は済んだと言うんだな…」
僕は今日一番のシリアス顔でそう言った。
と云っても、探偵事務所から此処までシリアス顔をきめ込む場面などただの一度も無かったけれど。
本気度が伝わったのか、未桜は僕の顔を見るなり真剣な表情をして頭を下げる。
「この度はご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんでした。以後気をつけます」
よし、それで良い…
仮にも、否、事実上僕は彼女にとって事業主なのだから、本来言われずともこれくらいの気概があって然るべきなのだ。
未桜が社会人として働いたのは僕の探偵事務所を置いて他に無い。
ゆえに僕は説教などが苦手ではあるものの、時として失態を犯したあとの礼儀や処置などの方法を教えてやらなければならないのである。
いわゆる教育的指導というやつだ。
「やれやれ、君が井伊影村に来て頭を下げるのはもう三度になるな。少しは自分にブレーキをかける練習もしてくれよ」
「うん、わかった…」
僕は彼女の下げた頭をそっと優しく撫で撫でしてやった。
「よし!じゃあ、気持ちを切り換えて豆苗神社に向かうとしますか!」
「うん♪」
一瞬で元気を取り戻した助手の鈴村未桜。
本当に反省しているのかどうか疑問に思うところはあるけれど、これが彼女の最も愛すべき長所なのだから致し方あるまい。
それより今度こそ真打、いよいよもって廃墟探索の始まりだ。
さっきまで風車のあった場所から入り、舗装されておらず土の剥き出しになった道を進み行く。
道は予想通り全く手入れがされていない状態で、両端に生えた雑草が膝を越える高さまで伸び生い茂っていた。
道幅も1mそこそことかなり狭く、車はもちろんのこと、人がたった二人並んで歩くことさえ難しいと云えるだろう。
人として当たり前だが僕が先頭に立ち、森の奥へと続く道の安全性を確かめながら歩き続ける。
前方にたくさんの木々が見え、もう少しで森に入ろうかという地点に差し掛かったところで思い掛けない自然現象が起こる。
「ビュウッ!!」
「きゃっ!?」
春一番に近い突風が横から吹き荒れ、未桜がいつのまにか被っていたアイボリー色の帽子を風が連れ去ってしまった…
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