病によって弱りきった少年を相手に傲慢な態度であった男が、突如としてあり得ない姿に豹変した少年を前におののく。
「お、お、お前のその異様な姿は一体全体何だってんだい…まるで得体の知れねぇ化け物じゃねぇか!?」
今更だけれど男の名は秤度斉次(はかりどせいじ)。ある人物に金で雇われ、源蔵少年を暗殺するよう命じられた者で単なる傭兵に過ぎない。
彼は何処からどう見ても冷静ではなかったが、恐怖に震えながらの言い分は完全に的を得ていた。
脂肪だけに止まらず、全身隈なく筋肉まで削ぎ落とされて痩せ細り、ミイラを連想させるような乾涸びた肌に、位置関係のおかしい異形の顔だった少年の様相は、今や人の想像を絶するものとなっていたのである。
その姿はあからさまに人に非ず…
少年の身の丈は成人男性の平均的高さまで一気に伸び、痩せ細っていた身体は隆々とした赤い筋肉を纏う強靭なものへと変貌していた。
極めつけは人間に限らず、あらゆる固有生物を認識するための情報が詰まった顔の変化である。
「奇形」という言葉こそ当て嵌まらなくなったものの、少年が病にかかる以前の面影を僅かに残しただけの般若の如き顔になっていた。
風貌は変わり果ててしまったけれど、少年は心まで失ったわけではなく、以前の頭の冴えすら取り戻していた。
「ハ、ハハハ。これは凄いな…生まれ変わって別人になったような感覚がするぞ…ところであんた。さっきは渋っていたが、ひょっとして誰に雇われたのか話す気になったんじゃないか?」
刀を折られガタガタと震える秤度を見るや、形勢逆転を確信した元少年の化け物が流暢に言葉を発した。
「い、言うから俺に絶対手を出すんじゃねぇぞ」
もはや彼からは先程までの余裕ある態度は微塵も感じられない。
化け物と化した少年がニヤリと笑う。
「ククク、実におもしろいなぁ。まるであんたも別人になったように見えるぞ…う〜ん、気が変わった。やっぱりあんたは何も言わずこのままくたばるがいいさ。誰が雇ったのかは僕自身で調べることにするよ」
化け物は言うや否や、秤度のこめかみの辺りを両手で「ガシッ!」固く挟んだ。
「ひっ!?ひぃいい!?やめろ!やめてくれーーーっ!!!」
秤度が情け無くも悲鳴を上げた瞬間!
「バキッ!!」
化け物の両手に挟まれた秤度の顔が、木の幹が折れるような音を立てて真横へ直角に折れ曲がった!
こうして少年の命を奪いに訪れた筈の男は、本人の意図していた結果と真逆の運命を辿ることとなったのである…
周囲の人々から「神童」と称賛を受け、家族を始めとして誰もが将来を有望視していた少年、韋駄地源蔵は長い闘病生活を抜けたのち、名も知らぬ男に突如として襲われた命の窮地から逃れるべく、実態を持たぬ怪異であった「鬼」と躊躇せず命懸けの契約を結んでしまい、人間からすれば醜いともいえる姿に変わり果ててしまった。
結果として彼の命は救われた訳だが、人としての道は閉ざされたと言わざるを得ない。
と云っても、あの状況ならば源蔵少年には選択肢など無かったのだから仕方無し…
第三者からの感想を述べるならばこんな具合だろうけれど、実際のところ韋駄地源蔵本人は至って後悔一つなく、今は不自由だった身体が以前にも増して動き、強靭になったことへの喜びの方が圧倒的に優っていた。
だが、以前の優しく朗らかだった少年からは想像出来ない所業、目の前の大人を容易く殺してしまった彼の思考や精神は、この先時間をかけて深く暗い闇の中へ堕ちていくこととなる…
韋駄地は己を殺せと支持した真犯人を探すべく、屍となった秤度の衣服を剥ぎ取って身につけると、このままでは目立ち過ぎて確実に騒動になるであろう般若の如き顔を隠すため、病床を共にした布団を程良い大きさに引き裂き、視界が辛うじて残るように頭と顔を覆う。
「まずは紗夜を探して家族の状況を聞き出すとするか。平穏無事であれば良いが…」
なんと韋駄地は、我が身に災難が降りかかったばかりだというのに家族のことを案じた。この時点では幸いなことにまだ完全に人の心を失っていなかったのである。
韋駄地がの居る小屋から屋敷まではさほど遠くはない。一寸(約12分)も歩けば着いてしまう距離であった。
約2ヶ月半振りに外へ出る韋駄地源蔵。
久しいということもあり少しばかり臆するのかと思いきや、そんな様子は些かも見せず秤度の入って来た戸を勢い良く開け外へ赴き、大きく息を吸ってまた大きく吐く。
「やはり外の空気は美味いものだなぁ。…しかし日差しが眩し過ぎる…」
季節はすっかり秋になり、陽の光は弱くなりつつあったが彼には夏の日差しに感じるほど眩しく、そして暑くも感じていた。
これが怪異と一体になった者の体質変化によるものだとは知らない…
韋駄地は屋敷に着くまでに三人の人間とすれ違ったが、三人が三人とも彼の顔を布で覆う怪しい出立ちに目を向けたものである。
韋駄地家は地元で有名な名家であったため、屋敷はほかの民家に比べ遥かに広く、明らかに上等な造りをしていた。
韋駄地は塀の上から顔を出し庭を覗き込み、紗夜が居ないものかと探すが人影は一つも見当たらず誰も居ない…
と、いつも家族団欒で食事を摂る居間の方から父の話し声が微かに聴こえた。
日本人の一日三食という習慣は江戸時代中期頃からだと云われているけれど、名家である韋駄地家ではいち早くその習慣を取り入れており、それまで朝夕の二回だった食事を朝昼夕の三回摂る習慣が既に根付いていた。
太陽の位置から鑑みて今は一家団欒で食事を摂っているのだろう。
「父の声…ハハハ…凄く、凄く懐かしい感がするものだな…」
韋駄地は父に可愛がられていた頃の己を思い出し、目頭が熱くなって涙が溢れた。
正に「鬼の目にも涙」といった具合であったろうか…
彼は話し声のする方へ、庭に埋められた木々に隠れつつ出来るだけ音を立てないようにして近づいた。
「みんな、揃っているではないか…」
やはり始めに予想した通り韋駄地の父と母、それに弟や妹達の計六人が畳の上に正座し、一家団欒の昼食を摂る最中であった。無論、小屋に食事を届けてくれていた紗夜の姿もそこにある…
韋駄地は揃った家族全員を目の当たりにし、「今すぐにでも輪の中へ入りたい」という衝動にかられるも、すんでのところで我が身が豹変してしまったことを思い出し踏み止まる。
「この姿で会いに行くわけにもいくまい…」
可哀想にも気落ちする韋駄地だったけれど、父親が家族に対して何を語っているのか探るべく、家族に見つからぬよう細心の注意を払い居間の直ぐ側まで近づいた。
彼は外から壁越しに聴き耳を立てた瞬間あることに気付く。
「…なんだこれは?声が異様にハッキリと聴こえるぞ…」
そう、彼の聴覚は人だった頃を遥かに超え異常なまでに強力になっていたのだった。ある意味「革新的な変身」を遂げた彼の身体は、化け物然とした見てくれだけでなく、以降は良くも悪くも様々な変化が現れるのだったがそれはまた別の話しである…
丁度父親が語り終え、泣いてでもいるのであろうか?紗夜の微妙に震えた声が聴こえて来る。
「ち、父上のおっしゃったように…本当に、本当に兄上は亡くなってしまわれたのですか?」
「!?」
思わぬ紗夜の言葉に韋駄地は驚き石のように固まった。
「紗夜や、何度も同じことを言わせるでない。そうだ。お前達の兄であり我息子であった韋駄地源蔵はもうこの世には居ない。残念だが間違いの無い話だ。雇った男が源蔵の亡骸をここへ運んで来る手筈となっている」
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