刀姫in 世直し道中ひざくりげ ノ53~55 「底なし沼」「時代を越えて」「雷鳥 羅狗佗(らくた)」

刀姫in 世直し道中ひざくりげ 仙女覚醒編

 中に入ろうと屋敷の正門に立った伊乃は、変貌してしまった両親のことを急に思い出し、そこから足が止まり一歩も動けずにいた。

 彼女が動けないまま暫くのあいだ門前に佇んでいると…

 金持ち風の着物を着た貫禄のある中年男が歩いて近づいて来る。

「お前さん、この屋敷になんぞ用事でもあるんかい?」

 伊乃は話し掛けてきた中年の男の顔に嫌悪感と違和感を同時に覚えた。
 顔の筋肉の動きが普通の人に比べ著しく少なかったことに加えて、喋り方も何処となく無機質で抑揚が感じられなかったからである。

「ここは十年くらい前までわたしが住んでた屋敷なんです。久しぶりに両親に会おうと思い、ふらふらと訪れた次第なのですが…」

 伊乃の話しを聞き、彼女の見窄らしい格好を改めて眺めた男が怪訝な表情になる。

「ふむ…俺は五年ほど前からこの屋敷の主になった山守勘助(やまもりかんすけ)と云うものだ。確かぁ、俺より以前の主は、商いが上手くいかずに屋敷を出て行ったと聞いているぞ」

 山守勘助と名乗る男が口にした現実は、伊乃にとって衝撃的な話しだった筈なのだが、彼女は男の話しよりも目に映る別の事象に驚いていた。

「あ、あなたは…いえ、いいのです。お話は承知しました。では、わたしの用事は無くなりましたので…」

「ん?…」

 伊乃が何かを言い掛けたことに対し、山守勘助が首を傾げたけれど、サッと彼に背中を向た彼女はその場を立ち去った。

 行く宛の無くなった彼女は村の道をゆっくりと歩き、山守勘助に見た事象について考えて呟く。

「あれはきっと怪異と呼ばれる者…もしかしたらだけれど、おっとうとおっかぁはあの怪異に喰い殺されたのかも知れない…」

 そう、屋敷の門前で山守勘助と話すあいだ、彼女の目には人に見えて人でない者がずっと映っていたのである。
 人に上手く化けたつもりの怪異の姿が…

「もう…親のことなど、いや、何もかもどうでも良いか…死に場所を探そう…」
 
 伊乃はとうとう思考することすら面倒だと感じてしまい、誰にも迷惑を掛けずに身投げ出来る場所を探して歩き続けた。

 幾許かの距離をふらり、ふらりとしながらも歩を進め、昼間なの陽の光が通らない暗い森に入り、付近に住む人々から底なし沼と恐れられる場所で足を止めた。
 
「此処なら…確実に死ねそう…」

 そう言ってドロドロに滑った底なし沼に足を踏み入れ、一歩、また一歩とゆっくり進むに連れて彼女の身体は沼の中へ深々と浸かっていった。このままいけば、彼女の全身は泥の中へ確実に埋まってしまうであろう…

 だが、自らの命を風前の灯火とさせた伊乃の目の前に、一人の美しき仙女が忽然と姿を現す。

 仙女と云えばついぞ当たり前のように美形、美人を想像するものであるけれど、或いは広い仙人界においても不細工な仙女が居ても不思議ではない。

 しかし、堕仙女の物語を折角にして語るなら、不細工な仙女に出て来てもらうよりも、絵になるほど美人な仙女に登場してもらう方が幾分マシだと思われる。

 幸い?なことに、底なし沼の泥に胸のあたりまで浸かった伊乃の前に上空から舞い降りた仙女。彼女の人格云々はさておき、「絶世」がついてもおかしくないほど美人な仙女であった。

 仙女が空中に浮いたまま腰に手を当てニコッと微笑む。

「ねぇねえねぇ、ひょっとしあなたぁ。それってもしかしてぇ、死のうとしちゃってるぅ?」

 生まれてこのかた場の空気を読むことに努力などしたことのない仙女。彼女の口調は羽毛のように軽く場違いで、とてもじゃないが死を決めた人間に語りかける調子ではなかった。

 伊乃は仙人はもとより仙女という種の存在を知らない。彼女は恐らくこの仙女のことを怪異か何かの悪い印象しかなかったのであろう。軽い口調で話し掛けてくる仙女に一度目線を向け、興味なさげに下へ直ぐ目を逸らして一言呟く。

「…邪魔、消えてちょうだい…」

「なぬっ!?仙人界屈指の実力者であるこの即蘭眉雲峡(そくらんびうんきょう)に向かって何という口の利き方を!?」

 辛辣な言葉に僅かに逆上する仙人界屈指の奇仙女でもある雲峡。
 江戸の時代に仙花らと出会うも、仙女でありながら邪魔者扱いされた彼女は、二百年以上の時を遡ったこの室町の時代においても、初見の人間から雑にあしらわれてしまっていたものである。

 だが伊乃のどん底の心境を考えれば、相手が誰であれ同じ反応を示したであろう。

「誰かは存じないけれど、本当に要らないから、そういうの…」

 力の無い声でそう言った伊乃の身体は泥の中へ沈み続け、今や首が浸かるところまで来ていた。
 聞いた雲峡がムスッとして言う。

「何だかムカつくなぁそういうの。よ~し、貴方の願いとは逆のことをしてやろうじゃないか!」

「ヴン!」

 雲峡が右腕を前に差し出し、希少な仙器である雷禅杖(らいぜんじょう)を手許に出現させ、すぐさま杖の先端を下へ向け。

「その底なし沼ごと吹き飛ばしてやろう!響け!地雷万画(じらいばんかく)!!!」

「ピシャーーーーーーッ!!!ズッ!!ズゥオオオオーーーーッ!!!!!」

 底なし沼の全面に不規則で数えきれぬほどの網状の稲妻が走り、沼の底まで泥を引き裂き上空へ一気に噴出させた!

 雲峡が行った所業を悪く云うなら「馬鹿」、良くは云わずもっと悪く云えば「大馬鹿」であろう。

 後先を考えて放ったのか?否、恐ろしいことに何も考えずぶちかました大技は、泥の中に沈んでいた伊乃をも豪快に吹き飛ばしたのだった。

 だが、大馬鹿者だと過大に揶揄した上で比喩もしたけれど、雲峡が仙人という神に近い存在の一人であり、仙人界屈指の実力者であることは紛れもない事実であり、彼女がただの大馬鹿者でないこと証明される。

 雲峡は眼差しを鋭くし、空中に舞い上がった想像を絶する大量の泥に紛れる伊乃の身体を見つけ出すと、己の長い黒髪を一本「プチッ」と引き抜き口笛を吹くように「ふぅ~っ」と息を吹きかけ。

「出でよ!雷鳥!羅狗佗(らくた)!」

 彼女がそう言うと、一本の黒髪がみるみるうちに何倍もの大きさに膨張し、黄金に輝く鳳凰の如き形を成した。

 雲峡がいきなり出現させたこの鳥、否、正確に云うと仙人界に生存する霊獣なのだが、本来、一人の仙人に霊獣は一体従い寄り添うのが基本なのであるところ、こと雲峡に関しては三体の霊獣を従えている。
 その内の一体を易々と召喚した力こそ、雲峡が仙人の中でも屈指の実力者であることを示す指針であった。

 実力者たる彼女が雷鳥に片目を瞑り合図を送る。

「羅狗佗♪あの娘を助けてやってちょうだい♪」

 自分で起こした災難なのに「助けてやって」とはこれ如何に…
 などと茶化すの栓なきこと。
 雷鳥は高い鳴き声で「ピャーッ」と一鳴きすると翼を大きく広げ、地上へ落ちゆく伊乃の元へと向かった。

 唐突だけれど、日本に生息する鳥で最も早く飛行する種と云えば、水平飛行で最も速いのが「ハリオアマツバメ」で時速170km。限定的だが、急降下において最も速いのが「ハヤブサ」で時速300km。ということらしい。

 いずれにしても最高速度に到達するためには多少なりとも時間がかかるもの。

 しかし雷鳥の羅狗佗にそのような概念は当てはまらなかった。

 結果から云ってしまえば、羅狗佗は動き出した瞬間に最高速度に達したのである。その速度たるや正に光の如し。
 あっという間に伊乃の落ちゆく落下点に到達し、衝撃を与えないようその背中に上手く乗せたものである。

 羅狗佗が伊乃を乗せたまま地上へゆっくり降り立つと、雲峡も地上へ降り、一仕事を終えた雷鳥の額を優しく撫でてやった。

「羅狗佗~♪ご苦労ご苦労♪また機会があれば呼んであげるからね~♪」

「ピャーッ!」

 召喚され登場したばかりだというのに、雷鳥は嬉しそうに鳴いてその場から消え去ってしまった。

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