飄々と喋る可惜夜千里に若干調子を狂わせられた雪舟丸だったけれど、持ち前の絶対的な集中力でもって軽くいなす。
「…くく、是非ともそうあって欲しいものだな。ときに、念のため聞いておくがお主、芥藻屑の人間ではないのだろう?」
雪舟丸の意外な問いかけに対し特段驚く様子を見せない可惜夜千里が、「パンパン」細やかな拍手をと鳴らす。
「御名答で~す♪流石は雪舟丸さん。と、言いたいところですが僕の身なりを見れば一目瞭然ですねぇ。芥藻屑の一味であることを示す物も身につけてませんし、何をおいてもこんな美青年が芥藻屑のようなやる事も顔も汚い連中と一緒なわけないですもんね♪まぁ、簡単に説明しますと、僕はたまたま数日泊まらせて貰った客人みたいな者なんです♪」
可惜夜千里は少年さながらの屈託のない笑顔をして見せた。
「…分からんな…なぜ客人扱いのお主が芥藻屑のために命を賭けた決闘をするんだ?」
「ハハハ、やだなぁ雪舟丸さん。僕はこれでも受けた恩はしっかり返す人間なんですよ。たった数日とはいえ、飯と宿を世話になった分は働かないと決まりが悪いってもんでしょう」
まるで友人にでも話すような口調で喋る可惜夜千里。彼の生まれ持っての性分か、二十年の間に培った彼なりの処世術かは定かでないが、雪舟丸から僅かでも殺気を奪うに十分な人柄と云えた。
「お主と話していると気が削ぎれて斬る気になれぬ。このまま黙って俺の前から消えては貰えぬか?」
「あっ!?これはこれは申し訳ありません。そんなつもりで喋ったんじゃないんですよ~…そうだなぁ…じゃあ、これでやる気を出して貰っちゃおうかな」
「ザザッ!!」
言い終わるや否や、彼は腰の両側に帯びた鞘から目にも止まらぬ速さで二本の刀を抜き放ち前面で何度も高速回転せ、彼の伝説の二刀流剣士宮本武蔵を彷彿とさせる構えを取った。
「どうです雪舟丸さん。少しは『殺る気』を出して貰えましたか?と言うか、その気にならなければいくら貴方でも死んじゃいますよ~」
口調はさほど変わらなかったが、先ほどまでののほほんとした陽気な表情は身を潜め、集中力を高め出したのか真剣な表情になる可惜夜千里。
「…口先だけでないことは把握した。だがお主の年齢から察するに、未だ剣士としての絶頂期には到達しておるまいて…最後にもう一度だけ訊く。今日のところは引き下がってはくれまいか?」
雪舟丸は可惜夜千里の素早い所作に感銘を受け、一剣士として彼の絶頂期に勝負したいという期待を込めて言ったのだが…
「いやいや雪舟丸さん。人の実力を推し量るのは構いませんけれど、現時点で僕の実力が絶頂期かどうかを勝手に決めつけられるの心外というものです。さもすれば僕は早熟で今が絶頂期かも知れませんし、そもそも貴方に負けるつもりで決闘を申し込むような馬鹿でもないですしねぇ。此処はお互い腹を決めて真剣勝負といきましょう」
容姿とは裏腹に、強情な若者の態度に明るみを増した天を仰ぐ雪舟丸。
「ふぅ…ならば、致し方あるまい…」
一度納めた刀をゆるりと鞘から再び解き放つ。
「雪舟丸さん、感謝しますよ。貴方ほどの手練れと決闘できたことは、今後の僕の誉れとなりましょう…いざ!尋常に勝負!」
雪舟丸が刀を解き放った瞬間、彼の周囲の空気が一変した感覚を覚えた可惜夜千里が、己に気合いを入れる意味合いを含めて声を張った。
二人の発する覇気によってヒリヒリする空気の中、互いが相手の目の動きや息遣い、そして五体全ての動きに注意を払い出方を窺う。
雪舟丸は刀を前方に構えたまま山の如く微動だにしない。可惜夜千里は摺足で少しずつ横へ移動するも攻撃を繰り出せずにいた。
「どうした?俺は先手を譲っているんだぞ。攻めて来ないのか?」
「いやぁ。貴方の隙を探しているのですが…いざ刀を構えて貴方と対峙して分かりました。貴方、隙が無さ過ぎです」
「…立ち会った途端にそれを感じ取れるのなら、お主は十分非凡というものだな…しかし、いつまでもジッとしているのは俺の性に合わん。いくぞ」
「ヒュン!」
「ガッキィン」
話し終えると同時に予備動作のない、否、実際はあったかも知れないが、「神速」ゆえに腕の動きを目で捉えるのも難しい一撃を入れた雪舟丸。
ある意味驚くべきは可惜夜千里の方だったか…不意に襲った神速の上段斬りを恐るべき反射神経と瞬発力により、両腕の刀を交差させ見事に防いでしまったのだから。
防がれたままの形で力を緩めない雪舟丸が口を開く。
「…何年振りだろうな。俺の初手が防がれたのは…」
「いやぁ、ギリギリでしたけどねぇ。お陰様で一瞬肝が冷えましたよ。でも雪舟丸さん。貴方、そんな細身で意外にも力が強いんですねぇ」
雪舟丸の表情には余裕があるが、可惜夜千里の方は本当に肝を冷やしたのだろう、さほど余裕のある表情には見えない。
「此処まで修羅場を幾多の修羅場を潜り、長年積み重ねてきたものがあるからなっ」
「キィン!」
「っ!?」
雪舟丸が僅かに刀を浮かせ神速の剣を打ち込んだその瞬間、可惜夜千里は後ろへ飛び退がり間合いを取ったのだった。
距離を取った二人が互いに一呼吸おき次なる一手を考える…
はてさて、この決闘の結末や如何に?といったところで場面は変わり、此方は囚人を誘導していた九兵衛が座り込む静かな森の中。
九兵衛の眼前には、各地から囚われていた人々が同じく地べたに座り休憩していた。
蛇腹へ攻め込む前に立ち寄った村の長郷六から聞いた話しでは、囚われの身となっている人々の数は百五十近くだった筈なのだが、一人残らず逃げてきたにも関わらずその人数は三分のニほどしか居ない。
お銀が社に忍び込んだ際に見た屍の山から想像するに、酷な強制労働で朽ちた者や、病気を発症し放置されたまま息絶えた者、芥藻屑の連中に弄ばれ殺された者など短い間に亡くなってしまったのであろう…
木々の間からさす木洩れ陽により露わになった人々の顔を覗くと、全体的に年齢の若いことが判明した。最も若い者で十代前半、最年長の者でも三十に達していないかもしれない。
まともに風呂に入ることも許されなかった人々の顔は薄汚れ、睡眠から目覚めたばかりだというに疲労の蓄積が一眼で分かるほど疲れきっている。
さらには怪我を負わされた者も多数見受けられ、その中でも九兵衛の目を引いたのは、二十歳にも満たないような女性の顔だった。
汚れていなければ綺麗な白い肌をしているのに違いない彼女の右頬には、刃物でザックリと斬られた深く長い傷が刻まれていた。
九兵衛がその女性にゆっくり近づき優しく声を掛ける。
「娘さん、その傷、痛くはありやせんか?もしも痛みがあるようであれば痛み止めの薬がありやすよ」
突然傷のことを言われた女性が袖でサッと顔を隠し、微かにシクシクと泣き始めてしまう。
九兵衛は内心「しまった!」と慌てていたけれど、なんとか平静を保ちつつ黙りの彼女へ話しを続けた。
「あっしの気遣いが足りずにすいやせん。悪気があったわけじゃございやせんので勘弁しておくんなまし。それと、お詫びと言ってはなんでやんすが、あんさんの傷をたちどころに治せるとっておきの薬がありやす。人に見られるとまずいんで、あっちの草むらへそっと隠れて待っててれやせんか?」
予想だにしない言葉を聞き、泣いていた彼女が泣き止みか細い声を出す。
「…ほ、本当に?」
「本当でやんすよ。さ、今のうちに。あっしは一仕事終えてから向かいやす」
彼女は黙ってコクンと頷くと、腰を屈めて草むらの方へ静かに向かった。
九兵衛は元いた場所に戻り、休憩する人々に向かって語りかける。
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