さて、まだ話していなかったが今回の廃墟探索の目的地は「井伊影村」という村だ。
事務所から車で約3時間以上はかかろうかという僻地にあり、元々の数も少なかったらしいが現在の人口は150人を割るほどの過疎地でもある。
田舎を絵に描いたような「井伊影村」のことは偶然SNSで知ったのだけれど、アップされていた画像とコメントを見る限り、自然がおりなす美しい景観に囲まれ、子供達が水遊びできるほど綺麗な川が村の中心を流れているらしい。
今はほとんどお目にかかることのない大きな木製の水車の画像もあり興味をそそられたので、廃墟を訪れたついでに時間があれば寄ってみようと思う。
因みに水車の歴史は意外?にも古く、日本でも平安時代には登場し、農作物の加工などに利用されていたというから僕は畝ったものだ。
原材料が自然の産物である木材だとしても、その技術が現存する機械にも使われていると考えればこれはもう驚かずにはいられないだろう。
おっと!水車の話しは早々に伏せて置き、肝心な廃墟の話しをしておかなければ。
僕達が目指す廃墟は固有名詞なのだからひねりも何も無いけれど、ズバリと云
云って、無人となり管理する者が居なくなった神社である。
「神社」といえば神が祀られているだけに、荘厳で心が落ち着き身の引き締まるようなイメージを僕は持っているのだが、これとイメージが酷似するものとして「寺」がある。
神社と寺では信仰や作法に違いがあり、神社が信仰しているのは日本で生まれた民族宗教の「神道」、寺が信仰しているのは中国やインドから伝導された「仏教」なのだ。
流石に「作法」について話すと長くなりそうなので自粛しておこう。
とここで、車内に:流れる「ビートルズ」の曲を外の景色を眺めながら黙って聴いていた未桜が、くいっと僕の方を向いて口を開く。
「そう言えばぁ、今日行く神社の名前ってなんだったかな?確か笑っちゃいけないけれど笑っちゃうような名前だったような気がするんだけど」
「そう言えば」にあたる会話をした覚えはなかったが、ツッコミを入れるのも面倒だったので未桜の質問に即答する。
「『豆苗神社(とうみょうじんじゃ)だ』
僕の即答を聞いた直後、未桜は口に手をあててクスッと笑った。
あまり数多くの神社を知っているわけではないけれど、大抵の神社の名称はその存する地名などに由来したものが多い気がする。
井伊影村に在るのだから「井伊影神社」が妥当で適当な気もする。
果たしてどういったおもしろ経緯で「豆苗神社」などと野菜の名を付けたのだろうか…
話しが交錯、いや、まちまちで些か申し訳ない気持ちもあるれど、貴方は彼女、若しくは彼氏との交際期間が短いうちに車でドライブへ出かけ、狭い密室となる車内で会話に困った経験は無いだろうか?
問いを出しておいて出題者が即答するのもなんだが少なくとも僕にはある。
恥ずかしながら大学時代に付き合った人生初めての彼女との初デートにて、あろうことか密室故に会話レベルの試される車でのドライブを選択してしまったのだ。
そもそも当時の僕は、大学で得られる知識を全て吸収してやろうと躍起になって勉強していて、車内の狭い密室で女性と過ごすといった経験など皆無でしかなかった。
ん?ガリ勉剥き出しに勉強ばかりしていた当時の僕になぜ彼女が出来たのか?
などという疑問が浮かび上がるであろうけれど、今話したいことは恋話を主としているわけではないのでここは丁寧に置いておくことにしよう。
では主たる話しのドライブデート当日、バイトで稼いだお金で選択できる限界ギリギリのHV車をレンタルした僕は、彼女との待ち合わせ場所まで意気揚々と車を走らせた。
人生初の初デートで有頂天極まりなかった僕は、待ち合わせ場所へ向かうあいだ幸せいっぱい胸いっぱいであったものである。
だが、待ち合わせ場所へ安全運転で無事到着し、彼女が助手席に座った瞬間から僕の脳に思わぬ変化が起こったのだ。
変化にも良い変化や悪い変化、感じ取れない変化など様々変化があるのだけれど、その時の僕に起こった変化は否応無く最悪の変化だったと云えよう。
ご存じの通り、車の車内の運転席と助手席は人と人とを物理的にかなりの至近距離まで近づける。
これが勉強ばかりしてきて人とほとんど接してこなかった僕への代償なのか、自分の予想以上に心拍数が上がってしまい、緊張感が身体中を駆け巡って頭が不覚にも真っ白になってしまったのだ。
緊張から回らなくなってしまった僕の天才的頭脳は、ドライブ中に彼女を喜ばせる会話を生み出す筈だった奇才的頭脳は、その機能を全く活かすことく、無言地獄という悲惨な空間を作り出したのである。
助手席に座っていた彼女には悪いけれど、目的地に着き、車を降りて外の空気を吸った時にはどれだけ生き返った気分になったことか。
そしてこのあと、彼女の言った言葉ににどれくらい救われたことだろうか。
目的の店に入ろうと横並びになって歩き出したところで、店の入り口から視線を外さず微笑を浮かべて彼女は言った。
「初デートってこんなに緊張しちゃうんだね。私、頭が真っ白でなんにも喋れなくてごめんなさい。でも一輪君のこともっともっと知りたいからぁ、帰りはたくさんお喋りしようね♪」
と…
何ゆえ僕が彼女とのエピソードを引っ張り出しぶっ込んだのか?
別に彼女との甘酸っぱい思い出話しをしたかったわけではなく、単に車の車内空間とは凝縮された密室であり、場合によっては地獄の如き空間となってしまうということを伝えたかっただけに他ならない。
彼女との初デートでの失敗から得たものは殊更大きく、失敗から学んだことで成長した今に僕にとって、井伊影村に着くまでの長時間の道のりを過ごすこともお茶の子さいさいとなっていた。
自分の中で確定しているわけではないけれど、人は成功を収めた時より、失敗した時の方が多くのものを得られる理論は正しいような気がする。
あくまでも暫定的だが…
「…そうだな」
「まぁた上の空でミオミオの話しを聞いてたなぁ。んもう!一輪は考え事が多すぎるんだよ」
僕の頭の中が彼女との初デートの回想でいっぱいだった時間帯、豆苗神社の話題を皮切りに、隣でマシンガントークをおっ始めた未桜に対し適当に返した結果、ほぼ予想通りの苦言をいただいた。
確かに、普段から僕は単純作業をしている際に考え事をしていることが多い。
所謂「ながら作業」に近しいこの行為は、「生きていられる時間には限りがある」という持論でもなんでもないただの事実がそうさせているだけである。
「…仕方がない。未桜、長考ターイム!だ」
「あっ!またそれ~?本当にずるいなぁこのルール。まっいいや、昨日寝不足だったから丁度いいかも。井伊影村に着いたら起こしてよね~」
未桜は若干不貞腐れたようにそう言って、背中をもたれている座席シートを倒しこちら側を向いて瞳を閉じた。
まだ午前中だから昼寝ではないけれど、どうせ寝るなら逆を向いて寝て欲しいものである。
少しばかり寝顔が気になってしまうではないか!
などと思っているあいだに未桜は「スースー」と寝息を立て始めた。
どうやら本当に寝不足だったらしい。
僕は彼女の眠りを妨げまいと車内に流れるBGMの音量を下げ、物想いに耽りながら井伊影村へ向け車を走らせた…
高速を降り、建物が密集して立ち並ぶ街を抜けると、徐々に視界に入る建物の数が減っていき、今はもうすっかり田舎道と云っても良いレベルのところまで来ていた。
下調べしたのちの予定からすれば、あと三十分もしないうちに目的の井伊影村
へと辿り着くだろう。
重要なことを云い忘れていたけれど、本日の井伊影村での廃墟探索は日帰りでやって来たものではない。
存在することにも驚いたが井伊影村にある唯一無二の民宿、「むらやど」に一週間前に電話で予約を入れてあり、側から見れば一泊二日の旅行のようなものであった…
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