たった二頭の馬では仙花の一行全員が乗って旅をするには数が足りない。
あわよくば荷物持ちとして己の負担を軽くするためでは?との期待を込めて蓮左衞門は訊いたのである。が…
「こいつらを捌き、村人達と儂らの食料にするのだよ。そうすれば今宵の飯の心配は無くなり明日の朝わざわざ狩に赴くこともなかろう。正に一石二鳥というわけだな♪」
「さ、流石は仙花様!見事な思いつきにござるぅ…」
蓮座衞門が半分は感心し、残りの半分は残念な心持ちで仙花を賞賛した。ちなみにこの時、連れられた二頭の馬達がビクッと反応し冷や汗を流していたのだけれど、気づいた者は誰一人として居なかった。
いくら超人的な怪力と体力を備える蓮左衞門とて生身の人間である。あり得ない荷物量を常時背負いながら徒歩での旅を続けることは特に苦痛ではなかったのが、人間である以上は当然疲労が蓄積してしまうのだから彼の心中も分からなくはない。
そんな蓮左衞門を他所に仙花が相変わらず立ったまま寝ていた雪舟丸の背中を押し、二頭の馬の元まで強引に近づけ背中に向けて声をかける。
「雪舟丸よ起きろ!其方の出番だぞ」
仙花の声に反応した雪舟丸が鼻ちょうちんをパチンと破裂させ、ぼ~っとした眼をゆっくり開けて目覚めた。
「….先程から辺りが騒がしいようですが…何か事件でもあったのございましょうか?」
「おう、あったあった。あったが事はもうとっくに済んだぞ。それより目の前の馬を調理しやすいように其方の剣でちょちょいと八つ裂きにしてくれるか?」
さも恐ろしいことを平気で口にした仙花。彼女が常人とは一味も二味も違うことをうかがわせた。
「…それは容易い願いですが…」
と雪舟丸が何かを言いかけたところへ、村長の郷六が血相を変えて走って来た。
「せっ、仙花様!無礼を承知で申し上げます!その馬を斬ってはなりませぬ!もし斬ってしまえば天下の将軍様のお怒りを買ってしまいますぞ!」
郷六が言わんとしているのは、徳川幕府五代目の将軍「徳川綱吉」の制定した「生類憐れみの令」のことであった。
将来、長きに渡り悪法として語り継がれることになったこの法令は、動物・嬰児・傷病人などの保護を目的としたものであったのだが、悪い意味で人々の生活に大きく影響し、徳川綱吉が没っしてようやく廃止されたのだと云う。
「郷六。其方が気にしておるのは『生類憐れみの令』のことであろうがそんなものは気にせんで良い。もし万が一、将軍様からお咎めを受けようものなら全ての責任は儂がとる。だから安心するがいい」
仙花の言葉に郷六が輪をかけて慌てふためく。
「仙花様に責任をとっていただくなどめっそうもございません。我ら村の者達なら一晩や二晩を飲まず食わずで過ごすことも耐えられますゆえ、どうか馬を斬るような御無体はおやめくだされ」
必至の形相で止めようとする郷六だが、仙花の方は全くもって腑に落ちないといった顔をしている。
「だ~か~ら~、其方らは何も案ずる事は無いと言っておろう。仮にあの馬鹿将軍様の怒りが其方らに及ぼうものなら儂が全力で守る!…と言ってもそんなことは絶対に起こり得ないのだが…雪舟丸よ、其方は此度の件についてどう思う?…ん!?」
一人では説得に多大な時間を要してしまうと感じた仙花は、助け舟になるような意見を求めて訊いたのだけれど、雪舟丸の目の前に居た筈の二頭の馬が忽然と消えていることに気を奪われた。
「馬の姿が見えんのう…雪舟丸、もしかして馬達は身の危険を察して逃げてしまったのか?…むむむ?其方、口をモゴモゴさせて何を食べておるのだ?」
頬をリスのように膨らませた雪舟丸がそのままの状態で答える。
「モグモグ、馬は、モグモグ、逃げてはおりませぬ。モゴモゴ、既に、モグモグ、二頭とも捌き、モグモグ、その一部を拙者が、モグモグ、食している最中にございます。モグモグモグ…」
そう言って藁の束の上に乗った見事なまでに綺麗で大量の馬肉を指さした。
一瞬氷のように固まった仙花が気を取り直して口を開く。
「し、仕事が早すぎるにも程というものがあるだろうに…ま、まぁ初めからそうするつもりだったからそれは良いとしてだ。証拠隠滅のために頭は粉々にせねばと思っておったのだが何処へやったのだ?」
口一杯に含んでいた馬肉をゴクリと飲み込む雪舟丸。
「あちらでお銀が鬼畜の如く燃やしておりますのでご安心を」
と、また指差す方向には火遁の術によって馬の頭を豪快に焼き尽くそうとするお銀の姿があり、既に馬の頭は原形を留めておらず、単なる炭の塊と化していたのだった。
「ふぅ…これで任務完了…っと、念には念を入れて砕いておかなきゃねぇ」
「バキャッ!バキュッ!」
真っ黒な炭と化した二頭の馬の頭は、お銀の強烈な蹴りによって木っ端微塵に飛び散った。
視線を感じたお銀がキラキラと輝く爽やかな表情をして仙花に手を振る。
「仙花様〜!これで物的証拠は無くなりましたのでご安心を〜♪」
お銀に軽く手を振り返して応え、若干引き攣った笑顔でもって郷六に告げる仙花。
「わ、儂の家臣どもは仕事が早くて助かるわい…郷六、こうなってしまっては致し方あるまい。開き直って腹一杯馬肉を食べ元気をつけようぞ」
そう言われはしたものの、目の前起こった急展開に思考が追いつかず、郷六はへなへなと腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
よく見れば郷六の顔はげっそりとしてやつれ、実際の年齢よりも重ねて十は老けているかのようである。その原因としては、仙花の家臣らによる暴走も僅かながらにあったかも知れないけれど、今朝方前触れなく現れ、村崩壊の危機にまで貶めた芥藻屑の急襲によるところが大きかった。
と、俯いたままの郷六の視界へスッと手を伸ばす雪舟丸。
「御仁よ。かなり疲れているように見受ける…何があったかは知らぬがこれでも食べて精をつけるがいい。これから先も生きる覚悟があるのなら、まずは食べねば事を成す事も出来まい」
雪舟丸の掌の上には先程捌いた綺麗な馬刺しがのっていた。
その馬刺しを食べるか否かと迷っていた郷六であったが、決心したのかゆっくりと馬刺しを掴み取りそのまま口に入れ、何度か噛むと目に涙を滲ませた。
「御侍、感謝致します。貴方の仰る通りにございますな。人間、どのような災難に見舞われようとも、食べねば生きることも叶いませぬ、なぁ…」
黙って様子を眺めていた仙花が雪舟丸に声をかける。
「いつも寝てばかりいる其方でも、そのように人を元気付ける言葉を喋れるとはのう。剣の腕といい正直其方には驚かされっ放しだわい」
「…これは勿体なくも有り難きお言葉を頂戴し、拙者も感無量にございます。ところで、捌いた大量の馬肉はどのようにされるおつもりでございましょうか?」
どうやら雪舟丸もよほど空腹だったらしく、藁の上に重なる大量の馬肉を無駄に真剣な眼差しで見つめる。
「おう、これか?これはあそこの村人達に振る舞うのだ。もちろん儂らの分もあるぞ。焚き火を囲み、話でもしながら皆で食べようではないか。のう、郷六」
「は、はい。何から何まで感謝致しまする~」
郷六が恭しく礼を述べている間に、蓮左衞門と九兵衛の二人が馬肉を運ぶ準備に取り掛かった。
馬二頭分の肉は人間十人分以上はあろうかという重量である。怪力の持ち主である蓮左衞門とて一人では到底持ち運べず、九兵衛も手伝って腕いっぱいに頭を越える高さまで積み上げ、ふらふらしながら焚き火まで一回目を持ち運ぶと、お銀から説明を受けた村人達が手伝い始め、自然に運搬と調理をする係に分かれたものである。
暫くすると馬肉をふんだんに使った晩餐とも呼べる豪華な料理の準備が整い、仙花の一行と村人達のほぼ全員で焚き火囲んで座り、夜も深くなりつつある中の遅い食事会が始まったのだった。
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