「みっ、皆様方聴いてくださいませ~!あっしはとある高貴な身分のご主人に使える薬師の泰時九兵衛(やすとききゅうべえ)と申しやす!…もうお察しかとは存じやすが、あっしらはあなた方を救うとともに芥藻屑を滅ぼすために蛇腹を訪れた次第でしてぇ、あなた方の救出は無事に成功したようです!」
あまり喋りが得意ではない九兵衛だったけれど、他の仲間が命懸けで戦っていることを思えば演説じみた喋りも何の苦とも感じてはいなかった。
助けられた若い人々から九兵衛に対して感謝の言葉が次々に掛けられる。
しかし、九兵衛は戦ってもいない己が賞賛されるのをその正直な性分ゆえに、申し訳なくも感じていて心からは喜べずにいたものである。
彼にはまだ人々へ伝えなければならいことがあった。
「あっしのご主人や仲間達は蛇腹の中で未だに戦っているでやんす!早く郷へ帰りたい気持ちも分かりやすが、残党がウロチョロしているかもしれやせんのでもう暫くの間此処に留まっておくんなまし!…それともし怪我をしている方がいらっしゃれば薬を配りやすんで此方にお並びくださぁい!」
九兵衛が言い終わると彼の目の前に人々がぞろぞろと集まり始め、怪我のしていない者の方が少なかったらしく、薬を待つ長蛇の列があっという間にできたのだった。
薬師の九兵衛が人々の怪我に対応している頃、中央社付近では仙花と蓮左衞門の二人と芥藻屑とに戦いは続いていた。
「でやっ!!」
「ぎゃぁっ!?」
周囲にあれだけいた多くの敵は二人によってほとんどが葬られ、仙花の疲労を感じさせぬ剣線が残り少なくなった敵の一人を斬り捨てた。
憤怒の表情で腕を組んだまま突っ立ったままの鷲尾雷角の方へ目を向ける仙花。
「おい!そこのデクの棒!いつまでカカシのように突っ立っておるのだ!お主の部下達はもう数えるほどしか残っておらぬぞ!」
「ケッ!底無しの化け物達め…仕方ねぇなぁ。おいっ!役立たずども!そいつらから離れて高みの見物でもしてやがれ!」
煽られた芥五人衆が一人鷲尾雷角が残った部下を叱咤しつつ、巨大で黒光りする六角金棒をブンブンと振り回しながら仙花の方へと近づく。
「ほぉ、遅すぎるくらいだがやっと戦う気になったでござるなぁ。拙者が相手をしてやろう。ん!?」
「ドスッ!」
「ぐっ!!?」
鷲尾雷角と仙花の間に割って入った蓮左衞門が、鷲尾雷角の上から飛んでくる何かに気付いたのだが時すでに遅く、凄まじい速さで飛んで来た一本の矢が彼の腕に突き刺さってしまった。
「蓮左衞門!無事かっ!?」
射られた蓮左衞門を気遣い今度は逆に仙花が前面に立つ。
「骨には当たっておらぬゆえ心配無用にござる」
骨に当たっていなければ擦り傷。とはいくまいが、蓮左衞門はさほど痛そうにもせず左腕に刺さった矢を軽く引っこ抜き、身に付けていた襷(たすき)を素早く解いて腕に巻きつけ止血する。
矢の飛んで来た方向、中央社の屋根上から重厚感のある男の声が響き渡る。
「雷角よ!その部下どもの屍の山はなんだ!?俺は夢でも見ているのか!?」
鷲尾雷角が紅の鎧に身を固めた男の方を振り向き、僅かに緊張した声で応じる。
「も、申し訳ございません韋駄地様。釈明のしようもなく…情けながら、そこの二人に皆やられてしまいました…が、この二人は拙者が片付けますゆえ、どうかお許しくだされ!」
鷲尾雷角が詫びを入れた男こそ、今の今まで姿を現さなかった芥藻屑の大将「鬼武者の韋駄地源蔵」であった。
蓮左衞門を射たのは弓を持つ姿からして彼で間違いないだろう。
「…現実味のない朝だが、やはり夢ではなかったのか…若い娘とたった一人の侍にに…我が軍は壊滅させられたのか…」
不気味な漆黒の面頬(めんぽお)の奥で目を光らせた韋駄地源蔵が呟きながら弓を引き、仙花を狙ってギリギリと弓をしならせ矢を放つ!
「バシュッ!」
凄まじい速さの矢が屋根上から一直線に仙花に突き刺さらんと向かったが!
「キィン!」
彼女は風鳴りのハラで矢を軽く弾き飛ばしたのだった。
「お見事でござる!」
仙花は韋駄地源蔵を睨んだまま目を離さず、背後から称賛の言葉を掛けた蓮左衞門に告げる。
「蓮左衞門。此処は其方に任せて良いか?というか任せたぞ。儂は奴を、鬼武者の韋駄地源蔵を殺る。絶対に勝つから余計な心配はするなよっ!」
「仙花様っ!」
言葉尻を過ぎた瞬間、引き留めようとする蓮左衛門の声を無視した仙花が鷲尾雷角に向かって疾風の如く駆け出す!
「なんだなんだ!?」
虚を突かれる形となった鷲尾雷角が仙花を砕かんと六角金棒を全力で水平に振る!が。
「トン!トン!」
「なっ!?」
六角金棒の攻撃をヒョイと跳んで回避し、彼の脳天を足蹴にした仙花はその勢いのまま韋駄地源蔵の元へ向かった。
「あらら、行ってしまったでござる。こうなったらデクの棒のお主をさっさと倒して先を急がねばならぬ」
「そんな簡単に行かせるものかよ…ん?、いやおや、これでは俺が負けてしまう流れではないか!?死んでも行かせるか?いやいやこれも俺が死んで…ふぅ、侍!お前が此処で死ぬんだよ!」
なかなか台詞が決まらず締まらない鷲尾雷角であった。
鷲尾雷角は元々が山賊上がりの荒くれ者であり、これといって語るような人物ではないけれど、芥藻屑の大将である韋駄地源蔵は武士の身分であった者であるため少し素性を語らねばなるまい。
かつて、江戸時代初期に起こった一揆とも戦争とも伝えられる大規模な内戦の「島原の乱」。
元の洗礼名は「ジェロニモ」であったが、島原の乱当時は「フランシスコ」に変わっていた「益田時貞(ますだときさだ)」でもあり、最も有名な名である「天草四郎(あまくさしろう)」が最高指揮官となり世間を騒然とさせた乱である。
その天草四郎の下、当時十八歳という若さで実力を認められ部下百人を従えていた韋駄地源蔵。
味方の苦戦する戦場に彼が赴くと、鬼神の如き強さでもって数多の敵を悉く打ち払い、味方を鼓舞して戦況を一変させたと云う。
特に彼の「鬼武者」たる所以についてだが…
たった一人で戦況を変えてしまう韋駄地源蔵を早急に討たねばならぬと幕府軍が取った策は、彼を孤立させ百人がかりで討ち倒すという強引なものだった。
誰もがたった一人の人間にいくらなんでも百人がかりとは大袈裟ではないのか?と考えた訳だが、この策は大袈裟だったどころか「百人では足りぬ」といった結果になったのである…
その日のは雨雲がどんよりと浮かぶ天候の中、足場の悪い戦場は泥々で五分五分の運びとなっていた。戦況を変えようと満を持して登場する韋駄地源蔵。待ってましたと思ったのは島原の軍勢だけではなく、彼を討つべく策を仕掛けていた幕府も然りであった。
まずは幕府軍後方の弓隊が温存していた弓矢を一斉に放ち韋駄地源蔵の小部隊を襲う。
普通の弓攻撃なんぞ彼にとっては箸が空から降ってくるようなもので、何本撃ち込まれて来ようが関係なく全て避けるなり刀で振り払うなりしていたのだが、彼を取り巻く百姓上がりの部下達はそうもいかなった。
慣れない矢の雨を上手く避けられず、哀れにも矢をまともに受け次々と倒れていく部下達。
遂には韋駄地源蔵の周囲には誰も居なくなり、部下をやられた怒りで我を忘れて幕府軍の弓隊に単独で突っ込んで行く。
予想通りとばかりに弓隊は武器を引っ込め全員が全力で後退する。罠とも知らずに韋駄地源蔵がそれを追う。
彼は重い鎧を纏っているというのに、幾ばくか走ると弓隊の最後部へ追いつこうとしていた。
だが、逃げていた弓隊が走る脚を突如として止め、刀を抜くと一斉に振り返った。
敵の妙な動きに一瞬戸惑った韋駄地源蔵が周囲を見回すと、視界を埋め尽くす敵衆にとり囲まれていたものである。
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