「….雅綾爺…」
雅綾の覚悟の言葉を受けた府刹那が何か言おうとして止め、一考した老仙人は雅綾に聴こえるかどうかという大きさの声で言う。
「お主が倒れたあとのことは任せておけ」
府刹那は何百年と付き合ってきた雅綾のそばを離れ、羅賦麻を押し潰そうとする重力仙術の領域ギリギリのところまで近づく。
この時、雅綾は口角を微かに上げ笑ったように見えた。己を無理を止めることなく、意志を汲んでくれた友の言葉が嬉しかったのであろう。
「ズゥオオオオオオッゴゴゴゴゴゴ….」
「ぬぅふぎぐぐぎぎ…」
雅綾の放ち続ける百倍重力を耐える羅賦麻が歯軋りし口から血が滲み出て、未だに全く身動きの取れない身体の細胞がブチブチと音を立てて破壊されていく。
一方、移動した府刹那は天祥棍を居合いの形で構え、雅綾が倒れたあとのことを想定し、己の仙術の力を最大限引き出し天祥棍に伝導させ始めた。
「…ふん、流石は我が友よ…さぁて、府刹那爺の備えが無駄になるよう最期にもう一絞りしてやるかのう」
既に限界を遥かに越えた仙術によって雅綾の身体は悲鳴をあげてボロボロになっていた。
危険極まりない状態で雅綾が最期の力を振り絞る。
「千年も生きれば十分じゃ!人生の顛末に魔王を道連れにできるとは幸せなことよ!喰らうがいい!重力二百倍!!!」
雅綾が己が身を捨ててまで仙術を繰り出す理由は大きく分けて二つある。
長年の友である雅綾の命を絶対に守り抜くことが一つ。
もう一つは、魔界三大魔王の羅賦麻とその息子の亜孔雀の企みを封じることにあった。
無論、仙人界で毎日ただひたすら将棋を打っていた雅綾は、二人に関しての情報を知ることなど皆無に等しく二人の企みを知る術も無い。だが、かつて戦争にまで発展した仙人のいる世界にわざわざ魔界から足を運ぶという行為は、明らかに不穏であり不気味でもある。
だからこそ、雅綾は羅賦麻を倒すためなら己が身を捨てる価値ありと考えていた。
「ゾォォォッゴゴゴゴゴゴオォォォォォォォ!!!!!!!!!」
「ぬぅっ!!??」
百倍の重力でさえ耐え凌ぐことで精一杯だったところへ極限の二百倍の超重力である。強靭な魔王の体内の骨という骨がミシミシと音を立て、外部の関節部分が引き裂かれて血を噴き出す。否、表に噴き出す魔王の血は、超重力の影響によりまるで凍った氷柱の如く地面へと落ちていった。
押し潰されようとしているのは何も魔王だけでは無い。
「ボォゴッボゴォゴゴッゴゴゴゴゴゴッ!!!!!」
超重力のあまりにも凄まじい威力に耐えかねた魔王の立つ仙人界の地ですらえぐれ、地割れを起こし陥没していった。
「…く、口惜しい、のう…あとは、任せたぞ…府刹那………….」
雅綾は悔しそうにそう言い残し、千年以上を生きた人生の終結を迎えた。
十世紀以上もの長いあいだ生きるということは、普通の人間からすれば極めて想像し難かったけれど、実のところ仙人界の仙人からすれば、雅綾の生きた千年という寿命は平均を少し上回る程度のものであった。
「フゥゥゥゥ….」
使い手がこの世を去ると同時に重力仙術は解け、地形が変わり果てた戦場の中央に、本来の姿を現した羅賦麻が立ち尽くし息をゆっくり大きく吐いた。
「よもや、たった一人の仙人如きに魔王であるこのオレがここまで追い詰められるとは…だがあの老仙人は朽ち果てたようだな…」
地獄の底から聴こえて来るような不気味な声でそう言い、羅賦麻は雅綾の仙術によって受けた深手の回復を図る。
「これで終いと思うなよ間抜け面!粉々に吹き飛びやがれ!超爆一怒濤撃(ちょうばくいちどとうげき)ーーー!!!」
「パッキィィィィン!!!」
「っ!!??」
雅綾が力尽き、重力仙術が掻き消えた瞬間から羅賦麻の元へ超速で突っ込んでいた府刹那が、溜め込んでいた力を一気に解放し、羅賦麻の硬い胸元に渾身の一撃をお見舞いした!
羅賦麻の周囲は瞬く間に月のクレーターを彷彿とさせる景観へと様変わりしてしまった。
「やっちまったなぁ…雅綾爺…だがこれで勝ったやも知れぬ…」
仙術の力を溜め込み戦況を注視していた府刹那は寂しげにそう呟いた。
しかし、府刹那の絶望と希望の入り混じった予測は悲しいかな、ものの見事に外れてしまう。
凄まじい重力に辛抱強く耐えて来た羅賦麻の身体が押し潰され肉塊と化すと思われたその時!
「グゥォシャァァァ!!!!」
奇妙で激しい音を立て魔王のボロボロの身体の異変が起こった!
強靭な漆黒の肉体が全面的に崩壊した直後、まるで岩のように硬く、ゴツゴツとした黒光りする鎧を纏ったかのような姿に変貌を遂げたのである。
これは亜孔雀が腕を粉々に破壊され、無くした部分を再生した能力の上位にあたる超再生とでも表現するのが良いだろうか。実のところ、悪魔の能力云々のものでは無く、これが魔王羅賦麻の本来の姿であったのだが、変貌を遂げたその姿は、さっきまでの悪魔らしい姿とは全く異なり、無機質でごつい生気を感じさせぬ人形のような姿となっていたのである。
命を賭して勝利するは目前と考えていた雅綾は、その魔王の姿を見た瞬間にこと切れ、元々ヨボヨボだった身体は完全に水分を失い、ミイラの如き姿に変わり果て前のめりに倒れたのだった。
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