お銀が二人に近づくにつれ、徐々に会話が聴き取れて来る。
「…それで其方自ら武蔵に決闘を申し込んだのだな?」
「左様にございます。しかしながら武蔵殿は全盛期をとうに通り過ぎ隠居しているようなものでしたので、決闘を渋られ何度も足を運びましたが…五度目にしてようやく受けてくれた次第で」
どうやら仙花と雪舟丸は宮本武蔵との決闘の話しをしているらしい。
「してどうだったのだ?武蔵の実力のほどは?」
仙花は学問を学んだりすることも嫌いではなかったけれど、武術やこういった類の話しには一際興味を示す。
「互いに剣を構えた時点で武蔵殿から凄まじい覇気を感じましたな。全盛期を過ぎているとはいえ、通って来た修羅の道より蓄積した経験値は想像を絶するもの。僅かでも目を離せば瞬殺されてしまうのではと思うどの隙の無さでした…」
「ほうほうそれでそれで」
ここで歩み寄ったお銀は仙花の横に並び、雪舟丸の武勇伝を黙して聴くことにした。
「当時若く血気盛んだった私はその覇気に臆することなく先手を打ち、出し惜しみせずいきなり奥義の蓮撃をたたみ込み攻め立てたのですが…武蔵殿は老体とはとても思えぬ動きで、その全ての攻撃は受け流し弾かれたのです」
「ほほぅ、老いて益々盛んなお人だったのかな?」
「…いえ、気力は兎も角、身体の衰えははその外見からも衰えは明らかでした。手足にあったであろう強靭な筋肉は姿を消し去り、華奢と言っても過言ではなかったでしょう。もし、全盛期の武蔵殿であれば拙者の攻撃を弾いたのち、そのままの勢いで反撃転じたかも知れませぬ…」
雪舟丸がそこまで話すと、黙って聴いていたお銀も興味が湧いたのか質問する。
「しかし、芥藻屑どもを斬った雪舟丸殿の剣技を見れば、あれだけの剣速の攻撃をそのような老体で受けきれるとは正直思わないのだが?」
お銀の問いにずっと無表情だった雪舟丸がフッと笑う。
「拙者と武蔵殿が勝負したのは十年も昔の話。拙者は武蔵殿に勝ったからといって満足などせず、強気者を求めながら修行を積んで来てこその今があり、己の全盛期は未だ来ておらぬものと思い及んでいる。当時の拙者と今では比較にならぬ強さを身につけたという自負は持ち合わせているよ」
「なるほどのう。して決闘の決着はどのようにしてついたのだ?」
仙花は決闘の顛末を知りたくて知りたくてそわそわしていた。居眠り侍がそれを話し終える前にまた寝てしまうのではないかという危惧もある。
「….拙者は眠くなって参りましたゆえ、話しを端折り短く語りましょう…当時の拙者と武蔵殿の実力は伯仲し、延々と百合以上刀を交えました…膠着状態が続いた決闘の行方はもはや持久力勝負となり、年老いた武蔵殿の剣速に鈍りが見えたところで若さに勝る拙者の最速の突きにて勝負が決した次第にございます」
「殺したのか?」
「いえいえ、首の皮を一枚だけ突き破る寸止めです。武蔵殿は『見事なり』と褒めてくださいました。それと、『お主とは互いが全盛期の時に雌雄を結したかった』とも…」
自身が全力で放った最速の突きを寸止めにできたという事実は、それだけでも雪舟丸が並大抵の達人ではないことを物語っていた。
「善い漢だったようだのう」
「ええ、あのお方と勝負できたことは拙者の一生の宝にございます。もしまだ生きているならもう一度…すぴぃ~すぴぃ~すぴぃ~…」
話し疲れたというわけではなかったろうが、居眠り侍はいつものように寝息を立てて眠ってしまった。
「儂も会ってみたかったのう、宮本武蔵に…」
「仙花様。雪舟丸殿の話し方から察するに、武蔵殿は未だ御健在の可能性もろうかと。勝負云々は別として、運が良ければ何処かで会うことができるやも知れませぬ…」
「そうであるな…時にお銀。其方の見立てでは雪舟丸の実力は如何なものであったのだ?」
芥藻屑の賊どもを討ち払わんとした仙花を引き留め、雪舟丸の実力を測るために単独で戦わせたのはお銀だったことを思い出した。
「…余り褒めたくはございませぬが、手前の想像の遥か上をいく強さを持ち合わせているかと。刀での勝負では勝てる気が致しませぬ」
お銀が敢えて「刀での勝負」と言ったのは、多種多様な戦術を持つ忍者の己であれば僅かでも勝機ありという含みを入れたのかも知れない。
「うむ、儂も同意見だ。そのうち雪舟丸から剣技を教わるとしよう…」
とここで、怪力を活かして全ての屍を早々と穴に放り込んだ蓮左衞門が報告する。
「お銀殿~!一切の屍を穴に運んだでござるよぉ!埋葬の方を頼み申す〜!」
「あいよぉ」
お銀は返事をすると蓮左衞門と九兵衛の待つ丘に近づき、土遁の術を使ってあっという間に埋葬を済ませたのだった。
居眠り侍を除いた四人は、芥藻屑の屍を埋葬した簡易な墓の前に並び黙祷を捧げ手を合わす。
「悪党といえども人は人。今世での罪は消えぬだろうが、お主達がもしも輪廻転生によって生まれ変れたならば、善人として一生を過ごせよ…」
仙人の血が影響しているのか、十六歳の少女が口にするものとは到底思えぬ言葉を献じる仙花であった。
昨日まで元気ハツラツで健康そのものだった人間が、今日にはこの世から忽然と消えてなくなっていたなどという悲しくも儚い事象が起きてしまう事実は、いく年月をを越えようが神以って今も昔も変わりはない。
諸文献によれば、江戸時代を生きる人の平均寿命は三十から四十代だったと伝えられている。治安の悪さも理由の一つではあったろうけれど、そんなことは平均寿命を下げる原因の片鱗に過ぎなかった。では何が一番の原因だったのか?
少し考えればわかることだが、どうやら衛生面の悪さに問題があったらしい。
免疫力の弱い子供から尽く病気にかかり、治療法もお粗末なものばかりで大半の子供は成人に達することなくこの世を去ってしまったということだ。
ゆえに、大事に大事に育てた子供達を拐うような輩の集まりである芥藻屑は、善か悪で分けるならば世間的には絶対悪である。
と、そこまで考えて行動しているのか否かは別として、芥藻屑どもの墓を離れた仙花の一行は下総国の奥地へと歩みを進め、今宵の宿を探し求めていた。
一行の中で唯一、化け物じみた体力を持たない九兵衛が下手れた顔で物申す。
「いやぁ、旅の初日からゴタゴタで疲れましたなぁ。もう腹が減って腹が減って死にそうでやすぅ」
根性無しの「うっかり九兵衛」にさり気なく冷ややかな視線を贈るお銀。
「あらあら、旅の初日から大忙しのあたしを差し置いてそんなことをよく口にできたものだわねぇ…とはいえ、あたしも早う湯を浴びたい気分だわ」
「儂もお銀に激しく同意するぞ。肌がべとついて気持ち悪いったらありゃしない」
「仙花様もたまには女子らしいことをおっしゃるのでござるなぁ。拙者は安心しましぞ。ハッハッハッ!」
蓮左衞門は怪力の持ち主の上、一応それなりに剣の達人でもあったのだが、ガサツで野暮なところがたまに傷な侍である。
仙花が蓮左衞門をキッと睨んで言う。
「蓮左衞門。どこが女子らしくて何を安心したのか言ってみよ」
「え、あ、いえいえ、拙者の声が滑っただけでござるに悪しからず」
睨まれた蓮左衞門がしどろもどろに応じると、口を尖らせた仙花はプイッと顔を空へ向けた。
その目に映るは微かに残った夕陽を浴び、美しい朱色に染まった雲がゆっくり流れ行く。
雲を見る仙花の表情が和らぎ、綺麗な瑞々しい瞳に薄らと涙が滲む。
「なんとも…美しい世界だのう…」
己が涙を流していることに気付かぬ仙花にお銀が一枚の布をそっと手渡す。
「本当に、美しゅうございますねぇ…」
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