韋駄地が長槍を雑に放り投げ、先程抜いた刀一本で構えを取る。
「貴様は殊の外素早い。この刀で勝負するとしよう」
相手の実力を認めたのは仙花だけではなかった。
彼女の速い動きに対応するには攻撃範囲の広い長槍も、速く鋭い攻撃を展開できる刀が適当と韋駄地は踏んだのである。
これらによって暫く、互いに攻撃する時期を窺う膠着状態が続いた…
「キン!キィン!キィン!キン!キィン!」
首領同士の一騎打ちが始まった頃、蛇腹の西側では二人の天才剣士による激しい攻防を繰り広げられていた。
といっても、居眠り侍こと雪舟丸より十歳以上歳下で芥藻屑の客人扱い可惜夜千里(あたらよせんり)の防戦一辺倒となっている。
攻める阿良雪舟丸は何処の流派にも属していないし自己流派を名乗ってもいない。
かの宮本武蔵が「二天一流(にてんいちりゅう)」、佐々木小次郎が「巌流(がんりゅう)」、そして柳生石舟斎が「新陰流」と剣豪はそれぞれの剣術流派に属していたものである。
雪舟丸ほどの達人ともなれば自己流派の開祖となれる実力と実績もあったのだけれど、彼は流派に敢えて属さなかった。
それは彼なりの剣術に対する信念や拘りがあったことに基づく。
つまりは己の剣術は未だ発展途上にあり、「剣術此処に極まれり」という想いに達するには程遠いと考えていたのだから、呆れる程の努力家とも云えよう。
現時点で彼に無理矢理流派を名乗らせようものなら余り考えもせず、「居眠り流」などとつけてしまいそうだから怖いものである。
だが流派に属していないからといって彼の剣術が他の者より劣るなんてことはあり得ない。ともすれば型にハマることのない剣術は変化に富み、相手が剣筋を読むことを困難にさせるものだ。
故に、雪舟丸の変化して読みづらい剣筋に神速であることを加え鑑みると、反撃できずに防戦一方であるとはいえ、長きに渡り何十合も剣をぶつけ重ね合わせている若き天才剣士、可惜夜千里はまごうことなき逸材だと云える。
「キン!キン!キン!キン!キィン!」
また幾度かの神速攻撃を防いだ可惜夜千里が退き距離を取った。
肩で息をする彼は、精神的にも肉体的にもかなりの疲労が見られる。
「ハァハァハァ…まさか此処まで一方的な展開になるなんて…フゥ…雪舟丸さん。余り言いたくはありませんが僕は貴方の底知れぬ強さに正直心底驚いてますよ。否、これは『驚愕している』と言った方が適当かも知れませんね…」
可惜夜千里の言葉を聞く雪舟丸の表情には余裕すら感じられた。
「…お主も若くしてその強さとはなかなかのものだぞ」
雪舟丸が決闘相手に賞賛の言葉をかけるなどというのはかなり稀なことであった。
これは彼の人間性云々ではなく、戦う相手のほとんどが瞬殺されてしまうからなのだが…
「嬉しいなぁ…では、お褒めの言葉を頂戴したところで一矢報わせてもらうとしましょう」
「ほう、まるで奥の手でもあるような口振りだな…よしんばそんなものがあるのなら見せてみろ。ただし、俺も最速の剣で迎え討たせてもらうがな」
煽り返した雪舟丸が刀を鞘にスッと収め、若干姿勢を低めて居合抜きの体勢に入った。
「居合ですかぁ、いやぁ参ったなぁ…とか言ってる場合でもないですよね。じゃあ、行きますよ…」
同じく二本の刀を鞘に収め、ゆるりと一つ大きな深呼吸をする可惜夜千里。
すると直前まで荒れていた彼の呼吸が整い、眼を瞑りその場でトンと軽く跳躍したあと円を描くように足踏みを始めた。
それはただの足踏みではなく、ゆらゆらとする軽やかな動きはさも踊っているようにも見える。
「………….」
雪舟丸は彼の所作全てに己の全神経を集中させ、黙して静かなる眼で追っていた。
軽やかな足踏みが一気に加速し、常人の眼では追いきれぬほどの速さに達した時、可惜夜千里の眼がカッと開く!
「天上天下唯我独尊、真蒼天流月光抜刀牙(しんそうてんりゅうげっこうばっとうが)!」
技の名を言い終えるより早くその場を動いた彼の速さは尋常ではなかった!
残像を残すほどの速さで間を詰めるは直線的に非ず、左右に小刻みに動きながら移動するその姿は忍者の「分身の術」を彷彿とさせる!
集中する雪舟丸の眼に可惜夜の上段斬りが映った刹那!
「っ!!?」
何かに気付いた雪舟丸がコンマ何秒かをずらして抜刀する!
「ギィン!!」
最速の居合抜きが弾いたるは最初に眼に飛び込んでだ上段斬りの刀ではなく、下から襲って来た右切り上げの一刀であった!
「キィン!!」
「ドン!」
「ぐっ!!??」
神速の剣が上方からの攻撃も弾き返し、さらには横倒しにした刀の柄頭で可惜夜の喉元に突きを入れた!
突きを喰らい、一瞬呼吸が止まった可惜夜は堪らずその場に膝をつく。
雪舟丸が刀の先を彼の眉間に触れようかという位置で止め物申す。
「試行錯誤して編み出し鍛錬された見事な技だった。それに体術の所作も速い。相手が俺でなければ立っているのはお主だったかも知れないな…俺はもう勝負ありと考えているが、お主はこの決闘をまだ続ける気はあるか?」
可惜夜会心の剣技「月光抜刀牙」は、まず左右に素早く動きながら相手との間合いを縮めて動揺させ、両刀のうち左腕で上から振り下ろす上段斬りが初撃となり、間髪入れず利き腕の右腕による右切り上げの一刀が発動し、相手の身体へ先に到達するは速度に優る二撃目の右切り上げとなる。
つまり先に眼を引く上段斬りはある意味誘導でありかつて彼と戦った者たちは皆、二撃目の右切り上げで致命傷を与えられ、遅れて来る上段斬りによって確実に命を落とした。
この正に必殺技と呼ぶに相応しい剣技を、脅威的な動体視力に判断力、そして神速の剣を用いて完封し、とどめに勝負を決める一撃を入れた雪舟丸。
今後、彼を呼称する際は冗談を仄めかす「居眠り侍」などではなく、「剣聖」や「剣神」といった高尚なものの方がしっくりといくのかも知れない。
しかし彼がそんなことを聞いても間違いなく興味索然といったところであろうが…
と、地に膝をついたままの可惜夜がやっとのことで呼吸を取り戻し、苦しそうにしながらも口を開く。
「…い、いやぁ…さ、流石に、戦意喪失
してますよぉ…ぼ、僕の完敗です。ど、どうぞ、この首は差し上げます…煮るなり、焼くなり、好きにしてください…」
彼はそう言って若干震えながら頭を垂れた。
雪舟丸は彼の首を斬らず、流れるような所作で刀を鞘へ戻す。
「…死に急ぐ言葉をそう易々と吐くでない。俺がお主をわざと殺さなかったのは分かっておろう。可惜夜、千里、だったかな…俺は活きのいい若者は嫌いじゃない。人を褒めるのは苦手だが、お主からは並々ならぬ素質と将来性を感じている。これより先、尚一層剣術の鍛錬に励み強くなれ。そしていつの日かまた真剣勝負をしようぞ」
彼に剣術の才能があろうがなかろうが、元々芥藻屑の一員でない可惜夜の命を雪舟丸は奪わなかったであろう。
それに二十歳という若さで己と此処まで渡り合った彼の素質に雪舟丸は一目も二目も置いていた。
「ハハハ…貴方にそこまで言われては強くなるしか選択肢はありませんね…承知しました。いつの日か、今より数段強くなって貴方の前に現れましょう…」
可惜夜は言い終えると地べたに仰向けとなり寝転び、日が昇り青々とした空を見て呟く。
「今日も良い天気になりそうだ…」
雪舟丸はその横を黙って通り過ぎ、仙花と蓮左衛門の戦う中央社へと向かった。
蛇腹の地で起きた新旧天才同士の決闘は、圧倒的実力差を見せつけた雪舟丸の勝利で幕を閉じたのである。
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