雲峡がそれとなく口にした天仙竺十権とは、仙人界において仙力や知力などが総合的に評価され、厳選された実力者で束ねられた仙王を除けば仙人界の頂点とも云える組織である。
勿論、仙人界において一、ニを争うほどの実力を持つ雲峡も天仙竺十権への誘いを受けたことはあったけれど、権力者になることや集団行動を嫌う彼女は鼻で笑い断っていたのだった。
何者にも縛られず自由に生きることを好む雲峡ではあったが、天仙竺十権に席を置かずとも仙人界に異変があれば率先して問題解決に取り組んでもいる。その際にも他の仙人達と行動を共にするということは極力避けていた。
と、彼女の行動はあからさまに自己中心的であり、周りの仙人達もとうの昔に承知していたのでこれといって非難を浴びせる者は一人も居なかった。
そんな自分なりの生き方や正義感にかような拘りを持つ雲峡が、雅綾の亡骸のそばで静かに立ち手を合わせる。
「雅綾爺、こんな…ボロ雑巾のような姿は目にしたくはなかったぞ…」
そう言って雲峡は雅綾のそばを離れ、今度は府刹那の亡骸の横に立ち同じように手を合わせる。
「ふ、府刹那爺…無様な姿になってしまったなぁ…」
彼女は悲しそうな顔をしてしみじみと亡骸に語りかけた。
この死んでしまった二人の老仙人と雲峡、全く関係無さそうな間柄に見えて実は少なからず繋がりがあった。
雲峡は純粋な仙人の両親の間からこの世界に生まれ、小さかった頃にその両親を不可思議な事件により失っている。
小さかった雲峡は深い悲しみに暮れ、両親と住んでいた家に一ヶ月ほども閉じ籠り、飲まず食わずでひたすら泣き腫らしたという。
幼くして両親を突然失い、悲しみから立ち直りつつあった雲峡を陰で支えていたのが、彼女と年齢差が五百以上もある雅綾と府刹那の二人であった…
幼かった彼女は健気にも、何とかして一人で生きていこうという固い意志を保ち、誰を頼ろうともしなかったものである。
しかし両親から生活する術を殆ど教わっていなかった彼女は、単身ではどうしようもない壁に時よりぶつかっていた。
ある意味気高いとも取れる彼女の性分を察していた雅綾と府刹那は、彼女の自尊心が傷つかないよう配慮して手助けしていたのである。
そのような手助けが一度やニ度ならまだしも、長年に渡り起こったのであればいくら幼く感の鈍い雲峡でも、二人の己に助け舟を出す行為に気付かぬ筈もなく、いつしか気の良い爺さんと孫娘のような微笑ましい関係が築かれたのだった。
雅綾と府刹那に肉親と呼べる血の繋がった者は存在しなかったがゆえに、心の打ち解けた幼い雲峡はたいそう可愛がられたものである。
しかも雲峡の仙術の師匠はまごうことなく彼らであり、二人の存在無くして今現在の雲峡の強さは無かったとすらいえよう…
羅賦麻の手によって粉々に砕かれ見るも無残な姿となった府刹那の顔に、懐から取り出した布をそっと被せた雲峡の頬を一筋の涙が溢れる。
鬼の眼にも涙、否、天上天下唯我独尊、超自己中心的で冷血な面も併せ持つ雲峡だけれど、彼女の性分の本質は情に厚く、極めて義理堅いところにあった。
雲峡は涙を拭い、二度と動かぬ府刹那の身体へ向け語りかける…
「お主らの敵(かたき)は、この雲峡が必ず討ってやるぞ…だからその時は、あの世で笑ってくれると嬉しいなぁ…」
年れからすれば当たり前なのだが、若々しくみずみずしい顔立ちの雲峡は既に立派な大人であり色香もなくはない。
だが雅綾と府刹那の二人を追悼する姿は、まるで幼い子供のように小さく見えたものである…
「さて、敵を討つためにまずは手掛かり、だな…」
雲峡は追悼の意から復讐の意へサッと気持ちを切り換え、辺りを見回し老仙人二人の命を奪った敵の手掛かりを探る。
「ん!?あれはなんだ?」
彼女の眼力は殊の外鋭く、地面に落ちた不審な代物に秒で気付いたのだった。
その不審物を手に取り様々な角度から検証する雲峡。
「…これはぁ…仙人界の物質でないことは確かだろうが…敵の身体の一部なのか…….ん〜よし!一人で考えるよりも天宇(あまのう)に訊いた方が早いに決まってる。おっと、その前に…」
彼女の呼び捨てにした天宇という人物は、実のところ誰もが軽々しく呼び捨てにできるような人物ではなく、最強クラスの実力者で怖いもの知らずな雲峡だからこであったのだが…
フルネームは弥都波天宇(みつはあまのう)。仙人界最高峰の頭脳を持つ大賢者であり、年齢はなんと千五百歳を超えていると云われ、仙王の御意見番的存在でもあった。
最高の頭脳に加え十五世紀以上の長生きなのだから、この不審物を見せればたちまち敵の正体を知れると考えたわけである。
雲峡は天宇のいる場所へ赴く前に、湖の周囲で最も高い場所で仙術を使って墓を二つ作り、雅綾と府刹那の亡骸を丁寧に埋葬した。
そして愛用する仙葉を呼び寄せ軽快に飛び乗ると、空中を颯爽と飛んで大賢者天宇のところへ向かったのだった…
この雲峡の敵討ちが果たせたのか否か…いずれ語ることになるのであろうけれど、まだ、ずっとずっと先の話しである….
はてさて…
実の父であり、魔界の頂点に君臨する三大魔王の羅賦麻が、老仙人の雅綾と府刹那との激闘を終え魔界に戻った頃、息子の亜孔雀は仙女の聖天座真如と暮らす住居で呑気に昼寝をして彼女の帰りを待った。
無論、悪魔である亜孔雀の姿などではなく、人間の美青年である芥川城太郎の姿となって…
だが、朝から出かけ、もうとっくに帰って来ても良い時間だというのに彼女は城太郎の前に姿を見せず、夕方を過ぎ、暗い夜になってからようやく家に帰って来た。
帰って来たは良いが、いつもの元気はつらつとした彼女と違い、明らかに気落ちし青ざめた顔に気付いた城太郎が、その理由を百も承知なくせに気を遣った風で訊く。
「…真如…何か悲しいことでもあったのかい?」
「…城太郎…いつも外の草原で将棋を打っていた老仙人の二人のことは知っているでしょう?」
「あ、あぁ、もちろん知ってはいるよ。でも何度か挨拶を交わしたことがあるくらいであまり詳しくは知らないけれど…」
「…そう。実は今日、その二人が東雲湖で無残に殺されていたらしいの…さっき知ったのだけれど、あの人達はわたしの師匠である雲峡様の師匠だったみたいで…だから、わたしが仙女になりたての頃から優しく接してくれていたのね…」
人の喋り方、話し方というのは人生において幾度か急激に変わったりするものである。
この真如の場合、仙人へ覚醒する以前に人間であった頃の喋り方と大きく変わっていた。
「そんな悲しいことがあったのか…俺は呑気に昼寝してて全然知らなかったよ。すまなかった…」
真如が首を軽く横に振って続ける。
「ううん、城太郎にはあまり関係の無い出来事だから別に良いの…」
結局それ以降、真如は殆ど口をきくことなく城太郎の腕の中で眠ったのだった…何一つ真実を知らずに…
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