その夜、人里離れた西山御殿の一室では、明日いよいよ旅立つ刀姫こと仙花の前途を祝し、少人数ながら賑やかな宴が執り行われていた。
「さぁみんな!刀姫の初獲物!猪が捌けましたよう。たくさん食べてくださいなぁ♪」
光圀世話役の絹江がざるいっぱいの猪肉を両手に抱えて運び、皆が集っている火のついた囲炉裏の側へ置き、グツグツと野菜の煮える鍋に箸で掴んだ肉を投入する。
彼女の料理の腕前は勿論のこと、光圀はその人間性や器量に惚れ込み、西山御殿を建立し、住み始めてから直ぐに呼び寄た家計までも預けられるほどの人物であった。歳はいっているかもしれないがなかなかの美人であることも付け加えておこう。
「猪の肉は久しぶりじゃのう。絹江、其方も座りゆるりと食べるがよい」
「痛み入ります光圀さま」
絹江が勧めに応じ微笑みながら綺麗な所作で正座する。
これで宴の席に集まったのは、光圀を始めとして仙花、絹江、蓮左衞門、それに狩りのお供をした藤間滝之助(とうまたきのすけ)。彼は絹江と同様に西山御殿に住む光圀護衛役の武士であった。
さらには仙花の見知らぬ女が一人と、男が二人。
齢十六にして酒を呑み、ほのかに顔を赤くする仙花が光圀に訊く。
「じっさまぁ。そこの見知らぬ三人の紹介をそろそろしてくれんかのう。気になって仕方がないのじゃ」
「こっこっこっ。そうじゃったそうじゃった。紹介が未だだったのう。この三人はお主の旅に同行する者達じゃよ。ほれ、自己紹介しろ」
光圀に言われ、背筋をピンと伸ばしお猪口で酒を呑んでいた色香満点の若い女が口を開く。
「仙花様、なかなか機会が見つからず、ご挨拶が遅れましたことをお許しください。あたいはくノ一のお銀。二つ名は『妖の銀狐』にございます」
年齢不詳な彼女はまるで天女のように妖艶な美貌の持ち主である。絹江に負けず劣らずの綺麗な所作でお辞儀をされ、仙花は同じ女でありながら目を離すことができずに見惚れてしまった。
「う、うん。お、お銀。よ、よろしく頼むぞ」
酒が入っていたこともあったが、仙花はほのかに赤かった顔を益々赤くして声も上擦ってしまった。
次にはお銀の右隣に胡座をかき、空気を読めなさそうな若い男が話し出す。
「仙花様。お初にお目にかかりやす。あっしは下手な薬師をしておりやす九兵衛と申しやす。二つ名は特にございやせんが、慌てん坊で考え無しに動くもんで、人からはあだ名で『うっかり九兵衛』と呼ばれておりやす」
九兵衛の話を聞き、その場にいた光圀ともう一人の男以外の全員が口を開けポカンとなってしまった。
絶句する周りを他所に、光圀が可笑しそうな面持ちで九兵衛について喋り出す。
「こっこっこっ。皆何を驚いておるのじゃ。こやつは長旅で重宝する薬師。その者の薬師としての腕前だけは儂が保証するぞい。困難な旅先で必ずやお主らの役に立つであろうよ」
九兵衛の丁髷の頭に男前とは程遠いとはいえ愛敬のある顔をしている。
ほろ酔いの仙花がその顔を黙ったままジッと見つめていると、その目に耐えらなくなった九兵衛が苦笑いしてお猪口を持った手で頭を掻く。
「せ、仙花様ぁ。そんなにマジマジと見つめないでおくんなましよぉ、あっしはてんで女方に慣れておりゃせんので照れてしやいやす」
頭を掻く動作でお猪口に残っていた酒が隣りのお銀に飛び散る。
すると、お銀の整った美しい眼がみるみる狐のように吊り上がり、気付かぬ九兵衛を睨みつけ怒りの言葉を静かに発す。
「うっかりなにがし殿。酒がちびちびとあたしに飛び散っておるぞ。お主、刺されて死にたいのかい?」
天女のような美しい顔が見るものをゾッとさせるほど豹変し、低くドスの効いた脅しを吐かれたなら即土下座か逃げるかが妥当なれど、九兵衛はそのどちらでもないリアクションをとった。
「すいやせんお綺麗なお銀さん。あっしは天性のうっかり者なんで勘弁してくだせぇ」
なんとヘラヘラと笑いながらそう言ったらば、お銀が目にも止まらぬ速さで九兵衛の襟元をガッと掴み!
「貴様!誠に昇天させてやるぞ!」
やばい!怖すぎる!
どうやらお銀は極端に気が短く怒らせるべきではないらしい。
光圀の前で、しかも仙花の祝いの場でこれは如何と蓮左衞門が腰を上げ、お銀の後ろに回り込み九兵衛の襟元を掴む腕をギュッと握った。
「平に落ち着かれよお銀殿。拙者はしかと見ておったが九兵衛殿のうっかりぶりは真に天然のようでござる。それに此処は光圀様と仙花様の御前なるぞ。場を弁えよ」
蓮左衞門は武芸に秀でているが、それに加え自身より大きい岩を持ち上げられるほどの怪力の持ち主でもある。
比例して握力も桁外れに強い故にお銀の腕は問答無用で襟元から引き離された。
「痛っ!?わかったわかった。蓮左衞門殿その手を離してくれ。腕が千切れてしまうぅ」
「おお、これは相すまん。遂ぞ力を入れすぎてしまったでござる。離すぞ、ほれ」
お銀が余りの痛さに悶え訴えると、蓮左衞門は申し訳なさそうに手を緩め離した。
様子を眺めていた仙花がケラケラと腹を抱えて笑い出す。
「笑わずにはおられんわwww大の大人どもが揃いも揃って何をしておるのじゃwww。明日からの旅はおもしろいものになりそうじゃのうwww」
愉快に笑う仙花の姿を見て、蓮左衞門、お銀、九兵衛の三人がそそくさと恥ずかしそうに正座して姿勢を正す。
落ち着きを取り戻したお銀が弁解するようだ。
「光圀様。仙花様。お見苦しい姿をお見せし申し開きようもございませぬ。ですが以後、取り乱さぬよう改めます故、平にお許しくださいませ」
今しがた鬼にような形相をしていた当人とは思えぬほど丁寧に頭を下げ、それに合わすように蓮左衞門と九兵衛も頭を垂れた。
「ハッハッハ~♪お銀、それに蓮左衞門に九兵衛、そう固くなるでない。お主達とは明日から共に旅をするのじゃ。面白おかしく行こうではないか」
「有り難きお言葉…」
お銀が恭しく返し、三人は揃って尚いっそう深々と頭を垂れた。
光圀は仙花の三人への対応を見て得心したのだろう、口角を上げ柔かに笑っている。
仙花が手元の酒をグイッと飲み干し、ずっと気になっていたことを訊く。
「それはそうとじっさまぁ。さっきまで立ったまま爆睡していた筈の浪人が我武者羅に肉を喰らっておるけれども、其奴は何者かのう?」
黒い長髪を後ろで束ね無精髭を生やすその男は、平均的な打刀の五割り増しほどの長刀を腰に差したまま、厳かに飯を食す滝之助と絹江の間に割って入り、遠慮無しに鍋の肉を貪るように食べていた。
「此奴は『居眠り斬り』の異名を持つ阿良雪舟丸(あらせっしゅうまる)という浪人じゃ。お主と出逢う前の旅先で知りおうた男でのう。儂の覚えがある者の中では随一の剣士じゃ。雪舟丸よ、食ってばかりおらんで仙花に挨拶せい」
言われた雪舟丸が勢いよく動かす口を止め、中の物をゴクッと飲み込み箸を置いて仙花に目を向ける。
「貴方様の話は何年も前より伺っておりました。お初にお目に掛かります仙花様。此度は貴方様の護衛役を務めさせて頂くことに相成りました居眠り斬りの雪舟丸にございます。命を賭して御守りする所存にあれば………..すぴぃ〜、すぴぃ〜」
あろうことか雪舟丸は挨拶の真っ最中に眠ってしまった。
呆気にとられる仙花と他多数。
「こっこっこっ。こういう奴じゃて気にするな。雪舟丸が真に目を覚ましておるのは一日で僅かに一刻のみ。あとはずっと眠りながら行動する摩訶不思議な男よ。だが案ずるでないぞ。当人いわく半分寝て半分起きている状態らしいからのう。そうじゃな…試しに見ておれ」
「えっ!?」
光圀は言い終わるや否や手元にあった梅干しを一つ掴み、寝ている雪舟丸の顔面目掛けビュッと投げつけた!?
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