「う~む、そうであったか、すまぬ…だが承知した。もう余計な口は挟まぬゆえ続けてくれ」
聖天座真如の言うことももっともだと判断した仙花は素直に謝り、欲しい情報に辿り着くまでは我慢しようと話の続きを促した。
「…儂はのう。十八という若さで田舎の農家のに嫁いだものじゃった。質素な食事ばかりの貧しい暮らしじゃったが、優しい夫が側におるだけで、幾ら仕事や家事に追われようとも儂の心は癒され幸せな気分になっておった…」
仙花が不意に、懐かしそうに語る老婆の方へ目を向けると、彼女の横顔が二十代の頃に若返ったような錯覚を起こし、己の眼は正常であるか?と首を傾げ、手の甲で瞼をゴシゴシと擦った。
そんな仙花のことなど露知らず、聖天座真如は語り続ける。
「じゃがのう。死ぬまで続くかと想っておった幸せはぁ、あぁ、儚きことかな、三十路を迎える前に悲しくも途絶えてしまったんじゃよ…」
当時の悲しき記憶が蘇り、普段よりやや早めだった口調が噛み締めるように語っているため漸進的になる。
仙花達は昨夜も、悲しき幽霊の物語を聞いたばかりであったけれど、聖天座真如の口調と話しのくだりからして、またもや悲壮感漂う話だなと思いつつも興味深く聞き入っていた。
「不味い、不味いのう…」
「どうした真如様。何が不味いというのじゃ?」
「昔のことを思い出したら悲しくなって来たわい…」
「…そこは端折って貰っても構わぬよ。真如様の気持ちを沈めさせるために訊いたのではないからのう」
仙花はそう言いながらも、聖天座真如のことだからきっと話を続けるのであろうと思っていたのだが…
「そうかいえぇ、ならば、儂と家族が別離することとなった部分は端折らせてもらとするわい」
「「「「なにーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」」」」この展開で喋らぬとは何事か!と、雪舟丸以外の四人が心の中で叫んだものである。もちろん雪舟丸が皆と違って無関心だったというわけではない。ただ、串団子を食べて腹を満たした彼は、立ったまま寝ていたからに外ならなかった。
「んでなぁ、儂は夫と子を失って自暴自棄になってのう。生きる意欲を完全に失っておったというわけじゃ…」
昨夜の幽霊の話しに似ていると四人は思ったけれど、肝心なところを端折られたため何とも言えぬ歯痒さが残った。
「そんな折、儂の目の前に突如として現れ、少しばかり強引だったが、仙人になるよう勧めてくれた仙女がおってのう…」
真如の口から「仙女」なる単語が出た刹那、仙花の脳裏に嫌な予感が走った。
「…まさかな」
ボソッと呟いた彼女の顔が曇り、それを見ていた真如が訝しげに訊く。
「ん!?どうしたのかのう…わしゃぁ未だ変なことは言っておらんぞい」
「あ、いやいや、気にせんでくれ。昨日一人の可笑しな仙女に遭遇したばかりででな。全く持って迷惑千万な仙女であったよ」
「…ほう、滅多に会うことの叶わぬ仙女に昨日会ったばかりで今日は儂か…お主の魂には様々な者を引き寄せる強い力が備わっておるやも知れんなぁ…その良し悪しは別としてじゃが…」
「引き寄せる力か…それは儂も昔から薄々感じておった。人に限らず動物や虫、果ては得体の知れぬ者まで近寄って来おったのう」
仙花には光圀と出会った十歳の頃より以前の記憶は無い。よって彼女の言う昔というのは、十から十二歳くらいまでの短い期間を指すのだけれど、実際のところ、養父の光圀が彼女の身の周りには得体の知れぬ者がよく近づいて来おったわい、などと仙花は聞かされたものだった。
「くっくっくっ、やっぱりなぁ…して、昨日会った仙女の名は何と申すのじゃ?」
「確か… 即蘭眉雲峡(そくらんびうんきょう)とかいう名だったようなぁ…」
仙花が雲峡の名を出した途端、真如が最高にびっくりしたかのようなここまで見せなかった表情に変わる。
「な!?そそそ即蘭眉雲峡様に会ったじゃとぉ!?」
「う、うむ。真如様、そんな顔をしていったいどうしたというのじゃ?」
真如に応えた仙花は何をそんなに驚いているのかと不思議に思いキョトンとしていた。
「んんん、ただの『地上人』が知らぬのも無理もないじゃろうが、雲峡様と云えば、仙人の中の仙人!仙人界でもずば抜けた神通力やらなんやらお持ちの最強級のお方なのじゃよ。実はのう、儂に仙女への道を示してくれたのも雲峡様なんじゃぁ…」
「…な、なるほどのう…」
どうやら仙花の嫌な予感は悪い方向で的中したようである。
しかし、彼女には昨日遭遇した雲峡の姿は、お銀と同じくらいの若い年齢に見えていたのだが…
「真如様よ。雲峡、様はあれでお幾つになるのであろうか?」
「…年齢か、ううむ、確かなことは云えんがぁ、仙人界での噂では三百から五百くらいいっていたような気がするのう」
三百から五百という一世紀か二世紀も違う超幅の広い年齢を云われ、聞いた仙花一味はなんとも云えぬ表情になっていた…
にしてもだ。最低の三百歳だったとしても三世紀を生きたことになる仙人の雲峡。
かの仙女に対して仙花達の持った印象を敢えて点数で云うならば、100点中おまけしても5点といったところであろう。
仙花達にとって、昨日時点での雲峡の存在価値は、降って沸いた災難程度でしかなかったのである。
まぁ、仙花達の前に突然現れ、いちゃもんをつけ逆ギレ状態で道を破壊し、挙げ句の果てには道の修復をお銀と妖狐の弧浪が成したのだから、当然といえば当然の評価であった。
だが、仙花達にとって災難でしかなかった仙女の雲峡は、真如からすれば最高の仙人であり恩人でもあるらしい…
「…真如様にとっては崇高な存在なのだな、雲峡、様は…」
「そうなんじゃぁ、雲峡様のお陰で儂は自らの命を絶たずに済んだでのう…でじゃぁ、儂が仙女になれたのは、雲峡様のご教示くだされた洞窟と、その洞窟におったり、おらなかったりする仙人の力によるものなのじゃぁ」
「おったり、おらなかったりという箇所が引っかからないわけでもないが、取り敢えずその洞窟とやらは何処にあるのじゃ?」
「…この出雲国の地に、大国主神(おおくにぬしのかみ)を祀った出雲大社(いずもおおやしろ)と呼ばれる神社があるのは知っておろう?」
「うむ、じっ様が昔言っておった。いつの日か共に出雲大社へ旅でもしようではないかと…結局じっ様とは共に行けずじまいであったがな…」
仙花と光圀の出会いの物語は以前語ったことはあるが、徳川御三家の水戸光圀は隠居の住処として建てた西山御殿に、当時十歳だった仙花を養子として迎え入れ、蝶よ花よとはいかないまでも、それはそれはたいそう可愛がったものである。
光圀は時より、「いつの日か、親子水入らずで旅でもしようぞ」と、仙花に言っては喜んでいたものだけれど、隠居をしても幾人もの要人が西山御殿を訪れ、相談や依頼ごとを持ち込むものだから、結局、一泊二日程度で済むような近場への旅を余儀なくされた。
それでも光圀には何故か、「出雲大社へは行きたいものだな」と仙花に言っていたと云う。
しかし、天下の水戸光圀をよく知らぬ天聖座真如は、残念ながら無関心で続きを伝える。
「お主のじっ様と呼ぶ者のことは知らぬゆえ、話しを続けさてもらうぞい。良いか、今申した洞窟は「魔窟(まくつ)」、いわゆる魔境の洞窟じゃなぁ。儂も仙女になるため一度は入ったものの、用が済めば二度と入りとうない危険な場所じゃて」
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