忍者の戦闘スタイルは侍のそれより多様である。
しかも相手が同じ忍者となれば忍法合戦もアリの状況で刀を手に取った磨伊蔵。
「ほ~、これは面白い。忍者にしては珍しく先に刀を出すとは…よほど自信があるんだねぇ…じゃああたしもお付き合いしちゃおうかしら」
対するお銀が相手の近接スタイルに合わせ、忍び装束の袖から短刀をスッと出し二刀流で構え舌舐めずりをする。
しんと静まり返る西山御殿の屋根上、先に仕掛けたのは磨伊蔵であった。
懐に手を入れたかと思うと手裏剣を取り出しシュッ!と投げつけた!
「キン!キィン!」
お銀が不意に飛んで来た二つの手裏剣を最も容易く短刀で弾く!
「同じ忍者相手に礼儀をどうこう言うつもりなかったけれど、情けないわねぇ」
と言っている間に磨伊蔵が間合いを詰め斬りかかる!
「キン!キィン!キィン!キン!キキン!」
一本の刀と二本の短刀が何度もぶつかり合い火花を散らす。
一二撃受け流し必殺の一撃をお見舞いするつもりだったお銀は、磨伊蔵の剣術の実力だけは認めざるを得なかった。
その一撃を繰り出す隙を与えて貰えないほどに磨伊蔵の剣術は卓越したもだったのである。
「やるはねぇ。あたしと何合も合わせられるなんとは、ようやく実力発揮といったところかしらねぇ」
「フッ、余裕のつもりか?その美しい身体を傷付けるのは少々気が引けるがこのまま押し切らせてもらうぞ!」
激しい攻防の最中で磨伊蔵が徐々に剣速を上げていく。
お銀がこのまま押し切られてしまうのかと思いきや、彼女も剣速を上げ負けず劣らずの攻防となる。
両者の手数は多いものの互いが決め手に欠け、刀と刀の激しいぶつかり合いは続いた。
とそこへ。
「おほ~っ!楽しそうな戦いをしておるのう!儂も混ぜてくれ~♪」
寝室で雪舟丸の話しを聞き、自ら曲者を倒さんと息巻いた仙花が屋根上に現れた。
お銀と激戦真っ只中の磨伊蔵が仙花の声に気付き舌打ちする。
「ちっ!女狐が片付いておらんのに刀姫か!?やむを得ないな…女狐っ!決着はまたいずれつけようぞ!」
「はん!貴様にいずれなど無いわ!ここで捕まえ秘密事を吐いてもらう!」
此処でお銀渾身の一振り!
だが磨伊蔵は素早く後ろに退きそれを紙一重でかわした!
そして懐から指の間に四つの小さな玉を挟んで取り出し屋根瓦に投げつける!
「ボボボボン!!」
忽ち煙がモクモクとわき上がり、辺りは煙で視界零となった。
コホコホと咳き込むお銀の耳に、濃い煙の中から磨伊蔵の声が届く。
「これぞ秘技!爆煙玉よ!女狐、これにてさらばだ!」
その声を最後に、屋根上から磨伊蔵の気配は消え去った。
煙玉の濃い煙が薄くなり、立ち尽くすお銀の元へ仙花が駆け寄る。
「お銀!曲者は逃げてしまったのか?」
「申し訳ございませぬが左様にございます。手前としたことがまんまと逃げられてしまいました」
お銀がその場で屈み頭を下げて恭しく陳謝した。
「いや、取り逃したのは儂が出張ったせいであろうな。お主一人であれば逃亡を図ることも無かったかも知れぬからのう…」
「いえ、やはり最初から手抜きなしの全力でやっていれば…」
「もう良いではないか。仙花にお銀。二人とも下に降りて参れ」
仙花に遅れて屋外へ出ていた光圀が声をけた。その後ろには誰よりも早く曲者に気付き、皆に知らせた雪舟丸が器用に立ったまま眠っている。
仙花とお銀の二人が社の屋根からヒョイっと舞うように降り光圀の側へ寄った。
「お銀。逃げた曲者の素性は分かるか?」
「……詳しくは分かりませぬが奴は忍者の里の一つ駿河の抜け忍、『雲隠れの磨伊蔵』で間違いございません。誰に雇われたのか訊き出そうとしたのですが…」
光圀が優しい顔をして右手を軽く挙げ、お銀の心中を察っしてか釈明を中断させた。
「もう良いと言ったであろう。しかし….儂は敵が多いからのう。誰が刺客を放ったのか思い当たる節があり過ぎて絞れぬ。狙いも仙花か儂なのか、ふむぅ…如何、日頃の半分も頭が回らん。夜更かしは儂のような年寄りには応えるわい。面倒なことは後回しにして明日に備え、そろそろ皆寝るとしようではないか」
「…承知しました」
「だなぁ。ふぁぁぁ~、流石に巨大な睡魔が襲って来たわい。ん!?一つ気になったのだがお銀よ。お主はあれだけ呑んで爆睡しておったのに良くあやつとバシバシ戦えたのう?」
訊かれたお銀が仙花に美しい笑顔を送る。
「有名になるであろう『酒は呑んでも呑まれるな』という言葉を実践したまでで….うぷっ!?」
「ぬっ!?」
「おわっ!?」
話しの途中でお銀の頬が急に膨らみ慌てて手で抑えるのを見て、驚いた光圀と仙花が条件反射的に後ろへ引き退った。
「お銀!は、吐くならそこの草むらでじゃあ!」
「急げ!急ぐのだぁ~♪」
必至な光圀と愉快そうな仙花の二人に黙って会釈したお銀は、くノ一さながらの速さで草むらへ消えて行った。このあと、先に外で撃沈していた滝之助の身に起こった世にも悍ましい光景は、幸いにして誰の目にも触れることなく、お銀ただ一人の胸に固く仕舞われたものである。
こうして、水戸光圀の隠居住まいである西山御殿の長く濃密で騒がしい夜が、遂に終わりを迎えたのだった。
暗い闇夜を越え、新しい朝の光を浴び目覚めることは、今も昔も変わらず何処か新鮮で気持ちの良いものである。
寝不足や酒を呑み過ぎて二日酔いによる激しい頭痛に襲われる者は別として…
「スコォーン!」
「ふぁっ!?」
「旅立ちの朝ぞ!雄鶏の如くとっとと起きるが良い!」
これが仙女になる素質を持つ少女の強みだろうか?
昨晩あれだけ酒を呑み、夜更かしをして寝不足な筈の仙花がいつも通り早起きをし、手に持ったしゃもじで寝ている蓮左衞門の額を元気に叩く。
因みに雄鶏が朝早く起きる理由についてだが、朝の光を浴びていの一番に目覚める訳ではなく、どうやら雄鶏が秘めている体内時計の作用によるものらしい。
「おっ!?今朝も早いでござるな仙花様。ん!?ぬおっ!?なんだ!?この頭の激しい痛みはぁっ!?」
蓮左衞門は酒に酔い潰れた昨夜の記憶が吹き飛んでしまったようである。寝起き直後、二日酔いによる激しい頭痛に突然見舞われ、両手で頭を抱え床におでこをつけて悶えた。
そんな蓮左衞門の姿を見て不憫に思った薬師の「うっかり九兵衛」が、持参していた木製の古びた薬箱から紙に包まれた薬を一つ取り出す。
「蓮さん。これを飲を飲んでくだせぇ。二日酔いなんぞたちどころに消え去りますぜ」
「なっ、なんと!?それを拙者に!?有り難く頂戴するでござるよ!」
礼を言い薬を受け取った蓮左衞門が薬の紙を急いで開き、サラサラの白い粉末を一気に口の中に含む。
「うぅうっ!!??」
蓮左衞門が今度は両手で口を塞ぐ苦しみ出した。
水無を含まず薬を飲んだため、口内に留まった特別苦い薬がえも言われぬ地獄を与えたのである。
「今飲んだのはめっぽう貴重な薬。絶対に吐いては駄目でっせ蓮さん!急いで井戸の方へ行くんでさぁ!」
九兵衛に急かされ蓮左衞門はドタバタしゃにむに部屋を出て行った。
昨夜宴会に使われたこの部屋に残っているのは仙花に九兵衛、立ったまま延々と眠っている雪舟丸の三人。
「おっと~。雪舟丸も起こしてやらねばな」
悪戯好きな仙花が悪戯っ子の顔になり、しゃもじを手にしたままそっと雪舟丸に近づく。
声を掛けて起こすという選択肢は彼女の様子からして全く感じられない。
手の届く範囲まで近づき頭を狙ってしゃもじを振る!
「起きろ!雪舟丸!」
手加減を入れたしゃもじを振りはそれでも決して遅くはない!
「あらっ!?」
眠ったままの雪舟丸が身体をヒョイと動かししゃもじは空を切った。
「すぴぃ~、すぴぃ~」
静かな部屋に雪舟丸の寝息が響く。
「…..此奴。もしや巷で噂の『座頭市』ではあるまいな?…」
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