「きゃははははは♪ん~、それにしても爽快だわね~♪底なし沼の泥を根こそぎ放出させるってのはぁ♪」
底なし沼をすっからかんのカルデラの如き地形へと変形させたことに雲峡は満足していた。
仙花らと出会った場面においても30メートルはあろうかという崖の上の道を、海面が眺められるほどに削り取ったことのある雲峡。
彼女がもし本気の本気で技を繰り出せば、小さな山の一つくらいなら木端微塵に破壊出来るのかも知れなかった。
「さぁて、なぜか人助けなんて性に合わないことしちゃったわねぇ。うん、たまったまよ、たまったまこの娘を助けてしまったけれど、どうしてあげちゃ追うかしらぁ♪」
周りには話し相手など一人として居ない状況で、一人で身体をくねくねさせながら顔を赤らめ、百年に一度くらいしかしない人助けをしたことを恥じらう雲峡であった。
きっと、普段の仙人相手の関係も上手くいっていないのであろう…当の本人は否定するであろうが、それもまた不憫に思えてならない…
そんなことはさておき、羅狗佗が何処へと消え去り、雲峡の所為で気絶したまま地面に横たわっている伊乃。
雲峡は彼女の耳元まで近づき、耳元で「ふぅ~」っと吐息を吹きかけた。
すると…
「う、うん…」
眉間に皺を寄せて苦しそうにして伊乃が目覚めた。
「おっ!気が付いたようだねぇ♪良かった良かった♪おっと~!命を助けたのは我だけれどお礼なんぞ無用だよ~♪」
「うん、お礼は言わない」
「ほぇっ!?あっ、そう…そっかぁお礼はなしかぁ…べ、別にいいんだけどねぇ、最初から求めてはなかったしぃ、そ、そっかぁ…」
伊乃にハッキリと真顔で言われ、雲峡は明らかにテンションが落ち凹んでいた。
そんな雲峡の可哀想とも云える姿を見て流石にバツが悪くなったのか、伊乃が仕方ないといった表情で口を開く。
「望んではいなかったけれど、折角助けてもらったのにごめんなさい。言いたくはないけれど、改めてお礼を言わせてください…この度は命を救ってくださり、ありがとうございました」
首を垂れ、複雑な言い回しを交えつつ、無理矢理感満載で彼女はお礼の言葉を述べた。
世の中のまともな者なら、このようなお礼を言われても「嬉しい」とはならない筈である。が、まともでない変人、敢えて付け加えるなら人格破綻者である雲峡の反応は違った。
「きゃははは♪もう♪お礼なんていいってば〜♪て、照れてしまうじゃないかぁ♪」
先ほどまでの凹んだ顔は何処へやら、整った美形な顔面を存分に緩ませて喜ぶ仙女の雲峡であった。
たったそれだけで至極御満悦となった喜怒哀楽の分かりやすい仙女が問う。
「ところで貴方は何で死のうとしてたのかなぁ?」
命を救った者の特権、などとは産毛ほども関係なく、ずけずけと人の闇に遠慮なく踏み込む。
「………..」
問われた伊乃が俯いたまま沈黙する。
彼女の反応は全くもって当然であろう、ついさっきまで己の人生の幕を自ら閉じようとしていたのだから…
「あらぁ、そう、残念ねぇ…でもでもでも~、貴方のたまたま拾ったその命、まさか無駄に捨てたりしないわよねぇ?」
「…….今日は」
己の生きる意味と目的を失い、自暴自棄な精神状態の伊乃はボソッとそれだけで呟いた。
仙女の雲峡は普段、他人のことなど心配しないし力になるような者ではない。
だが今日の彼女は何故か一味も違った。
いつもであればとっくに場を立ち去っていても不思議でない彼女が腕組みをし、普段は考えごとをすることもないのに暫く一考し…
「…う~ん、へ~、そっかぁ。んじゃぁさ~、貴方、仙人になってみない?」
「…仙人?」
雲峡の余りにも突飛な提案に、伊乃は俯いていた顔を上げ思わず聞き返した。
「そう、仙人界と呼ばれる世界にいる超長寿な命と特別な力を併せ持つ仙人。我のように自由奔放に楽しく生きていけるかもしれないわよぉ♪」
「…………..つまり、人間では無くなって、新しい人生をやり直せるってこと?」
雲峡の言葉に伊乃の顔が若干の生気を帯びる。
それを見逃さなかった雲峡が首をコクンコクンと縦に振り頷いた。
「そうそう♪人間ではなくなり我らと同じ高尚な仙人と成れば、きっと多分今よりマシな人生を送れる筈よぉ♪た~だ~し~、人間が仙人に覚醒するためには想像を絶する試練を乗り越えなくちゃならないけどねん♪でもでも滅多に訪れないこの機会、是非とも挑戦してみてはどうかなぁ?」
仙人は滅多なことでは人間が仙人へと覚醒する話しなど持ち出さない。試練が厳しく命懸けであることもそうだが、根本的に人間の中で仙人になれる資質を備えている者が極めて稀であり、一生のうちで出会うことすら叶わないというのが現実である。
そもそも此度において彼女達の出会いを生んだのは、気紛れな雲峡が呑気にも仙葉に乗って空の散歩を嗜んでいたところ、仙骨と仙血を持つ伊乃が醸し出す死の気配が漂うのを感じとり、本能的に興味を惹かれたのが発端であった。
というわけで、とんと望んではいなかったけれど、雲峡との軌跡的な出会いを果たした伊乃の答えは…
「…一度は死んだ身、仙人に成る試練、是非とも受けさせてください」
雲峡の仙気溢れる雰囲気に流されたのか、それとも「新たな人生を送れる」という言葉に惹かれたのか、理由はどうあれ、ついさっきまで人生に絶望を感じて生きる気力すら失い、実際に行動を起こして死ぬ直前だった伊乃の口を突いた言葉は、意外なことに将来へ繋がるものとなった。
「うんうん♪気持ちの良い返事だねぇ♪んじゃぁ善は急げということで♪…」
すっかりご機嫌となった雲峡が唇に指を当てて「ヒュウッ」と口笛を吹き、間も無くすると、人の背丈の二倍はあろうかという大きな葉っぱ、雲峡の愛犬ならぬ愛仙葉(あいせんよう)が、上空から二人の目の前へ空中を滑るように現れ、雲の如く地面スレスレにふわふわ浮いて留まる。
勝手にと云うかついでに申しますと、仙人界でしか繁殖しないこの仙葉、属性的な意味ではもちろん植物に当てはまるのだけれど、伊乃の口笛に反応して側に寄って来たのは決してまぐれでなどではなく、まるで意思や本能を備えた動物のように音に反応して動いたのである。
人間界のおいても植物に意思や本能があるか否かは諸説あるけれど、この特別な植物である仙葉に関して云えば、意思や意識レベルに届かずとも、動物の持つ本能的なものは確実に備わっていた。
雲峡に召喚された霊獣の雷鳥羅狗佗共々、仙人界には人間界に存在せぬ多種多様で摩訶不思議な生物が存在するのである。
などと説明染みた、否、がっつりと説明しているあいだに、雲峡と伊乃の二人は仙葉に乗り込み上空を浮遊していた。
伊乃は女だてらに度胸があり高所恐怖症とは無縁の者であったが、地上から300mほど浮上するという初体験に若干の恐怖心が芽生えていた。
「あ、あの〜、仙女、さま。何処に向かっているのか知らないけれど、も、もう少しだけ低い所を移動してもらえませんか?」
寒い上に高所の恐怖から伊乃の声が上擦る。
語り手はギリギリのところで思い出した… 彼女が濡れた泥に塗れていたことを忘れてはならない。
仙葉の進行方向へ顔を向ける雲峡の背に、母の背にがっしりしがみつく赤子のように抱きつく伊乃。
そんな伊乃の様子を知ってか知らずか雲峡が長い黒髪を靡かせ後ろを振り返る。
「向かっているのは出雲国にある『迷いの森』〜♪高いのは我慢してればそのうち慣れるというものさ♪それよりこれを食べて腹ごしらえしといた方が良いぞ〜♪」
雲峡がそう言って伊乃に手渡したモノとは、通常の桃の五倍はあろうかという大きさの『仙桃(せんとう)』と呼ばれる物であった。
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