これはもちろんお銀一人の力ではなく、上級怪異である妖狐の妖力が加わって初めて成せる業であった。
地割れが完全に埋め尽くされ、海岸沿いの道が以前の平坦だった姿を取り戻した。
と同時に全てのチャクラを使い果たしたお銀が地に膝をつく。
「ふぅぅ…」
百年に一度の逸材と云われるくノ一とて、人智を超えた大技を使った反動で疲労困憊のようである。
「すまぬなお銀。だが良くぞやってくれた。其方のお陰で今まで通り人々が歩けるようになったぞ。本当に其方の忍術は大したものだな」
「お褒めに預かり光栄にございます。しかし手前はもう一歩も歩けそうにございませぬ…」
「お~い、おいおい。オレの妖力があってこその結果だろうに。もう少しオレの方にも着目して欲しいところだぞ。それにこっちだってクタクタなんだよなぁ」
お銀と仙花のやり取りに無理矢理割って入る弧浪。
「フフフ、そうねぇ。あんたも今回は疲れたろうに。助かったよ、あたしの中に戻って休みな」
「おわっ!?お銀さんが褒めてくれるとは…こりゃぁ一雨来るかもだね~」
「馬鹿みたいに晴れ晴れとした天気なのに降るかっ!全く口数の多い怪異だ。余計なことは言わんで良い。さっさと戻れ」
「は~い」
お銀からいつもの元気が失われていることに気づいた、かどうかは定かでないけれど、妖狐の弧浪も消耗が激しかったのか適当な返事をして彼女の中へと戻っていった。
突如として天より現れ嵐のように暴れたかと想うと、最後には半泣きになり、仙人らしからぬ捨て台詞を残し飛び去っていった即蘭眉雲峡(そくらんびうんきょう)。
その仙女が己の力を見せつけるために破壊してしまった道を、お銀が修復しようと現実世界に具現化した妖狐の弧浪。
人間とは種族を異にする二人は強力かつ特別な能力を所持しており、人を疲れさせるというはた迷惑な部分で共通していた。
お陰で仙花一行に精神的な疲労が残ったものの、少しでも早く目的を達成しようと出雲国へ向かう旅路の歩を進めた。
出雲国へ入るまでの道のりがあと数里となったところで、辺りはすっかり暗くなり夜を迎えると、弧浪がお銀に冗談めかして言った言葉が実現する。
日中あれだけ晴れ晴れとしていて空はいつの間にやら雨雲に覆われ、冷たい雨がポツリ、ポツリと降り出したのだ。
出番の少ない九兵衛が腕を指すりながぼやく。
「ついてやせんねぇ。早く宿を見つけないと身体が冷えてしやいやす」
「そうじゃのう。腹も減ったし、ぼちぼち屋根のある場所で身体を休めねばな…」
「おっ!?左手の丘に見えるのは民家ではござらぬか?灯りは点いておらぬようだが…」
蓮左衛門が指差しながらそう言うと、疲労困憊のお銀が左手の丘へ向けて目を凝らす。
「確かに民家があるねぇ。取り敢えず人が居るか否かは別として、中に入れてもらって身体を休めることが出来れば…」
普段のお銀なら「身体を休める」などと滅多なことでは言わないのだが、道の修復でチャクラを使い果たした今、早く空腹を埋めて横になりたいという願望が強かったのである。
「お銀のためにもあの家で休めるようどうにかして頼んでみるか。よし、皆の者!丘を登るぞ!」
仙花が家臣達に呼びかけて先頭を切って駆け出し、四人が呼応し後に続いた。
若干急な傾斜の丘を駆け上がるにつれ、見つけた家屋のはっきりとした輪郭が目に映り、やはり灯りが点いていないことが確認出来た。
家屋の周囲には防風林となるような木々が生い茂り、家屋自体の規模もそれほど大きくはなかったが、一家族が住むには丁度良いように見受けられる。
だが、夜の暗さで遠目には分からなかった家屋の外観は、屋根に瓦こそ敷きつめてあったが正面入り口の戸は、まるで激しく蹴破られたように半壊しており、壁の一部も剥がれて隙間風の通り道となる穴が開いていた。
先頭を駆けていた仙花が家屋の入り口手前で立ち止まり、訝しげな表情で中をそっと覗き込む…
「頼もう!…夜に押しかけてすまぬが旅の者で近辺に宿が見当たらず困っておる。良ければ一晩だけ泊めてもらえぬだろうか?」
「……………….」
灯りが灯っておらず、暗闇に包まれた家屋の中はしんと鎮まり、暫く待つが案の定返事は返って来なかった。
人の気配が無いのを察知していた彼女だったが、礼儀と念のための意味を含めて呼び掛けたのである。
「仙花様、やはりこの家屋は人の住まぬ廃墟のようにございますねぇ」
「うむ、どうやらそのようじゃな。此処は一晩の宿として遠慮なく使わせてもらうとしよう」
早々と家屋の見立てを済ませたお銀が背後から話しかけ、仙花が振り返ってそれに応えたのだった。
「家」という建築物は人が生活の拠点とする特別なもの。家の中で住人が生活していれば、生物ではない家も不思議と生気を帯びているようにも感じることもあろう。逆も然り、住人が居なくなり管理をしなくなれば生気を失ったように感じるであろう。
此処に住んでいた者達はいつからか居なくなり、家屋は完全に生気を失いあたかも死んでいるかの如く荒れ果てていた…
「おぉぉわぁっ!!??」
最初に足を踏み入れた仙花が裏返る声で悲鳴をあげた!
「仙花様っ!?大丈夫でござるかっ?」
心配した蓮左衛門が瞬時に仙花の安否を確かめる。
「いやぁ、すまぬな…恥ずかしい話、ねっとりとした蜘蛛の巣が顔面に纏わりつき、不本意にも思わず声をあげてしまったのじゃ…」
彼女は言葉遣いこそ古めかしいが、冷静に考えれば、否、冷静に考えずとも未だ16歳の裏若き乙女だ。暗闇でねっとりと纏わりつく蜘蛛の巣に触れ、悲鳴をあげたからといって恥ずかしがることなど一つもないのだが、彼女としては家臣の前で動揺したことを恥ずかしく思ったのであろう…
「蜘蛛の巣に驚いただけでござったか…しかし、外は雨も降っておりますゆえ暗闇が一層深いでござるなぁ…」
蓮左衛門の言った通り外の雨は降り続け、その雨雲によって月が隠れて光は閉されて、屋内は真っ暗闇で足下もほとんど見えない有様であった。
と此処で、「うっかり九兵衛」がうっかり者の本領を久々に発揮する!
「ぬぅあっひ~っ!!??」
仙花が蜘蛛の巣の餌食になったばかりだというのに、うっかり蜘蛛の巣に顔を突っ込みさらに大こけしたのであった。
「九兵衛あんたってやつは…灯りをつけてやるから暫く動くんじゃないよ…火遁、火球の術!」
お銀が忍術を発動し、右の掌に小さな火の玉を出現させ、暗闇で見えなかった屋内の一部が火の光に照らされ明らかになった。
と此処で、またもや九兵衛が情けなくも悲鳴をあげる。
「ぐぁっひゃぁぁぁ!?ががが、骸骨でやんすよ~!」
こんな時でも寝ている雪舟丸を除き、「三人が今度は何事か!?」と九兵衛の居る場所へ視線を向けると、派手に転けた九兵衛のそばには三体の白骨死体が並んでいた。
白骨死体の大きさはそれぞれ異なっていて、一番大きな白骨死体を父親として考えると、次が母親、最も小さいのが子供のものであり、三人家族だったのではないかと予測出来る。あくまでも単純な想像ではあったが…
「九兵衛、其方は優秀な医師であろう。医療に通ずる者が白骨死体くらいで驚くでない。まっ、まぁ儂も今回ばかりは人のことを言っておれぬがのう」
やはり仙花は蜘蛛の巣で驚いてしまったことを恥じているらしい…
「へ、へい…でもでもぉですねぇ、心構えがあって見るのとそうじゃないのとでは『びっくり』の度合いが違うでやんすよぉ…」
「はいはい、あんたの言い分はわかったわかった。それより早くそこをどいておくれでないかい」
お銀に冷たくあしらわれる九兵衛であった。
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