仙花とお銀の二人が立つ川に架かった橋へ、蓮左衞門は荷物を背負い、九兵衛は仙花の旅装束の残りと下着を持ち、雪舟丸は言わずもがな居眠りしながら駆けて来る。
「仙花様~!ご無事で何よりでござる!」
「お助けになった娘はもう大丈夫でやすよ~!これをお召しになってくだされ~!」
「すぴぃ~、すぴぃ~、すぴぃ~」
辿り着いた蓮左衞門と九兵衛が息を切らすなか、雪舟丸だけは汗一つ掻いていなかった。
「おお!三人とも良いところへ参った。来て早々すまぬが転がっている屍を埋葬してくれんかのう。このまま放置しておけば橋を渡る民が怖がって近づけぬやも知れんからな」
九兵衛は屍を見て「ひゃっ!?」と驚き青ざめていたが、侍の蓮左衞門は屍を前にしても全く動じない。
「いやぁ、こわやこわや。これ全て仙花様が斬り捨てたのでござるか?」
「儂はただ一人を弓で射ったのみ。残りの四人はお銀がいともたやすく斬ってしまいおったわ。のう、お銀」
「フフフ、差し当たりお褒めいただいたと解釈させて頂きましょう。いずれにしても手前の助けなどなくとも仙花様お一人で片付いた一件であったのでしょうが…」
お銀がそう言っているあいだに、仙花は九兵衛より受け取った下着と旅装束を身にまとい、目を覆いたくなるような姿からようやくまともな格好を取り戻した。
蓮左衞門がテキパキと動き、九兵衛が嗚咽を我慢しつつ野盗達の屍を運び働いているなか、気付かぬまま居眠りを継続する雪舟丸を見てお銀が近づく。
「パチン!」
「ん?….」
「雪舟丸殿、皆が働いているのだ。少しばかり目覚めて手伝ったらどうなんだい」
雪舟丸の鼻ちょうちんを人差し指で弾いて鳴らし起こした。
辺りに目を配り何事かと状況を把握する雪舟丸。
「……この俺に雑用をさせようとは…よし、引き受けた」
「おやおや!?言ってみるもんだねぇ。まさか居眠り侍が手を貸してくれるとは思わなんだ」
お銀が驚くのも無理は無いだろう。
なんせ雪舟丸はここまで寝て歩き、昼飯を食っただけの体たらくだったのだから。
「どれ、よいさ」
あまりやる気の感じられない掛け声を出し、肩に屍を軽がると乗せ居眠り歩きをする雪舟丸。
「すぴぃ〜、すぴぃ〜、すぴぃ〜」
「ほんに器用な奴だのう」
呆れと驚きの入り混じる心境で仙花は呟いた。
そして屍の無くなった床板を眺め口をまた開く。
「まだ血がべっとり残ってしまっておる。お銀、二人でこれを綺麗にしようぞ」
受けるお銀が美しい笑顔で返す。
「それでしたら手前にお任せくださいまし。あっという間に血のつく以前より綺麗にしてみせましょう」
「ほう、何か考えがあるのだな?」
「左様にございます。若干不本意ではありますけれど、手っ取り早く済ます方法がございまして…仙花様、少々この場から離れて頂きたいのですが…」
「ん?離れれば良いのだな。承知したぞ」
仙花は素直に言うことをきき、その場からサッと離れた。
するとお銀が目を細め集中して九字印を結び、忍の者が忍術を発動する際の構えをとる。
カッと目を見開き。
「忍法水遁の術!水龍発破!」
「ズァパーーーッ!!」
流れる川の一部に渦巻きができたかと思うと、そこから水で形成された正に水龍が現れ、人の十倍ほどの高さまで身体を伸ばした。
「せいっ!」
お銀が組んでいた手を解き、水龍に指示を与えるが如く右腕を振り下ろす。
「ザッザザザザァァァーーーッ!!!」
水龍は頭から橋板に突っ込み、到達した部分から術を解かれ元の水に戻り大量の水飛沫をあげていく。
水飛沫が終わった頃には前言通り見事なまでに橋は綺麗になっていた。
「ほえ~!実に見事なり!ほんに忍法とは凄いものだのわい♪」
光圀に聞き知ってはいたが忍法を初めて目の当たりにし、心の底から感動した仙花が手放しでお銀を褒め称える。
「お褒めに預かり光栄にございます。…丁度良いところへ三人も帰って来たようにございますねぇ。そろそろ旅路を進めると致しましょう」
「おっ!?そうであるな。進めるとするかのう♪」
こうして、溺れる童女と野盗に襲われるその父母の窮地を救った一行は、律儀にも事件のあった現場の後片付けまで済ませ、川に架かる橋を渡って下総の地へと足を踏み入れたのだった。
道を歩く一行が目指すは一晩泊まる宿屋。
しかし時刻は夕方近くになるものの、宿はおろか建物一つ見当たらない。
幾らか不安を覚え始めた蓮左衞門が、一行の中でも地理に一番詳しいくノ一のお銀に訊く。
「お銀殿、日もだいぶ傾き始めておるようだが、この道の先に宿屋はあるのでござろうか?」
「…そうだねぇ。心配せずとも夜の帳が下りる頃には、人気も増え宿屋の一つもあるはずだよ」
「そうかそうか!ならば安心でござるなぁ!早ようひとっ風呂浴びて酒でも呑みたい気分でござる。ワッハッハッハァ♪」
笑い声には、時と場所により人に影響を与える様々なものがあるけれど、蓮左衞門の大きく元気な声には不思議と周りの者を元気づける効果があった。
その証拠に居眠り侍を除き、仙花、お銀、九兵衛の三人は伝染したように笑みを浮かべていた。
旅をするならやはり笑顔は欠かせないものである…
また暫くのあいだ歩を進めていると、仙花が手を「パン!」と叩き何かを思い出して喋り出す。
「な~んか引っかかっておって気持ち悪かったのだが、云わねば成らぬことがあったのをたった今思い出したわい!蓮左衞門、九兵衛、それに雪舟丸よ聞いてくれ。儂はこの下総の地におる芥藻屑とかいう悪党共を滅ぼす事に決めたぞ」
聞いた蓮左衞門と九兵衛が言葉の意味を呑み込めずぽかんとするなか、居眠り侍の鼻風船が「パチン!」と割れ目を覚ます。
「仙花様、今しがた『芥藻屑を滅ぼす』などと聞こえたのですが、下手な冗談ではなく本気でございましょうな?」
「ハハハ。やはり寝てはいても外からの声は頭に届いておるようだのう…如何にも、儂は下手は冗談など言っておらんし、本気で芥藻屑を滅しようと考えておるよ」
雪舟丸の半起半寝説はあながち間違いではないと改めて確信した仙花。
「この身体は危険な文言や臭い音などに反応するよう鍛えておりますゆえ…あの芥藻屑が相手ならば、俺がひと暴れもふた暴れもできそうですなぁ。楽しみにしておきましょう…すぴぃ~すぴぃ~すぴぃ~」
周囲の空気感など全く意に介さず、話し終えると得心がいったのか眠りに入る雪舟丸であった。
「あの~、無知で申し訳ありやせん。先ほどから出てくる芥藻屑とは一体全体なんでございやすか?」
薬師の九兵衛は職業柄、薬や医療に関する知識は豊富だが世の中の情勢などにはとんと疎く、隣を歩く蓮左衞門に訊いた。
「う~む、悪党ということは知っておるが詳しくは拙者も分からぬでござるなぁ…」
蓮左衞門が困ったように頭を掻いているところで前を歩くお銀が話し出す。
「あらら、蓮さんもよくは知らないようだねぇ。芥藻屑ってなぁ下総国で恐れられている悪党集団の名だよ。その人数はざっと百くらいはいるって噂さ」
「ひゃっ、百!?えっ!?そんな大勢の奴らを滅ぼすのでごぜえやすか?こ、この五人で!?」
人数を聞き信じられないといった具合に取り乱す九兵衛。
「ハハハ、安心せい九兵衛。精鋭の儂らならばその程度の人数は楽勝楽勝!」
と笑い飛ばす仙花を見てお銀がため息をつく。
「…仙花様、お言葉ですが芥藻屑はそれほど楽な相手ではございませぬ。確かに百人のうち九割はものの数ではございませぬ。が、それを取りまとめる頭領の韋駄地源蔵(いだちげんぞう)という男は相当な手練れであると聞き及んでおります。さらには韋駄地の護衛役を務める凶暴な芥(あくた)五人衆なる者達もいるとかいないとか…」
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