彼の「久しく見ていない可愛い娘」という言葉に過剰反応を示すお銀、禍々しい気を放ちながら「キッ!」と九兵衛を睨みつける。
主の仙花に関してだけは寛容なお銀であったけれど、どちらかというと完璧主義な彼女は、うっかり九兵衛の言動などには必要以上の反応を示してしまうのである。
が、見た者を石にしてしまうのでは?などと感じさせる恐ろしいお銀の眼差しは、腹ペコで串団子を前にした有頂天状態の九兵衛には無意味であったようで…
「うひょ~!!絶品!大絶品串団子でやんすね~♪」
デレデレ顔でさも嬉しげに次々と食べる九兵衛であった。
青い空には白い雲が幾つも並びんで浮かび、地理的にも高い峠から見下ろす景色も美しく、仙花一味の全員がたいそう美味な串団子を食べ終えお茶を啜っていると、串団子を運んでくれた若い娘が皿を引き揚げに現れお盆に乗せ始めた。
その様子を眺めていたお銀がものは試しにとダメ元で訊く。
「娘さん。ちと可笑しなことを訊いて申し訳ないのだけれどぉ、出雲国で仙人なんて者の噂を耳にしたことはないかい?」
お銀の急な問いに皿を片付ける手を休め、振り返った娘が訝しげな表情をして口を開く。
「仙人、ですかぁ?う〜ん、御伽話か何かで聴いたことはありますけれどぉ…実際に見たって人の話は記憶にないかもですねぇ…お役に立てず申し訳ございません」
「で、あろうなぁ…あ、気にせんでくれ。変なことを訊いたのはこちらの方なのだから…」
「儂ぁ、知っとるぞいぃ…」
「ん!?」
「なっ!?」
何処からかしゃがれた老婆の声が突然聴こえ、その場の全員が辺りをキョロキョロと見渡すも、老婆の姿など何処にも
見当たらない…
「くっくっくっ、お主ら、何処を見ておるのじゃぁ…儂ぁ此処におる。もっと根を詰めてさがさんかぁいぃ…」
またもや何処らともなく老婆の声が聴こえ、仙花達がややムキになって再度探すも見当たらない…
と、此処で雪舟丸が何故か黙ったまま刀を抜き放ち、仙花達の居る長椅子の方へつかつかと歩いて近づき、刀の切っ先を長椅子の下へ向けて言う。
「婆さん、悪いことは言わぬ。三つ数えるうちにそこから出て来ることをお勧めする…さもないと、この刀が老体を突き抜けてしまうことになるぞ…」
仙花を始め、他の者達も驚いた顔で長椅子から距離を取り、刀を突き付けられた長椅子の下部へ注目する。
「ひと〜つ」
雪舟丸がゆっくりと一つ目を数えると…
「くっくっくっ…年寄りには優しく接して大事にせぇと、親から教わらんかったらしいのう」
「…ふた~つ」
老婆の言葉など完全に無視して雪舟丸が二つ目をつつがなく数える。
「ちっ!仕方が無いのう…」
「バサッ!ゴロゴロゴロ…」
雪舟丸が三つ目を数えたなら、問答無用で刺して来るであろうことを察したのか、舌打ちをした老婆が地べたを寝返りをうつように横へ転がりながら長椅子の下から姿を現した。
老婆はこれでもかというほど顔がしわくちゃで、手入れのされていない長い髪は完全に白髪になっており、相当な老齢であることが窺い知れた。
老婆が寝たまま地に肘をつきながらお銀に話しかける。
「珍しいやつだねぇ、あんたぁ何故仙人に興味を持ってるんだい?」
寝たまま喋る老婆の態度に多少なりともイラッと来たお銀だったが、何か知ってそうな老婆から情報を引き出そうと冷静に応じる。
「お婆さん、取り敢えず人と話す時は寝転ぶのやめときましょうかぁ。起きるのが大変でしたらお手伝い致しますよぉ」
彼女は周りが引くほど穏やかな優しい口調でなんと手助けを申し出た。
普段のお銀の素行を知る者なら全くもって信じられぬ光景である。
だが、この老婆がそんなことなど知る由もなく…
「ケッ、だぁれが不細工な女の手なぞ借りるもんかい。起きあがろうと思えば儂一人で楽に起きれるわい。そうしないのはお主らを揶揄っているからに決まっておるじゃろぉ、くっくっくっ…」
老婆がとんでもない暴言で返したものだから、その場の空気が一瞬で凍りつき、誰もが「婆さん死んだな」と確信したのだった…
「…あらあらぁ、お婆さん。お年寄りだからと思ってちょいと優しくしてやったっていうのにぃ…汚い言葉しか出てこぬ口ならばぁ、いっそあたしが自慢のクナイ捌きで縫って差し上げましょう…それとぉ、あたしは絶対に不細工でも不器量でないのでねぇ…」
お銀は言い終えるや否や、袖からクナイを一本スッと取り出し、般若の如き表情で老婆を睨みつけた。
まぁ実際にクナイで口を縫うわけではなかろうが、現実的に行えば口に穴が開くだけでは済まないことは容易に想像できる…否、怒り切ったお銀なら本当にやりかねないから怖いのである…
「くっくっくっ、お主もくの一の端くれならこんな挑発に乗るもんじゃなかろう。仙人について知りたかったんじゃないのかえぇ?」
お銀の怒り心頭な様を見てもとんと動じない老婆。長椅子の下から登場した奇天烈な行動といい、いったい何者なのであろうか…
老婆に痛いところを突かれたお銀が冷静になるよう集中する。
昨日遭遇した仙女の即蘭眉雲峡から情報を得る機会を自ら逸して彼女は、滅多にないであろう情報源を逃したくはなかった。
「お婆さん、こちらにおわすお方は水戸光圀様の娘で仙女になる素質を持っておられるのです…もし、その方法をご存知でしたらご教授お願いしたいのですがぁ?」
「…水戸、ねぇ…聞いたことがあるような、ないようなぁ…まぁ誰であろうとええわい、じゃがぁ、まさかと思うが、ただで教えてもらおうと思っとりゃせんじゃろうなぁ?」
徳川御三家である水戸光圀の名を呈するも、老婆はどうやら知らぬらしく反応が鈍いうえ、情報と引き換えに何やら要求するタチの悪そうな老婆。
だが現時点での印象はそうだとしても、この老婆は大きな秘密を隠し持っているものと踏んでいるお銀。
すると此処で二人の様子をずっと黙ったまま眺めていた仙花が割って入り、これといった感情を面に顕さず、至って真面目な顔をして老婆に訊く。
「婆さんは腹が減っておるのじゃな?串団子を奢ってやろうではないか。何本欲しい?遠慮は要らぬ云ってみよ」
「だぁれが….」
驚きである。
お銀の怒り心頭の眼力すら微塵も怯まなかった老婆が、仙花の真っ直ぐで清い眼差しを見た瞬間、目を逸らして言葉を失ったかのように黙り込んだのだ。
「婆さんどうした?さっさと申せ。何本じゃ?」
串団子が欲しいとも言っていない老婆に無理矢理詰め寄る仙花。
先ほどまでの横柄さを失った老婆がボソッと云う。
「….ひゃく、百本の串団子をくれ…」
「ひゃっ!?ひゃく~っ!!??」
信じられない数を口にする老婆に、その場にいる誰より早く驚いた蓮左衛門。
「百じゃと!?ん~、情報は欲しいしのう…仕方あるまい!団子屋の娘よ。串団子を適当に見繕い百本持って来てくれ」
そんな途方もない数の串団子を本当に食べられるのかどうかは別として、仙花は仙人に関する情報を得るため老婆の言い分を汲み取ることにした。
「お銀に蓮左衛門。すまぬが席をそこの婆さんに譲ってくれぬか?座ってゆっくり話を訊きたい」
仙花の意図を察した二人が「承知」とすぐに動き長椅子の席を空ける。
「さて、串団子は希望通り注文したし席も空けた。こちらに座り、仙人について知る限りのことを教えてくれ」
「…ふん!」
「フワッ!ギュルルル!スチャッ!」
老婆が寝転がった状態で鼻息を一つ鳴らした瞬間、驚くべきことに老婆の身体が地上を離れて浮いたかと思うと、物凄い勢いで回転しながら長椅子に着席した。
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