村人達が「おおぉ」と唸り驚く表情を見てすっかり調子づいた蓮左衞門が、腕に力を込めて巨木の回転速度を上げていく。
「どらどらどらどらどらどらーーーーっ!!どうでござるかーっ!この怪力っぷりはーーーっ!!???っっとーっっ!!??」
「ゴッ!ガガガギギギガガガァァァーッーッ!!」
巨木の回転速度を制御する蓮左衞門の許容能力を超えてしまったため、否、単に手が滑ってしまったために巨木は彼の手から離れ、焚き火のど真ん中に落ちた上に激しい回転により火の粉と炭に近い薪を飛散させたのだった!
村人達は慌てふためきその場から遠ざかり、仙花とお銀もその場から飛び退くなか、回転する巨木をなんとかせねばと蓮左衞門が熱さに耐えつつ近づく。
「うぉあちちちっあっちーっっ!!?」
「ガシッ!!」
四苦八苦しながらも巨木をがっちりと掴み竜巻のような回転を必死で止めた。
「ふぅ〜、大惨事に至らず良かったでござる」
独り相撲を集結させ一安心の蓮左衞門に向けて仙花が叫ぶ。
「馬鹿者ーっ!既に大惨事になっておるわ!周りを見てみろ!村人達が恐れて遠のいてしまったではないかっ!」
言われて周囲をぐるりと見回した蓮左衞門が青くなる。
「こ、これは、申し開きのしようもないでござるぅ…」
あろうことかお銀に続き蓮左衞門までもが失態を犯し、さもすればあのままの流れで仙花が話し続けた方が上手くいったのかも知れないと思える惨状…
明らかに怯えている村人に向かって諦めない仙花が話しかける。
「皆の者!尽く驚かしてすまぬ!だがこれだけは分かってくれ!儂らは困っているお主達を助けたいだけなのだ!」
一生懸命に伝えているのだが、お銀と蓮左衞門の失態でドン引きした村人達の心は帰らず、彼女に注目してはいても皆が揃って黙り込む。
「くっ、時を置く必要があるか…」
事が思うように運ばず仙花は意気消沈してしてしまった。
とそこへ、遅れて来た二人のうち九兵衛が側に寄って耳打ちする。
「仙花様、光圀様に頂いたあの印籠を今こそ村人達に見せるんでさぁ」
「印籠?そんなもの出してこの場が好転するとでも言うのか?まぁ良い、暫し待て」
九兵衛の言うことに腑が落ちないながらも、仙花は上着の袖を急いで弄った。が、なかなか印籠は手に触れず見つからない。
光圀に貰った品を失くしては一大事と
焦燥感が湧き始めたところで、彼女は何かを思い出しポンと手を叩く。
「おお!思い出した思い出した!あの印籠は旅路の中途で蓮左衞門に預けたぞ」
「なるほどぉ、持ってるのは蓮さんでやすかい。こりゃぁ丁度良い。仙花様、暫くのあいだお待ちを」
そう言って九兵衛は彼女の元を離れ、己の犯した失態に茫然自失中の蓮左衞門の元へせかせかと駆け寄り耳打ちする。
「蓮さん蓮さん。ここは面目躍如の良い機会でやんす。仙花様から預かった印籠を持ってやすよね?」
「…….ん!?あっああ、持っているでござるが…」
「それを村人達全員に見せつけてこう言うでやんす。ゴニョゴニョ………..」
「お、おお!それならば村人達も黙って話しを聴くやも知れぬ。感謝するでござるよ九兵衛!」
九兵衛に印籠を顕す際の決め台詞を耳打ちされ、声にも元気の戻った蓮左衞門は袖の印籠をサッと取り出し村人達に見えるよう前面に差し出した。
続けて自分なりのキメ顔を表現し喉に力を込めて吠えたてる。
「ええ~い!控えいっ!控えおろ~っ!この紋所が眼に入らぬか!?」
「バン!!」
「チーーーーーーーーーン」
その場の時が止まったかのように静まりかえる。
決まった!決めてやったとばかりにキメ顔だった蓮左衞門の顔がみるみるうちに情け無く下手れ、九兵衛の方へ目を向けると「えっ!?」と言わんばかりに驚き固まっていた。
理由は一目瞭然、村人達は遠くにいたため蓮左衞門が何かを取り出して差し出したのは分かったが、それが何なのか夜の暗がりで確認できずにただ唖然としているだけだったのである。
やはり本家「うっかり」の九兵衛の策では詰めが甘かったのだろう。
「あたたたぁ….」
様子を眺めていたお銀がおでこに手をあて天を仰ぐ。仙花はことの成り行きを黙って見守っていた。
「み、皆の衆!と、とにかく、こちらに来てこの印籠をご覧になってくだせぇ!驚くこと請け合いでやんすよ〜!」
蓮左衞門を巻き込んでしまった失敗を必至で挽回せんとする九兵衛が、まるで客でも呼び込むかのように手を振って村人達に呼びかけた。
仙花の一行の中では村人達が一番警戒しそうになく、親近感すら覚える九兵衛の素朴で間抜けそうな人柄に気を許したのか、村人達が荒れ果てた焚き火の側に恐る恐るではあったが歩み寄る。
蓮左衞門が未だに掲げる印籠を近くで確認し、驚愕の表情を浮かべた村長が強ばった口調で訊く。
「そ、それは、ま、まさか、徳川家の家紋にございますか?」
訊かれた蓮左衞門が気を取り直してキメ顔になり、待ってましたとばかりに口を開く。
「左様。彼方におわすお方こそ。先の天下の副将軍、水戸光圀公溺愛の娘である仙花様にあらせられるぞ!頭が高い!控えい、控えおろう!」
光圀の名を出した途端に村人達の表情はおもしろいように一変した。
水戸光圀の名はまごう事なく天下に轟いているようであり、蓮左衞門を始め、お銀に九兵衛もホッと胸を撫で下ろした。
血相を変えて村長がいの一番に仙花の前に平伏す。
「無知な所為で存じ上げなかったとはいえ、手前共にご無礼があったこと、誠に、誠に申し訳ございませぬ。村を代表してこの通り深くお詫び申し上げますゆえ、どうか、どうか平にお許しくださいませぇ」
誠意を表す為か、村長は額を地面に擦り付け土下座した。
それに続いた村人達が何処からともなくわらわらと現れ同様に平伏し、今やざっと三十人ほどの集団となっている。
人が己に頭を垂れる姿は幾度も経験して来た仙花であったが、初めて会う者達からここまでされたことに釈然としない違和感を覚えた。
「村長、皆の衆よ。面をあげてくれないか。儂はこんなものは求めておらぬよ。ただ、この村の様相とお主達の様子からして助けが必要だろうと思っておるだけだ。それにある意味ついでになるかも知れんしな….」
「はっ、ははぁ~。お畏れ大きお言葉。有り難く頂戴致します….さすれば、もうご存知かと思いますが手前はこの村の村長を勤めている橋屋郷六(はしやごうろく)と申しまして…」
郷六がここまで言うと話しを続けて良いものかどうかと仙花の顔色を伺う。
「うむ、話しを続けよ」
察した彼女は軽く頷いた。
「では…手前共は昨日までせっせと真面目に働き、村の者達は貧困のなか助け合い平和に暮らしておりました…今日もいつもと変わらぬ朝を迎え、村の者達が日常の仕事に精を出していたところ….奴が…悪党芥藻屑頭領の韋駄地源蔵(いだちげんぞう)が村を襲おうと手下を三十人ほどを引き連れやって来たのでございます…」
状況を思い出しつつ話す郷六の声は僅かに震えていた。
後ろに控える村人達の中には鳴き声は上げずとも、悲しみからかつとつとと涙を流す者もいるようである。
「奴らは視界に入った村人に片っ端から襲いかかりました。正義感の強い村の若い男達が鍬を手して立ち向かったのですが、韋駄地に一刀のもとに斬り捨てられてしまい、他の働き盛りだった男達は真っ先に斬って殺され、若い女子達は暴力を振るわれた後、犯されてしまいました…年少の子供達は殺されなかったものの縄で縛られ連れ去られた次第にございます…手前は村の長でありながら情けなくも怯えて物陰に隠れ、その悲惨な光景をただ、ただひたすら傍観することしか…….うっ、ううぅ……」
気丈に話し続けていた郷六は遂に耐えられなくなり、両の掌で顔を覆い泣き崩れてしまった。
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