「ガシャャン!」
老婆の度肝を抜く行動を目の当たりにした団子屋の娘が、店内に戻ろうとし矢先にお盆を落として割ってしまった。
皿の割れた音など耳に入らぬほど驚いた仙花一味も、皆が驚愕の表情で硬直し絶句する。
老婆の信じられない動きはそれほど衝撃なものだったのだ。
長椅子に座る隣の仙花に老婆が話し掛ける。
「お主、儂がただのばばあでないことくらい薄々感じておったのじゃろ?」
驚きで空いたままだった口を一度閉じて仙花が返す。
「…う、む。普通の人間ではないと思っておったが、其方は何者なのじゃ?もしや怪異ではあるまいな?」
「くっくっくっ、怪異とは片腹痛い…信じるも信じないもお主次第じゃが、わしゃぁ元仙女、堕仙女(だせんにょ)の聖天座真如(せいてんざしんにょ)じゃぁ」
「仙女!?其方がか!?」
「そうじゃ、しかし今云ったように『元』や『堕』のつく仙人じゃがなぁ…」
意味ありげな真如の言葉を受けた仙花が「う~む」と一考し、興味津々といった具合で続けて問う。
「なぜ其方は仙女でなくなったのだ?」
「くっくっくっ、初めて会うというのに遠慮せず早々に突っ込んでくるわいなぁ…これについては話せば長くなってしまうからのう…」
「串団子を百本も頼んだのだ。ゆっくり食べながら語れば良かろう。あ、いや。堕仙女の件は端的に頼む。他にも其方に訊きたいことが山ほどあるのじゃ」
養父である光圀の影響を必要以上に受けた仙花の喋り方は実に年寄り臭い。そのためこの二人の会話はまるで老人同士の会話に聞こえてしまうがそこはご愛嬌、というところであろうか…
「簡単に端折って云ってしまえば、仙人界の掟を破ったからじゃなぁ。掟とはつまり人間界で云うところの御法度じゃな、仙人界の者からすれば儂は罪人となるわけじゃ…とはいえ、仙人界への行き来や『仙人』を名乗ることができなくなっただけで、仙人だった頃の能力を失ったわけではないぞえ…」
辛い過去でも思い出したのであろうか、真如は微かに虚な表情を見せた。
「…なるほどのう。ようするに仙人界を追放されたようなものじゃな。その話も些か気になるところではあるが、今は敢えて訊くまい…」
「ほ、ほう。こんなおもしろい話しを聞かんで良いのかえ。興味があるなら話しても良いのだぞ」
「いや、もちろん興味はある。だが先を急がねばならぬゆえ、やはり今は遠慮しておこう」
仙人界どうやって堕ちたのか話したそうな真如の言葉を、アッサリにしてバッサリと斬り捨てる仙花であった。
「ほ、本当にいいのかえぇ?天界から堕ちた仙人の物語なぞ滅多に聴けるものではないぞい」
「うむ、ちとしつこいのう。其方の堕ちた話しは『なし』の方向で構わんよ。それより何より仙女になるにはどうすれば良いのか教えてくれぬか、真如様よ」
仙花にしては真に珍しく、呼び名に『様』を付けたあたりは少なからず敬意を表したつもりだったけれど、聖天座真如は「自伝」を語れないとあって凹んでいるように見えた。
と、そこへ、白い大皿に沢山の串団子を乗せて団子屋の娘が現れる。
「お待たせ致しました~!いっぺんに百は無理でしたので取り敢えず三十本になります~」
皿に盛られた食欲を唆る串団子の見た目と香りに、聖天座真如が「ゴクリ」と唾を飲み込む。
「わしゃぁはらぺこじゃぁ。話しはこの皿の串団子を平らげてからでどうかのう?…でないと仙女になる方法も上手く思い出せぬかも知れん…」
聖天座真如が三十本という数の串団子をどれほどの時間で食べ切れるのか分からない。どうしようかと考えた仙花であったが良い考えが浮かばず、助けを求めてお銀に視線を送ったけれど、彼女もお手上げといった身振りをして答えるに留まった。
「分かった。だが先にも云うたように時間がない。できるだけ早く食べてくれぬか?」
すると聖天座真如がニンマリと喜びの表情を見せ…右手で五本の串団子をがっつりと掴み、続けて左手で同じく五本の串団子を掴んだ。
いくらなんでもそれは持ちすぎ!と、仙花を筆頭に誰もがそう思った矢先。
堕仙女の聖天座真如は大口を開けるや否や、あろうことか右手の五本の串団子をまとめて口に入れ、休まず左手の五本の串団子まで放り込んだのだのだった。
一本の串に大きめの団子が三個刺さっているわけだから、彼女の口の中には今や合計で30個の団子が入っていることになる。
頬を大きく膨らませてモグモグモグとする様は、まるでどんぐりを口いっぱいに入れた「栗鼠」の姿にそっくりであった。
聖天座真如はここから噛んだ団子を少しずつ呑み込むのかと思いきや、驚くべきことに口に含んでいた団子を「ゴックン!」と一気に呑み込んでこんでしまったのである。
それを眺めていた仙花一味の全員が口を開けて唖然とする中、元仙女と知れていても老婆であることに相違ない彼女は、また同じ動きを繰り返し、あっという間に三十本の串団子を平らげてしまった。
「ふぅ〜、少しは腹の減りがおさまったわいぃ。んん、喉が渇いたのう…すまんが茶を所望するぞい!」
店の中にいる団子屋の娘に聴こえるように、声を張り上げて茶を要求する大食いの堕仙女であった。
店の中から湯呑みの乗ったお盆を片手に、団子屋の娘が慌てて勢い良く飛び出してくる。
「お茶を忘れてました~!ほんっとうに申し訳ございませ~ん!出来立てアツアツですのでお気をつけて呑んでくださいまし〜」
と、聖天座真如の目の前で急停止した彼女は慌ててはいたが、熱いお茶の入った湯呑みを丁寧にそっと、長椅子の上へ置いた。
余談だけれど、抹茶とは異なる煎茶という種のお茶は江戸時代初期頃、中国より隠元禅師(いんげんぜんじ)という人物が伝えたらしく、江戸幕府の儀礼に取り入れられ、いつしか武家社会などには欠かせぬものとなったそうな。
お茶という呑み物の歴史を詳しく紐解けば、幾らでも余談を続けられそうで怖いのでここら辺でやめておこう。
さて、アツアツの熱いお茶であると忠告されたばかりの聖天座真如が、忠告など聴こえていなかったようにガシッと片手で掴み口元へ持っていく。
「ゴクゴクゴクゴク…ぷはぁ~!茶も美味い!店は小さくてボロく見えるがぁ、なかなかどうして上等な団子屋じゃぁ」
熱いお茶を一気に呑み干した堕仙女は、殊の外満足そうにそう語った。
隣に座る仙花が珍獣でも見るような眼差しで言う。
「真如様には驚かされっぱなしじゃ。そんな呑み食いは肝っ玉の大きい儂の父でも無理であろうな…ではそろそろ教えてもらえぬだろうか?」
「…おっ、そうそう、仙人界を追放された時の話じゃったかのう」
「いやいや、堕仙女となった話はもはや完全に不要じゃ。仙女になる方法、この一点だけを詳しく教えて欲しい」
己の過去を語りたいという意思をバッサリと斬り捨てられた聖天座真如が、残念そうな顔をして話し出す。
「…良いじゃろう、あんまり焦らしてもかわいそうじゃしなぁ。これより語ることは一度しか云わぬ、心して聞くが良い」
遂にというかやっとというか、ようやく本題の話しが聞けると感じた仙花の表情が引き締まる。
「うむ、心得た。さぁ話してくれ」
聖天座真如の視点が遠くにある海の水平線へと移り、記憶を手繰り寄せるようにして語り始める。
「…仙人、仙女、まぁ呼び方はどちらでも良いのじゃが、普通の平民であり人間であった儂が仙女となったのは、今より二百年くらい前になるかのう」
「おいおい待て待て、真如様の昔話は不要じゃと言っておろう」
二百年という驚きの年月を無視して、仙花が話の途中で突っ込みを入れた。
「くっくっくっ、そう年寄りを急かすでない。遥か昔の記憶を呼び戻すには順序立てて語った方が効率が良いのじゃよぉ。先に云ったように、なんせ儂が仙女になったのは二百年ほど昔になるのじゃから…」
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