九兵衛の倒れるすぐ横には古びた囲炉裏があり、くべられた残り僅かな巻にお銀が火球を投げつける。
「ボウッ!」
薪が音を立てて一気に燃え上がり、部屋の中に暖かな光が立ち込めた。
しかしたったこれだけの薪ではあっという間に燃え尽きてしまう。
仙花達は寝ている雪舟丸も起こし、追加の薪やその代わりとなる物を総出で集めたのだった。
床にあった三体の白骨死体は蓮左衛門と雪舟丸、それに九兵衛を加えた男衆で丁重に扱い庭へ埋めた。雨の降る中の埋葬も済み、ようやくひと段落したところで全員揃って囲炉裏を囲み、保存のきく猪の干し肉を取り出し口にする。
皆がちびちびと酒を飲みつつ黙々と食べていると、外の風が強くなったのか、家の戸が「ガタガタ」と揺れ始めた。
「なんだ?今宵は嵐にでもなるのかのう?」
「嵐になる兆候は特にありませんでしたけれど…たまにはこんな日もございましょう…」
「何はともあれ宿が見つかって良かったでござるなぁ…」
「でやんすねぇ」
「………..だな」
暗い闇夜に白骨死体のあったボロ屋、おまけに外は嵐といった如何にも何かが起きそうな雰囲気が漂う…
そんな雰囲気など気にも止めず干し肉と酒で空腹を満たした仙花達。雪舟丸が定常運転で最初に寝始め、疲労困憊だったお銀が続き、仙花も珍しく早めのご就寝となり、残った蓮左衛門と九兵衛が静かに語りながら酒を呑む…
外の嵐は激しくなることは無かったが、揺れる戸の音が鳴り止まぬ程度に吹き荒れていた。
「蓮さん、皆んな早々に寝てしまったでやんすねぇ」
「ああ、常に寝ている雪舟丸殿は別として、仙花様とお銀は疲れている様子だったでござるからな。拙者達も今宵はほどほどにせねば…」
「確かに…でも蓮さん。あっしは埋めた三体の白骨死体が気掛かりなんでやんす。家族だったのかどうかすら不明でやんすが…やっぱり何者かに襲われたでやんすかねぇ?」
「う〜む。拙者も殺しの線は考えたでござるが…手掛かりになるものが何も無いゆえ、何とも言えぬでござるなぁ…」
九兵衛が白骨死体の件について話しを持ち出し、蓮左衛門が応じたあと、二人は互いに一考し黙り込む…
この時、今まで「ガタガタ」と鳴り止まなかった戸の音がピタッと止まり、暫くのあいだ無音の状態が続いた。
「…急に風が止んだでやんすねぇ」
「のようでござるな。丁度良い、外で小便を済ませて寝るとするか」
もう寝ることに決めた二人が仲間を起こさぬよう、そろりそろりと歩き静かに外へ出た…
外は降り注いだ地面がぬかるんではいたものの、先程まで続いていた嵐は過ぎ去り、しんとしたいつもの静けさを取り戻していた。
だが空を見上げれば、未だ雨雲に覆われて月明かりもなく、普段よりも足下が覚束ないほど暗い空間が不気味さを醸し出す…
「まるで台風の過ぎ去った跡の静けさのようでやんすねぇ…」
「そうでござるなぁ…こういった夜には何か不可思議なことが起こり得る。さっさと済ませて寝るとしよう」
二人は就寝前の用を足すため、揃って防風林の在る方へと歩いて向かった。
嵐もおさまった静かで暗い防風林付近には、家の中の床に並んでいた三体の白骨死体を埋葬した場所が在る。
「ちょっと肌寒いでやんすねぇ」
「確かに…涼しいを通り越して冷えるでござるなぁ…」
などと言いながら即席の墓の横を通り過ぎ、二人が草むらを的に用を足していると…
「……..うう..」
「ん!?九兵衛、何か言ったでござるか?」
「いやぁ、蓮さんこそ…」
微かに聴こえた声が双方のものだと思い声を掛け合ったが、相手の反応からしてどうやら違うことを知る。
「嵐が去って狐か狸でも出て来たでござるかな?」
「どうでやんすかねぇ…てっきり蓮さんの呻き声だと思ったんでやんすが…寒っ!身体冷え切る前にとっとと家に入りやしょう」
「そうでござるな…」
用を終えた二人が身なりを整え、歩いて来た方をほぼ同時に振り返ると…
「のわっ!!??」
「ほうっ!!??」
二人の視界に予想だにしていなかったものが映り退けぞった。
九兵衛はガタガタと震え出し、蓮左衛門は動かざる石像のように固まる。
「れれれ蓮さん…みみみ見えてるのはあっしだけじゃ…ああありやせんよね?」
「………..あ、あああ。せ、拙者にも見えているでご、ざる…」
急に渇きを覚えた喉から声を絞り出し、辛うじて言葉を交わす二人…
彼らが思いもよらず目の当たりしているのは、骨と皮だけと云っても過言ではないほど痩せ細り、死人のような顔つきをした黒い長髪の女性の姿であった。
幾ら不気味な闇夜にバッタリと出会したとはいえ、彼らもただの女性を見ただけではこんな不様な格好にはならない。
そう、彼らの目の前に居るのはただの女性ではなく、身体が半透明な上、両足が膝のあたりから消えており、まごうことなく「幽霊」そのものだったのである…
彼らがこの世の者ではない幽霊なる者と遭遇したのは、これが生まれて初めてのことであった。
その不可思議な存在ゆえ、時には怪異と同一視されることのある「幽霊」。
幽霊というものは江戸時代以前から語り継がれ、この時代には「雨月物語(うげつものがたり)」や、「牡丹燈籠(ぼたんどうろう)」、「四谷怪談」などが怪談噺(かいだんばなし)として大いに流行したという。
人とかけ離れた姿をしている妖怪系の怪異よりも、同属が死して化けた人の幽霊の方が不思議と恐怖心を煽るのかも知れない…
蓮左衛門と九兵衛の前に青白い姿で宙に浮いて見える女性の幽霊、彼女はたじろぐ二人を生気を感じさせない顔で眺めている。
と、面と向かって幽霊と目を合わせられない蓮左衛門があることに気づく。
「ひょひょっとして…あんたぁ、あの骸骨の?…」
勇気を振り絞り彼女に声をかけた。
すると幽霊がコクリと頷く…
蓮左衛門と幽霊の間で会話が成立したことを受け、未だ怖さで震えの止まらない九兵衛が問う。
「はは、白骨死体は三つだったでやんすが、ゆ、幽霊になったのはあんただけでやんすか?」
女性の幽霊は先程と同じようにコクリと頷いた…けれど、今度はそれだけに留まらず…
「…あなた方にはわたくしの姿が見えているのですね」
彼女の口から出た声は、生ある者の発するものとは明らかに異質であった。
しかし、蓮左衛門と九兵衛は共にそんな違和感など全くどうでも良かったようで、普通に会話を交わせた安堵感の方が遥かに大きかったのか、強ばっていた表情が俄かに和らいだ。
「あんたの姿はしかとこの目に映っているでござるよ」
蓮左衛門が応えると同時に九兵衛も相槌を打つ。
「つかぬことを伺いやすが、残りの二人はあんたの家族でやんすか?」
「…そうです。大切な…わたくしの命よりも大切な夫と娘でした…」
幾ら血の繋がった家族といえども、己の命よりも大切などという言葉はなかなかどうして言えるものではない。だが彼女は心からそう言っているように二人は思えた。
「差し支えがなければ、でござるが…あんたと家族に何があったのか教えてはくれぬか?話せばあんたも成仏し、家族の元へ行けるやも知れぬでござるよ」
蓮左衛門はさほど仏教への信仰が厚い訳ではないが、人が命を失った時、成仏出来ずこの世へ残ってしまい幽霊と化す道理に碌なことがないのは心得ている。
悲惨な死に方をしたか怨恨か、それともこの世に何かしらの未練があるのか…いずれにしても彼女の身をとてつもない不幸が襲ったのは、訊かずとも分かることではあったけれど…
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