「危険…か、だがどのような試練が待っていようとも儂は乗り越えていかねばならぬ。して、その魔窟とやらで何をすれば良いのだ?」
仙花一行の旅の最終目的は各地で目撃され、現在は薩摩の地に集っているであろう百鬼夜行を形成している怪異達の討伐である。
光圀は百鬼夜行に関する情報を秘密裏に仕入れ、この事態を放っておけば必ずや全国規模で多大な被害が生じることと想定し、仙骨と仙血という普通の人間とは異質な体質の仙花に希望を託したのだ。
この任務が命懸けになることを彼女は当初より理解している。だからこそ、生死を分けるほどの試練が来ようとも決して挫ける訳にはいかないのである。
真如は初めて仙花と目を合わせた時、その余りにも真っ直ぐで純粋な瞳が眩く感じて目を逸らしたけれど、今は互いに言葉を交わし打ち解け、目と目を合わせて会話することが出来ていた。
「未だ若いというのに強い女じゃて…魔窟の中は蜘蛛の巣のように複雑な造りをしておる。おまけに怪異やら何やらが潜んでおってのう。情けない話しじゃがぁ、儂は怖くて怖くて兎に角叫びながら走りに走ったものじゃった。そうしたらばいつの間にやら灯りの灯る部屋にたどり着いてのう…っと、儂が話せるのはここまでじゃな。この先の話はお主自身が身を持って体験し乗り越えねばならぬ試練になるのじゃから…」
「…承知した。だがあと一つだけ教えて欲しいのだけれど、出雲大社の森に魔窟があるのは良いとして、大凡の場所を教えては貰えぬだろうか?」
「…それがのう…残念ながら分からぬし覚えてもおらんのじゃよ。余り世には知られておらぬのじゃが、魔窟の存在する森は『迷いの森』とも呼ばれておってな、どういうわけか分からぬが、あの森には人を惑わす不可思議な力が働いておってなぁ、一度足を踏み入れた者を困惑させ迷いに迷わせてくれおるのよ…儂は魔窟に辿り着くまでに三日三晩もの時間を要したものじゃった。だからのう、正直なところ場所はさっぱりなんじゃなぁ…」
「ふむふむ、魔窟に辿り着くまでも一筋縄ではいかぬということじゃな。極めて承知したぞ。おっと…真如様…心より感謝致します」
仙花は長椅子から立ち上がり、礼儀正しく畏まってお辞儀した。
その姿を眺めていた真如が初めて柔かな笑顔を見せる。
「くっくっくっ、よいよい。儂も何十年ぶりかに楽しい時を過ごさせてもらったからのう。それに、奢って貰った串団子も未だ半分以上残っておる。実に愉快な吉日じゃわい」
と、丁度話が終わる頃合いに団子屋の娘が山盛りに串団子を乗せた大皿を運んで来る。
「お待たせしました~!これでご注文の団子は全部になります~」
団子屋の娘はそう言うと、長椅子に座る仙花と真如の間に大皿を置いた。
「くっくっくっ、これは爽快じゃわい。じゃがこれだけの串団子を一人で食べるのはやはりもったいない。折角じゃ、皆で食べようじゃないかえぇ」
意外過ぎる真如の言葉に皆が一瞬戸惑う。
何故なら、先程出てきた三十本の串団子をペロリと食べてしまった真如。そんな彼女なら残りの七十本も一人で易々と平らげるであろうと皆が思っていたからである。
「んん?どうしたというのじゃぁ?お主らに奢って貰った串団子じゃが遠慮は要らんぞい」
「…そうじゃな、此処は甘んじて皆でいただくとするか」
仙花が四人に声を掛けると、お銀、蓮左衛門、九兵衛、それに寝ていた筈の雪舟丸が目を覚まして串団子をいただこうと歩き近づく。
「ではでは、遠慮なくいただくでござるよ」
最も近くにいた蓮左衛門がいの一番に大皿へ手を伸ばした。
その時、生物の気配を感知する脳裏力に長けた雪舟が、上空からただならぬ気配を察して見上げ、即座に皆へ危急を知らせる!
「上から何か来る!今すぐそこから離れろっ!」
「!!??」
昨日の雲峡という仙女に続き、またもや上空からの厄災か!?
九兵衛と団子屋の娘を除いた四人が雪舟丸の声に反応し、真上を見上げ何かが急速に落ちて来るのを確認しそれぞれが行動に移る!
仙花は何が起こっているのか分からず硬直した団子屋の娘を抱くようにして飛び退き。
真如は危急にも関わらず串団子の大皿を片手に持ち軽やかに離れ。
蓮左衛門とお銀の二人は飛び退くと同時に武器に手を掛け構えた。
各々が行動を終えて身体を静止させるや否や!
「ズッ!!!ドォーーーン!!!」
凄まじい速さで上空から落ちたそれは、長椅子の前の地面に着地し爆音と大量の土埃をあげた!
いったい何が落ちて来たのか?と皆が長椅子のあった場所を注視していると徐々に土埃が流れて行き…
「おい。美味そうないい匂いを辿ってわざわざ進路を変えて来たのだ。そいつを寄越せ」
土埃の中心から聴こえたその声は、串団子の大皿を抱えた真如に向けられていた。
「…だぁれがくれてやるもんかい。欲しければ力づくで奪ってみなぁ」
土埃が完全に無くなっておらず、声の主が何者なのかハッキリしない相手に強気な態度で返した真如であったのだが…
「ヒュバッ!」
突如として突風が吹いて通り過ぎ、残っていた土埃も一緒に乗せて行き、声の主の正体が見て取れた真如は急に身体を震わせ始め、己の浅はかさを呪ったのだった。
青々としている空から、それもかなりの高度から舞い降りるでもなく、あたかも隕石の如く堕ちて来た者の姿は、側から見れば人間の形と相違なかった。
しかし誰もがひと目見れば気付くであろう決定的で奇怪とも云える違いがあった。この者のそれは肌と云っても良いのかは分からぬが、真っ黒な地肌で構成された顔は怪異の「のっぺらぼう」を彷彿させるような異形をしており、頭には一本も見当たらない髪の毛の代わりに二本の金色の角が生え、瞼と口を開けば赤く不気味な光を発していた。
そしてさらに仙花達の目を惹いたのは、身に纏う、この時代には珍しい西洋風のマントであった。
「お、お前が、なぜ、こんな場所へ?」
身体だけでなく、声まで震わせ怯えるように喋る真如。
彼女の口振りからして、突如として現れた者が彼女にとっては未知で無いことを指し示していた。
奇怪な者が不気味な目を光らせ悪魔の如き口を開き、この世のものとは思えない笑い声を出す。
「グァグァグァグァ!まさかこんなところで会えるとは思ってもいなかったぞ、聖天座真如よ。歳をとった所為か顔が皺くちゃゆえ気付かんかったわ。グァグァグァグァ!過去の貴様は息を呑むほどに美しかったが哀れなことよ、今となっては見る影もないな。貴様が仙人界を追放されてかれこれ五十年くらいは経つのかな?」
「…あぁ、それくらいじゃろうて、儂は質問に答えてやったぞい。お前も儂の問いに答えろ亜孔雀(あくじゃ)」
「グァグァグァグァ!相変わらず強気な女だな!あの頃を思い出して惚れ直してしまいそうだぞ。グァグァグァグァ!」
耳障りな亜孔雀の笑い声が辺りに響き、いつでも刀を引き抜ける状態の蓮左衛門が無駄に驚く。
「な、なんと!?真如様は昔は美人だったというでござるか!?」
「蓮さんお黙り!あいつの桁外れな妖気からしてとんでもない奴だってことは鈍いあんたでも分かるだろ。真如様が会話している間に奴を出来る限り分析するんだよ」
亜孔雀を見た瞬間にゾッとする想いをしたお銀に秒で叱られる始末の蓮左衛門であった。
そんな二人のやり取りなど全く耳に入らない真如が言う。
「気持ちの悪るくなる笑いと余計な話は不要じゃ。さっさと言え、なぜお前が此処に居ると訊いておるのじゃ」
「…貴様に答える義理は無いが、別段隠すほどのことでもあるまい。オレは諸用があってついさっき魔界を出たばかりでな、南西の地まで今日中に飛んで行かねばならんのよ。それで真っ直ぐ飛んで行くつもりだったが、何やら美味そうな匂いが鼻をついて此処へやって来たわけだ」
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