辺りには人工的な建造物は一つとして見当たらず、殺風景で長閑な田舎道に佇み仙花と共に流れる朱色の雲を眺める一行。勿論、協調性零の居眠り侍は寝ているがもはや気にする者は誰もいない。
このとき仙花の流した涙はどういった感情から引き出されたものだったのか?
六年のものあいだ家族として一つ屋根の下に暮らした光圀との別れを今更ながら悲しんだのか、それとも芥藻屑の悪党どもの命を奪ったことを嘆いているのか、結局のところ誰も問わなかった、否、敢えて誰も訊こうとしなかったためその真相は誰も知る由はない。
だがしかし、一つだけまごうことなく確かなこともありはした。蓮左衞門が己の不用意な言動の所為ではないかと、ずっと心臓が爆発しそうなほどドキドキものだったという話しである…
雲の横を三羽の鴉が通り過ぎようとした頃、仙花はお銀に渡された布で涙を一拭にしたあと皆に告げる。
「おっと、すまんかったのう。余計な時を過ごさせてしまったな。陽が完全に沈む前に宿をとらねばならぬ。少し急ぐとしようか」
「時には感傷に浸ることも大事なことかも知れませぬゆえ、仙花様が謝る必要などさらさらございませぬ。手前も久しく少女の頃に見た風景を思い出し、感傷に浸らせて頂きましたよ」
お銀がニコッとして美しい笑顔を向けると、仙花も釣られるように笑顔になった。
「そんなものなのだなぁ…」
得心のいった仙花は先頭をきって道を歩み始め、他の者達も遅れぬよう黙って後に続く。
一刻ほど駆け足に近い徒歩を続けた頃には、辺りはすっかり闇に包まれ暗くなっていた。
引き続き速度を落とさずに先頭を歩く視力抜群の仙花が暗闇の先の何かに気付く。
「おっ!?皆の者喜べ!見えた!遂に灯りが見えたぞ!」
「おお!左様にござるか!?良かったのう久兵衛!ほれ、もう一踏ん張り!」
暗くて分かりづらいが疲労困憊で死相の出始めているであろう久兵衛の背中を蓮左衞門が手加減を加えてドンと押す。
「どひゃっ!!?っっとと…れ、蓮さん、いきなりひどいでやんすよぉ。足がもつれて転んでしやいやさぁ」
「ハッハッハッ!転ばずに済んでおるのからよいであろう。それよりほれ!仙花様のおっしゃった通り灯りが見えて来たぞ。これでやっと美味い飯と熱い風呂にありつけるでござるよ!」
この時、蓮左衞門の「飯」という単語にピクリと反応した孤高?の居眠り侍がいたのだけれど、暗い上に口を全くきかないためか、皆にすっかり存在を忘れ去られ気付く者は一人として居なかったと云う。
灯りが目に映った一行の面々の擦り減った気力は自然と昂り、筋肉が張って重くなった脚も軽やかになっていく。
だが希望に満ちた一行を待ち受けていたものは、高揚する気分を奈落の底に叩き落とすような現実であった。
あまり役立ちそうにない能力ではあるけれど、臭覚が人の何倍も強い九兵衛がそよ風に乗って微かに臭う異臭を察知する。
「んっ!?これはまさか……人の焼ける臭い。仙花様ぁ!あの場所は危険やも知れませぬ!御用心してくだされーーっ!」
灯りを目に入った時より歩く速度を上げた仙花は一行と距離を少しばかり空けていたが、九兵衛の声は耳に届き後ろを振り返る。
「承知したーーーっ!」
灯りの灯る場所へ近づくにつれ、その灯りが住居のものではなく、焚き火であることに仙花が気付いて呟く。
「焚き火か…周りに人影がいくつか見えるのう…くぅ、なんだ?この鼻に不快感を与える異臭は…九兵衛の忠告通り用心して近づくか…」
ほぼ駆けていたと言っていいほどの速度を緩やかに落とした仙花は、背中の弓を外して左手に持ち、右手に矢を一本掴んで人影が視界の隅ギリギリに入る位置まで移動する。
単独の身にもしものこがあってはならぬとばかりにお銀、蓮左衞門が後を追う。九兵衛と居眠り侍がかなり遅れていることも付け加えておこう。
焚き火付近の半壊した倉庫へと辿り着いた仙花は、ひっそりと身を潜めて人影の様子を探ることにした。
そこを覗くと見窄らしい身なりの人々が十人前後で焚き火を囲んでいるのが見えた…
正に農民といった格好をしている一人の男が、商人に近い格好の男に話しかける。
「村長。命からがらなんとか生き残ったのは良いが、おら達はこれからどうすりゃあ良いんだかな?」
村長と呼ばれた商人風で五十過ぎに見える男が困ったような顔をする。
「生きておればなんとでもなる…と言いたいところだがなぁ…状況が状況だ…取り敢えずは拐われた者どもをなんとかせねばならぬのだろうが…う〜む…」
村長は考えが纏まっていないらしく言葉が上手く出て来なかった。
どのようなことが此処で起こったのかは現時点では不明だけれど、このやり取りだけで此処が町ではなく村であること、ここに居る人々は悪党ではなく村人であること、そして村は荒らされほとほと困っているということが容易に推測できる。
話しが進まぬ様子を眺めていた仙花が武器を収めて彼らの前へ進み出た。
「何かお困りのようだな。其方らの力になるゆえ詳しく話してくださらぬか?」
一応彼女なりに気配りして丁寧に訊いたつもりだったのだが…
「………………………….」
暗闇から突然現れた少女によるいきなりの申し出に、というか仙花の登場自体にその場に居た全員が驚き、ただ黙って十六の少女に注目していた。
誰も何も言わないものだから仙花の表情が曇り、村人達が応える前にまた口を開く。
「おいおいおい。其方らなんでずっと黙っておるのだ?早よう困っておることを話せと言っておろうに」
元々丁寧な言葉遣いが得意ではない仙花の言葉遣いは直ぐに元に戻った。
先程村長にものを尋ねていた男が今度は彼女に尋ねる。
「あ、あんた。いきなり現れて力になると言うが、一体何処の誰なんだい?」
質問されて間髪入れずに答えようとする仙花の前にお銀が飛び出す。
「あたし達は何でもないただの旅人だよ。若い娘が急に手助けをすると言って驚くのは分かる。分かるけれど、このお嬢様は困っている人を見かけるといてもたってもいられない性分でねぇ。それにあたし達は武道をかじっているものだから武器の扱いにはちょいと慣れてるんだよ。まぁ、若い女という意味ではあたしもこのお嬢様と同じようなものかもしれない。でもどうだい、ここは一つ藁にでも縋るつもりで話してみては?」
登場するや否や長々と論じたお銀に村の男が言う。
「た、確かに、おら達は滅相困っていることにちげえねぇが…流石に女子供の力を借りるってわけにはなぁ…それとあんたは美人だがあんまり若くねぇ」
「なっ!?お、お主はなんと戯けたことをぬかすのだ!?あたしは二十代の麗しい乙女で…まだまだ若いわぁーーーーーーーっ!!!!」
「ひっ!?ひええええぇぇ!!!鬼だ!?女の鬼だーーーーっ!!?」
村の男は仙花と比べると「若くない」という意味で言ったのだが、過剰に反応したお銀は鬼の形相になり取り乱して怒りまくった!
男が飛び上がって仰天するものだから、他の村人達もどん引きしてしまった…
「なにをしてくれておるのだお銀。其方らしくもない…いや、らしくなくもないか…」
「め、面目ございませぬぅ…」
お銀が仙花に叱られ珍しく肩を落とす。
そんな悪い空気感の中へひょっこり姿を現す蓮左衞門。
肩には一般の男衆四人でやっと持ち上げられるかという巨大な丸太を乗せている。
「各々方ぁ!女の言うことが信じられないと言うならば、この愛と正義の侍、槙島蓮左衞門の怪力っぷりをとくと見るがいいでござるよ!どらどらどらどらーーーーっ!!!」
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