仙花一味の中でも間違いなく戦闘に不向きな医師の九兵衛。
体力的なことは勿論だが、悪く云えば「うっかり呑気者」、良く云えば穏やかにして優しい性格ゆえに不向きと云えよう。
その戦闘に不向きな者が数多いる怪異の中でも危険度の高い闇雲に向かってまっしぐら。
一ヶ月以上共に旅をしてきた蓮左衛門からすれば、彼の行動は「狂気の沙汰」以外のなにものでもない。
「うおぉい!!九兵衛!!止まれ!!止まるんだ!!死ぬ気でござるかーーーっ!!」
当然ながら大声を上げて止めようとする蓮左衛門!
だが、正常な状態であれば絶対に届いているであろう彼の声は、お雛と家族の仇を討つという一心で我を忘てしまった九兵衛には届かなかった。
勢いに乗った九兵衛が、鼻息も荒く闇雲の浮かんだ場所まで辿り着いてしまう。
「化け物め!宙に浮かんで無いで降りてくるでやんすよ!」
彼の頭には勝算の思慮など皆無であった。駄洒落のようだけれど、正に彼は「闇雲」に対し「やみくも」に勝負を挑んだわけであり、実のところ、普段は「間抜け」がついてしまうほど温和な九兵衛が、お雛の話しを聞き我を忘れるまで熱くなってしまった理由は幼き頃の記憶に関係しているのだが…
とりあえず、とは適当過ぎるかも知れないがそれはさておき…
「あちゃ~、どうするどうする!?どうすれば良いでござるか拙者は~!」
真土間との困惑していた蓮左衛門が九兵衛の突飛な行動に混乱へと陥っていた。
しかし彼は断じて優柔不断な男ではない。こういう非常事態の際に彼が取る行動はたった一つ。
「待ってろ!否、待たずとも今行くでござる!!」
仲間の危機に逃げ出すような男ではなかった。例え勝算がほとんど零であったとしても…
不気味に宙に浮く闇雲には弧浪や真土間のように思考する能力は備わっておらず、微生物の如く本能のままに動く怪異である。
お雛によれば、闇雲は「恐怖心を察知する」とのことであったが、現状において九兵衛に恐怖心があったかどうかは定かではないが、宙に浮く闇雲が九兵衛に向かって降りてきた。
それを迎えうとうと九兵衛が棒っきれを竹刀に見立てて迎え構える。
「よ、よ〜し。かかって来い!」
降りて来る闇雲を前にした九兵衛が一瞬我に返り動揺の色が見えた。
「くっ!間に合わん!」
その様子を駆けながら見ていた蓮左衛門の口から諦めの言葉が漏れた。
「えいっ!」
「スカッ!」
「!?」
手の届く距離まで接近した闇雲へ棒っきれの一撃を九兵衛が放つもまるで手応えなく、棒っきれはただ闇雲を通り過ぎただけの形となった。
本気で棒っきれを打ち込んでいた九兵衛は肩透かしを喰らい、大勢を崩して前のめりによろめき…
「おっとと!?うっ!?うわぁっ!!??」
闇雲に全身を包まれた九兵衛の叫び声が辺りに響いた!
「九兵衛ぇっ!!」
救援に間に合わなかった蓮左衛門が名を叫び、真土間の仕業か本能による危険回避だったかは分からぬが途中で脚をピタリと止めてしまった。
闇雲が九兵衛の身体から離れ宙に浮き、地べたにぐったりと倒れる彼の姿だけが残る…
蓮左衛門が絶望している折、家の中から寝ていた仙花、お銀、そして珍しく目を覚ました雪舟丸の三人が駆けつけた。
「どうした蓮左衛門!何かあったのか!?」
仙花の声に気付いた蓮左衛門が動揺し少し震えた口調で応える。
「きゅ、九兵衛が怪異に…やられてしまったでござる…」
駆けつけた三人が蓮左衛門の視線を追い、倒れる九兵衛とその真上に浮かぶ闇雲を認識した。
「九兵衛…あれは何奴じゃ?」
「あの怪異は闇雲にございます。わたくしの所為で申し訳ございません…」
「んにゃっ!?」
背後から聞き慣れぬ声がして振り向いて向いた仙花がお雛を目にして退き驚いた。彼女もまた幽霊初見の身なれば仕方がない。さらに云えば、お銀と雪舟丸の二人も若干引いていたことを付け加えておこう…
「そ、其方は?」
「お雛と申します。それより皆さん闇雲が動き出します」
幽霊というものには感情こそあれど?、それをを表現することは些か難しいらしく、お雛の言い方は酷く冷静で辛辣なものに三人は聞こえた。
が、幽霊の存在やものの言い方云々などどうでも良い状況と判断し、三人が揃って闇雲へ目線を戻す。
立ち止まったまま動かず、動揺している蓮左衛門の心を感じとった闇雲が動かんとしたその刹那!
倒れる九兵衛の身体が白い光を帯びたかと思うと、すぐさま青白く巨大な何かが溢れるように飛び出す!
「ウヴォオオオーーーーーーッ!!!低級な怪異が好き勝手暴れてくれよるわ!!我が一呑みにしてくれる!!」
それは唐突で驚愕の出来事であった!
九兵衛の身体を凌駕するほど巨大な人に近い形の頭が現れ、全てを喰らい尽くすが如き凶暴な口が「グァバァッ!!」と開き地響きを立てて吠えたのである!
「デイダラボッチか!!?」
頭だけでも強烈な存在感と想像を絶するその姿に、怪異であるお雛を含めた全員が身体的にも精神的にもかつて経験したことのない衝撃を受けた!
これが怪異にして山や湖沼を作ったという伝説の巨人。能力、危険度共に特級の桁違いな妖気を持つデイダラボッチであった!
「で、でか過ぎる…」
最も至近距離から眺めていた蓮左衛門。彼の身体は驚きと恐怖から硬直し、石のように固まっていた。語尾に「ござる」を付け忘れるほどに…
人の脳が処理できぬ現実離れした事象と直面した場合、大抵はこのようになってしまうのではなかろうか。
デイダラボッチの不気味な光る眼、獣のような鼻が認識可能な状態になった時、途方もなく巨大な口が凄まじい速さで闇雲に接近する!
「バァクン!!!」
梅干を食すが如く闇雲を一口で呑み込んだデイダラボッチ。
「…不味い」
ただその一言だけを言い残し、何事も無かったかのように怪異の巨人は九兵衛の身体へと戻って行った。
こうして、お雛の家族の命を奪った闇雲は、デイダラボッチという特級怪異によって斯くも呆気なく消滅したのであった…
身体を動かせるようになった蓮左衛門が九兵衛に触れて安否を確かめる。
彼は意識こそ戻っていなかったが、顔色は健康そのものにて気持ち良さげに眠っていた。
「良かった。本当に良かった。無事に生きているでござる。心配したぞ九兵衛…うっ、うっ、うっ…」
優しい蓮左衛門の心はこの一時の間に激しく揺さぶられた。
大事が完結し、張り詰めていた緊張の糸が切れ、一気に溢れ出した安堵感から涙を流したものである…
と、幽霊のお雛が倒れる九兵衛と男泣きする蓮左衛門の前に「ス~ッ」と現れた。
「九兵衛様がご無事なようで何よりにございます…」
お雛の声に気付いた蓮左衛門が涙を袖で拭き視界に彼女を入れた。
「お雛さん…闇雲は消滅した。あんたの無念は晴れたでござるか?」
幽霊ゆえ表情に乏しいお雛の顔が柔かに笑っているように見える…
「はい。お二人のお陰を持ちまして、念願叶い、それはもう晴れ晴れとした想いにございます…誠に、ありがとうございました…」
「そうかい、それは良かった。しかし拙者は何もしておらぬでござるよ」
「いいえ、お二人が揃っていらっしゃったからこその結果にございます。九兵衛様がお目覚めになれば、お雛が酷く感謝していたとお伝えくださいまし…それと、御礼と言っては何ですけれど、この家に在る物はどうぞ遠慮せずご自由にお使いください…」
「…あいわかったでござる…」
「それでは、無念の晴れたわたくしはこの世に居られぬようにございますゆえ、程なく天国で待つ夫と娘のところへ向かおうかと存じます…」
「達者で…は違うか。元気で…も違うな…幸せになれると良いでござるな」
「はい…」
お雛が最後に返事をすると、彼女の透明に近かった幽体はさらに薄くなっていき、幸せそうな、安らかな顔をしてこの世から去って行ったのだった…
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