一方、お銀の次に蛇腹への侵入を成した得た雪舟丸。
彼は侵入するまでの勢いこそあったのだが、今の今まで西門を潜って最初の家屋付近で進めるべき脚を止めいていた。
門番以外の敵を一人も葬らずに、である。
状況からしてまた居眠りでもおっ始めたのだろうか?などと想像してしまうが、敢えて彼の名誉のために云っておくと、決してそのような呆れる行為など断じて無かった。
敵が就寝中の身であり、寝込みを襲えば楽々一掃し数を減らすことのできる機会をみすみす逃してしまっている雪舟丸。
何故、宮本武蔵との壮絶な勝負に競り勝ち、「超」か「極」の一文字が頭につくほどの達人である彼が身動き一つせずデクの棒のように立ち止まったままだったのか?
その理由は雪舟丸らしくもなく、または雪舟丸らしいと云えるものであった。
睡眠中の無防備な人間を襲うことに躊躇など微塵も持ち合わせぬ暗殺者や忍者ならばともかく、変人、否、変態である…んまぁ、どちらとは云いきれないが取り敢えず人格は別として、「侍道」を真っ直ぐにひた走る彼は敵の寝込みを襲うことを紛れもなく躊躇し、珍しくも長々と今まで葛藤した結果である。
石のように動けなくしてしまった彼を救った?のは、奇しくも仙花が見張りに逃げられ、中央社上階から響き渡った侵入を知らせる鐘の音であった。
「ふぅ…味方の侵入がばれたか…しかしこれで敵も起きてくれよう」
雪舟丸は味方の侵入を知られたことに気落ちするどころか安堵の表情を浮かべた。
「さぁ、芥藻屑の賊ども。早く斬られにまんまと起きて来るがいい…」
彼はそう呟き中央へ向かいゆっくりと歩き出した。
雪舟丸の行動を「静」とするならば、蓮左衞門の方は圧倒的に「動」だったのかも知れない。
彼は「侍道」とは似て非なる「武士道」魂なるものを持ち合わせている。
雪舟丸とほぼほぼ同様に、敵の寝込みを襲うことを躊躇い実行に移すことは無かった。
ただ、雪舟丸が石のように固まり葛藤し続けたのに対し、蓮左衞門は迷うことなく韋駄地源蔵が居るであろう中央社を目指し汗だくでひた走る。
この二人の取った行動をお銀が耳にしたなら「フン、情け無い殿方どもねぇ」などと鼻で笑われそうなものだが、此度の戦が後世に語り継がれる日が来ることがあるならば、彼らの取った行動は真に正解だったとも云えよう。
と、語っているうちに蓮左衞門が中央社の門前へと辿り着く。
「ハッハッハッ!着いた!着いたでござる!今回は是が非でも武勲を挙げさせてもらおう。出て来い!芥藻屑の賊どもーーーーーっ!!」
光圀の西山御殿から出立して運が良いのか悪いのか…いやいや、自ら首を突っ込んでいるのだから運が云々の話しではないのだけれど、たった一日で数回の戦闘に出会したのにも関わらず、此処までただの一度も戦果を挙げていない蓮左衞門は鼻息も荒く気合が入っていた。
だが、未だ姿の見えぬ敵への気合いの入った挑発は虚しく空振りし、早朝ということもあり何の反応も無い静けさがやたらと際立つ。
最初の警鐘が鳴り止んでもなかなか外へ出てこない芥藻屑の賊どもは寝起きが悪いのだろうか…
中央社の鐘を鳴らした見張りだけが呆気に取られた表情をして蓮左衞門を注視していた。
二人の視線が重なり一瞬気まずい空気が流れる。
「おい!見張りの者よ!気の抜けた顔などせずとっとと鐘を鳴らして仲間を起こすでござるよ!」
気持ちの昂る蓮左衞門の声には僅かに怒気がこもってすらいた。
「で、ではお言葉に甘えまして…てっ、敵襲だーーーっ!カンカンカン!カンカンカン!カンカンカン!カンカンカン!カンカンカン!カンカンカン!!!!」
見張りは動揺したものの、今度はがむしゃら満載の自棄になって鐘を打ち鳴らした。
すると…
「バァーーーーッン!!!!」
中央社正面の門扉が壊れそうなほど激しく開き、中から熊を想像させるほどの巨体で坊主頭の男が六角金棒を片手に飛び出して来た!
「おうおうおう!人が夢見心地だというのにうるさく鐘を鳴らしやがって!敵の数は幾らだ!?」
幸せな夢でも見ていて邪魔されたのが癪に触ったのか、下の装束だけ履いた坊主頭の男が怒り心頭で見張りに訊いた。
その怒りを感じ取った見張りが震えながら答える。
「もっ、目下のところ二人でございますーーーっ!」
「なにーーーっ!?たった二人の敵に鐘を打ち鳴らしたのか!?門番や他の見張りの者どもは何をしているのだっ!?」
「ひっ!?ももも、申し訳ございません!正門の門番をしていた者が慌てて敵襲を知らせたもので手前も慌てて鐘を鳴らした次第で…状況は全くもって把握しておりませぬ~!」
見張りの男はもう泣きそう、というかもはや泣いていた。把握する敵が二人といえども彼の取ったここまでの行動は一つも間違ってはいない。正当な行動をしたにも関わらず一言の反論もしないのは、この坊主頭をよほど怖がっているのであろうことが窺える。
「敵襲の知らせをしたという門番の姿が見えぬが何処へ行ったのだ!?」
「其奴はもうこの世におらぬよ」
質問に答えたのは怯えまくった見張りではなく、いつの間にか血塗られた風鳴りを手に蓮左衞門の隣りに立つ仙花であった。
突如として現れた少女の物言いに訝しげな目を向ける坊主頭の男。
「…小ちゃい娘。てめぇが門番を殺ったてのかい?」
「ああ、一刀のもとに斬り伏せてやった。因みにお主が言うほど儂は小さくないぞ」
「小ちゃい」の一言に過敏な反応を示す仙花。彼女の背丈は高くはないが低くもなく極々平均的身長であったが、巨漢の坊主頭からすれば小さいと感じたのだろうが…
坊主頭が険しい顔をさらに険しくさせたあとすぐに笑い飛ばす。
「カッカッカッ!面白い娘だ。ときに、てめえらたった二人で蛇腹に侵入したのか?」
郷六の村にて相対した芥五人衆の雅楽奈亜門と沙河定銀、彼らが見せた垢ら様に舐め切った態度と同様のていに仙花が辟易として言う。
「まぁ、そうだ。長話をする気は無いし面倒臭いから言っておくぞ。我が名は刀姫こと水戸の仙花。で、こっちが我が家臣の蓮左衞門だ…さて、儂らは旅の途中で芥藻屑という人を拐い奴隷として扱う卑劣な悪党どもの噂を耳にし、目的の道をわざわざずらしてまで脚を運んだが、無論、遊びに来た訳ではないぞ。貴様ら全員、一人残らず成敗してやるから覚悟せいっ!」
仙花がキメ顔で宝刀「風鳴り」を構え、先の蓮左衞門とは別に気合を込めて芥藻屑に宣戦布告した。
この間に中央社を始め、他の家屋から武装した芥藻屑の賊がぞろぞろと現れ仙花と蓮左衞門を囲む。
「フン、面白い小娘が途方もなく面白いことをほざいてくれるものだ。…ん?あれは…よもや囚人どもを逃がしおったのか貴様ら!?紅樹(こうじゅ)!紅樹はおらぬか!?」
坊主頭が正門から外へ逃げる囚人達の最後尾の数名を目撃し、一味の者であろう一人の者に呼びかけると、忍者装束を纏った如何にも忍者な男が何処からともなく現れた。
坊主頭の背後に立ったその忍者が静かに告げる。
「雷角(らいかく)殿、拙者は此処に」
「おお、近くにおって助かった。どうやら正門を抜けて囚人どもが逃げ出しておる。お主、何人か連れてやつらを追ってくれぬか?」
「…承知。しかし足手纏いは不要。拙者一人で十分だ」
百を超える囚人を捉えることは至極困難な業といえる。が、己の力量に余程の自信があるのであろう、忍者の紅樹はお供を断り「シュッ!」とその場から消えたのだった。
「貴様らの他にも侵入者は居るようだな。いいだろう、久々に熱くなってきおったわ。我が名は芥五人衆が一人、「怒剣(どけん)」の鷲尾雷角(わしおらいかく)!この六角金棒で貴様らの頭を粉砕してやるわ!!お前らそいつら取っ捕まえろ!!」
鷲尾雷角がそう叫ぶと、仙花と蓮左衞門を取り囲んでいた賊どもが一斉に襲いかかった!
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